“ゆとり世代”という言葉は当事者をどう苦しめている? 『ゆとりですがなにか』第二話が描く人間像

 坂間正和(岡田将生)が後輩の山岸ひろむ(太賀)を説教した翌日、山岸はLINEで退職届を一斉送信して会社をやめてしまう。その報告を受けた直後、電車の人身事故で山岸が自殺したと思った坂間は病院へ向かう。

 緊迫した場面からはじまった『ゆとりですがなにか』第二話だが、自殺した男は山岸とは別人だった。山岸は、「水族館に行っていた」と、フェイスブックに書きこんでおり、無事だったとわかる。ここで終わっていれば、「死んだのは別人だった」というブラックジョークだが、自分とは本来無関係だったはずのサラリーマンの自殺に対して坂間が「もしも死んだのが自分の部下だったら」と想像することで、意外な展開を見せる。

 坂間は、息子を亡くした母親と企業の弁護士がマニュアル通りにやり取りする姿を見て「もし自分の部下が自殺したら」という名の芝居を見せられているような気持ちになり、やりきれない思いを抱える。そして、自殺した男の母親・明子の元を訪ねる。焼きそばをいっしょに作りながら、母親の死んだ息子の話を聞く坂間。明子は坂間に今度山岸に合ったら「優しくしてあげて」という。「山岸と息子さんは違いますよ」という坂間に対して明子は「親がいるのはいっしょでしょ」と言って、息子さんが持っていた「忍耐」と書かれた将棋の駒の形をしたキーホルダーを渡す。本来なら無関係な人間を出会わせることで、脚本家の宮藤官九郎は何を描こうとしているのか?

 第二話では親子のやりとりを見せる場面が多い。

 小学校教師の山路一豊(松坂桃李)は、レンタルおじさんとして悩みの相談をしていた麻生巌(吉田鋼太郎)が、坂間と山路から高額の料金をぼったくった風俗店の呼び込み・道上まりぶ(柳楽優弥)と話しているところを目撃する。実は二人は親子で、坂間と山路の個人情報は筒抜けだったことがわかる。第一話では台詞のほとんどが「おっぱい」だったまりぶは、クドカンドラマによく出てくるヤンキー系の馬鹿キャラで、本作がTBS系で作られていたら長瀬智也が演じていたかもしれない。

 今までの宮藤なら主役に添えていただろうが、大卒で普通に就職して真面目に働いている坂間の視点からドラマが展開されているのが、過去のクドカンドラマとの大きな違いだと言える。強面で危険な仕事をしていたためか、ゆとりから一番遠い場所で生きているように見えたまりぶだが、すでに結婚して子どもがいるのに「東大を目指して11浪中」という、まったく現実が見えていない男だった。
 
 まりぶを持て余している麻生に対して「クズでしょ。俺も、やまちゃんも、アンタの息子も。だけど、みんな違う。クズだけど、それぞれ違うクズなんだから「ゆとり」なんて言葉でくくらないでください」と坂間は言う。

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