開花しなかった天才、道をそれた天才、今なお描き続ける天才……あだち充の兄通してマンガの黎明期を描く『あだち勉物語』

 歴史に名を刻むのは一部の人間だが、時代は無数の記述されなかった人々を巻き込んで作られる。

 マンガ史的にはほぼ無名と言っていい、ひとりの男の伝記的マンガ『あだち勉物語』(ありま猛)を読みながら、そんな言葉が頭に浮かんだ。

 主人公の名前はあだち勉。あだち充の兄であり、自らもギャグマンガを多くの雑誌に作品を発表する、期待の新星のひとりだった。しかし、奔放で遊び好きな人柄が災いし、週刊誌が誕生し、マンガ業界が大きな盛り上がりを見せる頃には、マンガ界の中心から外れてしまう。

 『あだち勉物語』は、この無名のマンガ家の軌跡と、彼と同時代を生きた人々の生き様を、3つの軸を中心に描き出している。軸の一つは赤塚不二夫プロでの出来事だ。安定した筆力の勉は『おそ松くん』『天才バカボン』の作者・赤塚不二夫のチーフアシスタントとして迎え入れられる。

 人好きでさみしがり屋な赤塚は、編集者とも仲間ともよく呑み、よく遊んだ。そして、時に周囲の人にいたずらを仕掛けてもいた。最も印象的なのは、編集者にニセ原稿を渡すエピソード。バカボンのパパとママのセックスシーンが描かれた原稿を、編集が突き返そうとする。それを「作家として譲れない」と無理を言い、ついにニセ原稿を破り捨てる。あまりの態度にブチ切れた編集者が「あんたは鬼だ!付き合ってらんねーや!バカ塚担当辞めたる-!」と叫ぶ場面は何回読んでも笑える。

 その一方で、「2億円の横領の末に逃げだした元従業員を訴えない」「ホームレスと友達になる」などおおらかなところもある赤塚。勉はアシスタントとしてだけでなく、遊び仲間として赤塚と肩を組んでいた。

 もうひとつの軸は弟・あだち充との関係を基にしたあだち兄弟の物語だ。破天荒な勉に対し、一見おとなしい優男に見える充。しかし、そのたたずまいには、独特の豪胆さが見える。勉がケンカか何かで逮捕・拘留されている間に、それとは知らずに充が旅行に行く話がある。不起訴で出てきた勉に対し、再会時の充の第一声は「拙者をお捜しで?」というひょうひょうとしたもの。トラブル慣れした弟のたくましさがわかる。

 そして、最後の軸は描き手であるありま猛の「まんが道」だ。勉の作品に憧れ、押しかけアシスタントして東京に居を構えたありまは、勉と古谷三敏のふたりを師匠とし、マンガ家としての道を歩み始める。

 勉は不思議な師匠だった。新作をまんべんなくチェックし、こだわりを持って後輩を指導する熱意を持ちながら、学年誌だからといってネタを使い回すいい加減さもあった。

 なかなか芽が出ず進退に迷う後輩に、厳しい言葉をかける一方で、ありまには「やめるのは悪いことではない。自分に向いた仕事を探せばいい」と伝える。そして、マンガをあきらめて帰郷する後輩に餞別を贈ったりもする。

 面白おかしいエピソードの連続は本作の大きな魅力だが、単なるネタの開陳にとどまらないのは、本作がマンガ黎明期の活況と変動、さらに青年期の葛藤を描いているからだろう。ありまは時にエピソードの時系列を組み替え、事実を脚色しながら、膨大な数の人物とエピソードをうまく1話に落とし込んでおり、その構成力に毎話感動する。

 連載中の本編ではまだまだ赤塚・勉・充は同じマンガというフィールドで活動しているが、この後、彼らの道は少しずつ分かたれていく。マンガが大好きだったはずなのに、マンガから距離を取ってしまう勉、赤塚。国民的作家となる充。そして、ヒットは出せないものの、安定して仕事を得ていくありまーー。

 開花しなかった天才。道をそれてしまった天才。今なお描き続ける天才。そして、歴史に名を刻むことなく引退した多くのマンガ家たち。かわいらしい絵柄で、時に人間の業を描いてきた冷静にありまが、それぞれの変化をどのように描くのか、これからも目が離せない作品だ。

『あだち勉物語』~あだち充を漫画家にした男

https://www.sunday-webry.com/episode/3269754496551508430

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