古川日出男が語る、いま『平家物語』が注目される理由 「激動する時代との親和性」
『平家物語』は「語り」の文学
――現代語訳をやると決めたあと『平家物語』の原文に向き合って、まずはどのような方針を立てたのでしょう?
古川:『平家物語』の原文を読んで思ったのは……率直に言って、面白くないところがいっぱいあるわけです(笑)。しかも、ものすごく面白くないところは、冒頭に集中していると。で、それを面白くするためにいちばん簡単なのは、そのパートを全部オミットしてしまうことなんですけど、それって翻訳ではないというか、現代語訳ではないと思って。少なくとも全訳にはならなくって、抄訳にしかならない。どうせ労力をかけるならば、僕は全部訳したかったので、面白くないものを読ませるには、どうしたらいいのかっていうことを考えて……まずは、原文を最後まで読んで、その全体像を把握した上で、この「面白くない」のは何かっていうのを考えたんです。
――なかなか不思議な作業ですよね(笑)。
古川:というか、ただの苦行なんですけど(笑)。けれども『平家物語』は、仏教に関する話も多いですし、苦行をすることは、やはり大事なのではないかと思って(笑)。で、いろいろ考えた末にわかったのは、当時の人の常識がわからないから面白くないんだっていうことで。僕らは、『平家物語』をはじめ、古典を読むときに、注釈とか解説が上だの下だのカッコだのに入っているから、なんとなくわかるわけですけど、当時の人はそういうものがない状態で、わかったわけですよね。ということは、それの現代語訳をするならば、注がなくても訳文の中にある程度わかるようなデータが最初から入っている形にしなくてはいけないと。
――なるほど。
古川:もちろん、これはこれでリスキーな選択で、そうすると最初はどうしても冗長になってしまうんですけど、一個説明して、その20ページ後ぐらいにもう一回同じことを説明したら、そのあとはもういらないじゃないですか。そうやって、ていねいに言葉を足していけば、当時の人の常識を今の読者に与えられるかもしれないということに、まずは気づいたわけです。ただ、それだけでは、好事家が読む作品にしかならない。普通の人たちが読んでも面白くするためにはどうしたらいいのかっていうことを、次に考え始めて……『平家物語』が面白くないのは、今の小説が持っている、読者を惹きつける力がないからだと気づいたわけです。それはつまり、『平家物語』が「語り」の文学であるということに繋がってくる話なんですけど。
――「読む」前提ではなく、「聴く」前提で作られた物語であると。
古川:そう。僕らは『平家物語』を文章として読んでしまうけれど、あれは本来、琵琶法師が演奏したものを耳で聴いて楽しんだものなんです。だから、面白かったんだと。つまり、読者が「聴いている」ような現代語訳にしなくてはいけないと思ったんです。「小説」なんだけど「音楽」のような……そういう何か特殊な「語りもの」にすればいいのではないかと。で、そのためには、どんな「語り」の手口があるだろうっていうことを、結構長いあいだ考えて……その「語り手」の口調から、その人の階級や生い立ちがわかるようなものを準備して、そういうリアルな存在が、自分の脇でこの物語を説いているような形にすれば、現代の読者にも読めるものになるはずだって思ったんです。
――そもそも『平家物語』は、ひとりの「書き手」によるものではなく、複数の「語り手」によって紡がれた物語でもあるわけで……。
古川:そうなんです。『平家物語』を訳していて思ったのは……この物語には、平家のみならず、源氏側の名前もいっぱい出てくるじゃないですか。で、思ったのは、日本の津々浦々で琵琶法師たちがこの物語を演奏していく過程で、聴き手の側から「自分の地元の人間や自分の親戚筋、先祖筋を入れてよ」っていうリクエストが、結構あったのではないかということだったんです。ラップの用語で言えば「レペゼン」ですよね(笑)。自分たちをレペゼンするような人物を、もっと登場させたり活躍させてほしいと。実は、そういうものが、かなり盛り込まれている話なのではないかと思って……。
――「語り手」が複数いるどころか、「聴き手」のいろいろな要望も含まれていると。
古川:そう。そういう意味で、『平家物語』は、非常に不思議な文学作品だと思うんです。僕らはどうしても、「作家」というのはひとりで、その人が「創造主」のようにひとりで作り上げていくものだって思うけど、『平家物語』の場合は、琵琶法師たちが全国津々浦々で演奏して……そこでオーディエンスのいろいろな反応があって、ここがウケたとか、ここをもうちょっと語りを足せと言われたとか、勝手にどんどん膨らんでいって。で、その人たちが全国を歩き始めて5年とか10年とか経ったあと、都に集まって、お互いの話を披露しながら「ここはウケた」とか「いや、こっちのがウケた」、「北国に行ったら、ちょっと北国の描写が足りないと言われたから、俱利伽羅峠の戦いを増やした」とか、言い合っていたんじゃないかと(笑)。そういうコラボレーションの究極の形みたいなものが、何か起きているような気がして。それはそれで、すごい文学の在り方だなって思ったんですよね。文学が生まれる「場」そのものとして、『平家物語』が機能しているっていう。だから僕は、現代語訳という形で、その「場」に参加させてもらったような気がしていて。『平家物語』という集合的に作る文学のマトリックスのようなものがあって、それから700年、800年経った今、そこに自分も加わったっていう。そういう感じがありました。