【連載】『ガンダムZZ』は“見なくていい”作品なのか?
大人VS子供、秩序VS放埒、不純VS無垢……『ガンダムZZ』の対立軸から“ニュータイプ”の位置づけを考察
一方で、19話はプルの子どもっぽいわがままがアクシズの市民に対して甚大な被害をもたらす回でもある。プルはジュドーの気を引きたい一心であり、そのために最初はリィナの居場所をジュドーに教えようとしていた。しかしジュドーに拘束されて放っておかれたことで、強い不安と怒りを覚え、リィナを拉致した上にキュベレイに乗ってジュドーの前に立ちはだかる。さらに、プルの感情の爆発はモビルスーツの暴走をもたらし、ジュドーの計画にも大きな影響を及ぼした。ここからもわかるように、『ZZ』は子どもじみたわがままを100%肯定的に描いた作品ではない。
しかし同時に、『ZZ』は子供のような激しい感情の発露をニュータイプ的な能力と結びつけて描いている作品でもある。19話では激昂したプルの周りに黄色いオーラのような光がまとわりつき、劇的な感情の発露とニュータイプ的な能力の結びつきを視覚的に表現していた。初代の『機動戦士ガンダム』ではニュータイプとは宇宙に進出した人間に発生した進化であり、宇宙という環境への適合によって、オールドタイプには見えないものが見え聞こえないものが聞こえる……ということになっている。なので、ニュータイプ能力は子供らしい無垢さや劇的な感情の発露とはさほど関係のない概念のはずだった。だが、大人VS子供、秩序VS放埒、不純VS無垢という『ZZ』が孕む対立軸の中で、プルの登場によって「子供サイド」にニュータイプ能力の発言が組み込まれたような印象がある。
また、ジュドーとプルは大人の体制に飲み込まれておらず、感情のままに動くことができるという点で共通している。この特徴は、ひと足先に「戦争」という状況に適応し、兵士のような行動をとれるようになったエルやルーにはないものだ。この差が今後物語にどんな影響を及ぼすのか(また及ぼさないのか)、注目したい。