『ポケモン』『デジモン』『妖怪ウォッチ』……映画作品から読み解く、それぞれの戦略

20160929-digimon-mainth.jpg
(C)本郷あきよし・東映アニメーション

 現在公開中の『デジモンアドベンチャーtri3.「告白」』が、興行通信社が発表しているミニシアターランキング(9月24日~9月25日)で1位となるスマッシュヒットを記録している。昨年秋に公開された『第1章「再会」』を皮切りに約9年ぶりに劇場のスクリーンに帰ってきたデジモンの新シリーズは、アニメ版初期の『デジモンアドベンチャー』の続きとして、高校生になった「選ばれし子供たち」の冒険が描かれる。これは初期の頃からのファンには見逃せない作品である。

 とくに『第3章「告白」』は、このシリーズに欠かせない存在だった二人への追悼テロップから始まる。空役を演じていた水谷優子さん、そしてこのシリーズを知る誰もが口ずさむほど有名になった主題歌を歌っていた和田光司さんの二人に対してである。劇中には、頻繁に和田さんの歌う「Butter-Fly」が流れるのが印象的だ。

 もともと97年に小型ゲーム機で発売され、男子向けの『たまごっち』的な位置付けだった『デジモン』。当時『たまごっち』と同じく社会現象を巻き起こした『ポケットモンスター』にあやかるように登場し、ケーブルで繋がなくても対戦バトルができるお手軽さで、小学生男子は熱狂したものだ。99年にアニメ版がスタートし、東映アニメフェアで劇場用短編映画が制作されるようになったが、これといって大ブームには至らず、気が付くとどんどん流行は下火になっていったのである。

 その原因はどこにあったのか。また、同じ時期に生まれたライバルで、20年間トップコンテンツとして走り続ける『ポケモン』との違いはどこにあったのか。その答えは、今回の新シリーズを小学生時代の懐かしい気持ちで観ているとよくわかる。子供向けアニメだと思っていた『デジモン』が、いつの間にかとんでもなく難しいものになっているのだ。かつて細田守が監督していた頃の『デジモンアドベンチャー』とは、かなり雰囲気が違う。

 いや、もしかしたら今の子供達には劇中に登場するようなサイバーな世界が身近なものだから、何てことなく頭に入ってくるのかもしれないが、登場する用語もやっていることも、単純さが一切無いではないか。ふと考えてみれば、前作『第2章「決意」』こそ春休み公開だったとはいえ、長期連休の終わったこの時期に公開されること自体、ターゲットを小学生世代に見据えていないことがわかる。つまりデジモンは、小学生でも主人公たちと同じ高校生でもなく、リアルタイムで最も熱狂した世代と一緒に成長していく手段を選んだわけだ。従来の子供向け作品のように、一定の年齢層に照準を絞って何年も同じ作品を作っていくのではなく、時代の流れや観客の成長を見据えながら、進化していったのである。結果として、従来のファンの心を掴み続けているのだから、その戦略はある意味では正しかったと言えそうだ。

 一方で、子供向けとして夏休みの定番アニメ映画となっている『ポケモン』は、大きな壁にぶち当たっているようだ。毎年コンスタントに制作されているが、興行的には低迷の一途を辿っている。動員が落ち込むと、劇場限定のポケモンを配布して再燃を図っているが、シリーズ最低記録を年々更新しているのである。その大きな原因のひとつには、子供達の流行の変化。つまり『妖怪ウォッチ』の存在があるのだろう。

 いくら公開時期をずらしているとはいえ、そもそものコンテンツへの注目度を考えれば、『スター・ウォーズ』を敗るほどの動員力を持つ『妖怪ウォッチ』は脅威でしかない。では、『妖怪ウォッチ』が『ポケモン』に迫るコンテンツになったのはなぜか。理由のひとつに、それが現実(に限りなく近い)世界の中で起こる物語であることが挙げられるのではないだろうか。

 どちらも架空の街を舞台にしているが、『ポケモン』のマサラタウンは(関東を想起させるカントー州といえども)完全にファンタジーの世界だ。対して『妖怪ウォッチ』のさくらニュータウンは、病院もあれば学校もある、見慣れた街並みと同じ世界が広がる。スマートフォンを使いこなして多くの情報に触れることで、より現実的になっている現代の子供達には、現実とファンタジーの境界が曖昧になっているほうが親しみを覚えるのかもしれない。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「映画シーン分析」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる