追悼・森英恵 “東洋人初のクチュリエ” 自伝『グッドバイ バタフライ』から世界的ファッションデザイナーを知る
日本人で初めてパリ・オートクチュール組合員になった偉大なる女性・森英恵(もり・はなえ)氏が、2022年8月11日、老衰のため96歳で亡くなった。“洋服”を生涯の職業として、長きにわたり走り続けてきた同氏の自伝には、いまを生きるヒントが詰まっている。
森英恵氏は、1926年、島根県生まれ。’47年、東京女子大学卒業と同時に結婚するも、主婦業に留まりたくないという思いと、きれいなものをつくって着たいという思いから、ドレスメーカー女学院に通う。その後、友人と東京・新宿に「ひよしや」を開店。’50~60年代前半にかけて、数々の日本映画で名女優の衣裳デザインを担当した。
’65年、ニューヨークで初の海外コレクションを発表。’77年には東洋人として唯一、パリ・オートクチュール組合への加入が認められ、世界を舞台に活動を続けた。ミラノ・スカラ座のオペラやパリ・オペラ座のバレエの舞台衣装も手掛けている。
主な受賞・受章歴は「朝日賞」、「紫綬褒章」、「文化勲章」、「レジオン・ドヌール勲章」。
2004年にパリ・オートクチュール組合を引退し、世界の第一線から退いた後も、「森英恵ファッション文化財団」を創設し、若手デザイナーの支援などに精力的に取り組んでいた。
故郷の島根から東京へ。主婦から身を起こし、1960年代にはアメリカに進出。そしてパリへ。
作品のモチーフや柄にしばしば「蝶」を用い、欧米人から“マダム・バタフライ”の愛称で親しまれた森英恵氏。
パリのオートクチュール組合のメンバーとしての最後のショーを見た、ヘラルド・トリビューン紙の著名な編集者スージー・メンケス氏が書いた記事のタイトルから名付けた著書『グッドバイ バタフライ』(文藝春秋)は、森英恵氏の知られざる生涯と輝かしい仕事が詰まった一冊だ。
森氏はとあるインタビューで、自身のファッション観について「ファッションは“時代の風”。日常の生活の中で、新しい空気を掴(つか)み、それほど遠い未来のためではなく、やがて訪れる季節を新鮮なかたちにする。暮らしを豊かにして、それぞれの個性を表現する」と語っている。
日本の伝統や文化の価値を見出し、日本人ならではの感受性や卓越した手仕事の技を武器に、世界の第一線に立ち続けてきた森氏。『グッドバイ バタフライ』として自伝がまとめられた背景には、日本人の同化(アイデンティティの喪失)と人間のコンピュータ化に対する森氏の「危機感」がある。
島根の山間に生まれた森氏は、菜の花やレンゲのたんぼに飛び交う「蝶」に“希望”を感じ、作品のシンボルとした。そしてその蝶は、世界を羽ばたく蝶になった。
世界の距離が近くなり、AI時代が到来し、世の中が常に激しく変化する現代。人間、ひいては日本人に残されるものは何かを考えたとき、森氏の生涯と仕事に、時代の節目を越えて、輝かしく生きる続けるための希望が見出せるように思う。