『美味しんぼ』「究極対至高」の名勝負ーー海原雄山を倒した5つの料理といえば?
料理漫画の代名詞的存在、『美味しんぼ』。作品の見どころの一つとなっていたのが、「究極対至高」の対決だ。
これは山岡士郎が勤務する東西新聞社が紙面で「究極のメニュー」を始めると、ライバル新聞社の帝都新聞社が海原雄山を担ぎ出し、「至高のメニュー」をスタートさせ、競うように連載を始めたことがきっかけだ。
対決に目をつけた雑誌「週刊タイム」が料理対決を持ちかけ、両社は定期的に対決を行うことになった。その勝敗は究極側からみて5勝7敗16引き分けと苦しいものに。しかし海原雄山という大人物に対し、臆することなく挑み5勝を勝ち取っている山岡も、健闘しているだろう。そこで今回は究極が至高を倒した料理を検証したい。
・カキの清蒸(カキの料理法)
究極が初めて至高に勝利したのは、20巻に掲載されたカキ料理対決。雄山がカキ料理を出した料理店をメディアで酷評し、それを逆恨みした店主の川地が包丁で殺そとしたことがきっかけだ。
その後、「究極対至高」の対決となり、川地は究極のメニュー側の料理人として参加することに。至高を倒したことがなかった山岡と栗田ゆう子はカキのシャンパン蒸しを出そうと考える。ここでたまたま遭遇した雄山がシャンパン蒸しをダメ出ししたうえ、調理法のヒントまで与えてしまう。
結局対決で究極側は香りを鮮烈に出す「カキの清蒸風」を出し、勝利。東西新聞社側は喜んでいたが、川地は雄山が事前にヒントを与えてくれたことから、「自分のためにわざと負けたのではないか」と考えていた。
山岡の初勝利は、雄山がアシストしており、「わざと負けた」という声も多い。
・ザル豆腐(豆腐勝負)
22巻で展開された豆腐勝負。この回では究極側の二木まり子が雄山の側近であるオチヨに接触し、至高側が汲み出し豆腐を出すという情報をキャッチ。喜び勇んで山岡に伝達する。
誇り高き山岡は不正を良しとせず、対決を中止するよう申し出る。ところが、余裕の雄山が「究極が汲み出し豆腐を超えるものは作れない」と拒否。さらにはオチヨに「士郎に言っておけ。一番旨い豆腐はやっぱり豆腐なんだと。それが答えだ」と伝言を残す。
山岡は一時憤慨するも、すぐに雄山の真意を感知。「ざる豆腐」を勝負に出し、勝利を収めた。究極の2勝目も、雄山のアシストを受けたものだった。
・素食(お惣菜料理 長寿料理対決)
沖縄を舞台に行われた28巻の長寿料理対決。石垣島のサンゴ礁を壊し、新空港やリゾート開発を目論む筒金という男が雄山と山岡が協力して退けるなど、社会問題も絡んでいた回だった。
雄山は対決で烏骨鶏、フカヒレとスッポンが入った鍋、栗ご飯、ツバメの巣など、高価な料理で勝負。一方、山岡は「粗食」をテーマに沖縄料理の足テビチ、ミミガーや茹で枝豆のダシ汁、ゴーヤチャンプルーなどを出し、「その土地の風土に根ざした材料で作る贅沢ではないが、毎日食べても飽きない料理。それが真の長生き料理」と訴えた。
判定はゴーヤチャンプルーと山岡の訴えが決め手になり、究極の勝利。敗北が決定した雄山は肩を落とすことなく、同席した筒金を「どちらもの長生き料理も気に入らないんじゃないですか石垣島の長生きに興味のない人間に自分の長生きだけ興味があるのもおかしな話ですからね」と笑い飛ばし、その場から追い出した。
対決後、審査員の唐山陶人が雄山に「おまえが石垣島の新空港建設をタネに導いていなければ、士郎は今日の発想を得ることができなかっただろう」と声をかけており、今回の勝利も雄山の手助けがあったことを匂わせている。
・洋風の朝食(愛ある朝食 朝食対決)
栗田と山岡の結婚問題で揺れる最中に行われた42巻の朝食対決。団社長と近城カメラマンが栗田にプロポーズをしたことにショックを受ける山岡が連日二日酔いとなったため、栗田が対決を担当することになる。
山岡との結婚を視野に入れていた栗田は、雄山の側近であるオチヨの教えを受け、山岡の母が作った朝食を覚え、対決へと向かう。豪華な和食で勝負する雄山に栗田は牛乳、野菜サラダ、焼きたてのパンとバター、そしてマーマレードと一見「ありふれた」朝食だったが、実は全て最高の素材を使ったもので、見事に勝利を収めた。
栗田に負かされるという屈辱を味わった雄山だが、負けを告げられた際、なぜか嬉しそうにも見える表情を浮かべていた。それもそのはず、栗田が作った料理が、かつて妻が作った料理であることを見抜いていたのだ。
対決終了後、栗田は雄山に「奥様のお料理を盗みました」と謝罪。雄山は文句を言うことなく、「オチヨか。しかしあのバターは違う。私の妻はあのバターを作らなかった」と褒め称えた。
右も左もわかっていなかった新入社員の栗田が、百戦錬磨の雄山を倒す。そして間接的に雄山と妻、つまり山岡の母が愛し合っていたことを示す。大きな手柄を立てたといえそうだ。
初期の美味しんぼでは雄山は暴君、山岡は正義として描かれたが、「究極対至高」が始まると、雄山の「器の大きさ」が目立つようになる。それどころか、息子である山岡に負けて喜んでいるようにも見える描写も。雄山は「究極対至高」の対決を楽しんでいたのかもしれない。