世界一のイリュージョニスト・HARAが説く、“夢を持つこと”の本当の意味 「人生の最期にちょっとでも笑うために」
マジックの世界大会『World Magic Seminar Teens contest』で日本人初のグランプリ受賞、『Future Stars Week』への日本人初出演、『マーリン・アワード』“Most creative illusionist”日本人初受賞ーーそんな華々しい経歴を持つ、イリュージョニスト・HARA。昨今ではテレビ番組や雑誌などにも多く出演しており、さらに注目が集まるなかで、3月14日には彼の自伝小説『マジックに出会って ぼくは生まれた―野生のマジシャン HARA物語-』も発売される。「自分で読んで感動しました(笑)」と話すHARAに、同書に込めた思いや生い立ち、考え方などをじっくり語ってもらった。(高橋梓)
人にバカにされるような大きな夢でも叶う
――『マジックに出会って ぼくは生まれた―野生のマジシャン HARA物語-』の出版、おめでとうございます。書籍を出したいという思いはもともと持っていらしたのでしょうか。
HARA:子どもの頃、マジシャンになりたいと思った時に母から「自分の夢年表を書きなさい」と言われたことがありました。10歳でこのマジックを覚える、中学1年でこうなって、中学3年でこうなって……というものを30歳まで書き出したのですが、その中に「自伝が出るような人になりたい」と書いていました。図書館で伝記を読むのが好きだったこともあって、自分の本が図書館にあったら嬉しいな、と。それが気付いたら現実になっていました。
――その年表通り、順調に目標は達成されていたのですか?
HARA:実は、年表を書いたことは忘れていたんです。ただ、この間実家に行った時に発見して、見返したら、「アメリカの大会で優勝する」「『情熱大陸』に出演する」など、書いていることが全部叶っていたんですよね。自分で予言の書を書いてその通りの人生になったというか。今のところ、これが僕の人生で一番のマジックです(笑)。
――忘れていたということは、年表を実現することを狙っていたわけではないんですよね?
HARA:そうですね。でも、紙に夢を書くと叶うと思っています。例えば、本屋に行ってどれだけたくさんの本が並んでいたとしても、自分の興味があることが書かれている本が目に飛び込んできたりしませんか? 僕も1000冊くらいの本の中からマジックの本をすぐ見つけられるんですよ。意識が向くことによって、目に入ってくる情報は変わります。書き出すことで勝手に行動が変わって、夢が叶うんじゃないでしょうか。
――「夢」というのは同書のポイントでもあります。この書籍を通してHARAさんが伝えたかったことを改めて教えてください。
HARA:「人にバカにされるような大きな夢でも叶うよ」ということです。子どもたちにそれを伝えたいと思っていたのですが、出来上がったものを読むと子どもを持つ親世代にも読んでほしいと感じました。今1歳の娘がいるんですが、娘が「マジシャンになりたい」と言ったら、反対しちゃうかもしれません。でも、僕の両親は応援してくれたんですよね。
――書籍の中でもご両親のお話がたくさん出てきました。プロを目指す過程の中で「日本を出ろ」なんてお父様の台詞もありますね。
HARA:本当にぶっ飛んだ親父でした(笑)。子どもたちを食べさせるために葛のつるから芸術作品を作ったりしていたのですが、もともと芸術に興味があったタイプじゃないんですよ。それでも自分の感性だけを信じて作品を作り上げていました。そういった人に流されずに自分のインスピレーションを信じて形にしようとする姿は父から学びました。
――HARAさんのショーを拝見すると見せ方が唯一無二だと感じるのですが、そういった部分にもお父様から学んだことが活かされているのでしょうか?
HARA:そうですね。でも自分でも演劇を勉強したり、ダンスを習ってみたり、いろんなことを試しましたよ。日本だとマジックはタネ種を見破るゲームのようなイメージが浸透してしまっているのですが、世界ではパフォーミングアートとして捉えられています。日本の間違ったイメージを変えるために、僕は“イリュージョニスト”と名乗っていて。今までにないショーを届けたいので、どう非現実を楽しめるアートにするかという部分にこだわっています。
――マジック自体は「ビデオをコマ送りで見て独学で学んだ」とありますが、見せ方はどのようにして身につけたのですか?
HARA:僕の実家は山の中にあって、すごく見晴らしがいいんです。そこで山の木を全部お客さんだとイメージして、木に向かってマジックをやって見せていました。近くに大丹倉という場所があるんですが、夕暮れ時にそこに行って、トランプを出す練習もしていましたね。
――自然豊かな場所ならではですね。
HARA:山の中で1人で練習していたので、周りと自分を比べることはできませんでした。同世代は街で何をやっているとか、全然わからないんですよ。僕は学校に行くバスの中でガラスに反射する自分の姿を見ながらトランプを出したり消したり、黙々と練習していて、帰ってきたら大丹倉に練習しに行って。しかも同世代だけじゃなくて、他のマジシャンとも比べることができない。どこまでできたらプロと呼ばれるレベルなのかもわからないまま、手探りでやっていました。結果的にそれがよかったとも思います。今だと、マジックを覚えたいと思ったらYouTubeで検索したら解説動画とかすぐに出てくるじゃないですか。でも当時はそれがなかったので、自分と向き合って、真似事ではなく、自分のマジックを作り出す時間がありました。そこにはすごく感謝しています。
目を見ればどこまで行ける人かわかる
――今お話しいただいたバスでの練習を始めとする、様々なエピソードが書籍には描かれています。振り返ってみて、ご自身にとって一番大きな影響があったと思うエピソードはどれでしょうか。
HARA:やっぱり5歳の時の両親からのクリスマスプレゼントですね。ミニカーが欲しいってお願いしたのに、袋の中にはお風呂を炊く薪の破片と小刀が入っていたという。子どもながらに「どういうこと?」と思って父親のところに行ったら、「ミニカーが欲しいなら自分で作れ」と(笑)。欲しいものは何でも自分で作れるから、まずはやってみろということを叩き込まれました。そこで想像できたり、インスピレーションを得られたものは絶対に具現化できる、という信念が持てましたね。「とりあえずやってみよう」という精神が5歳で身についたのはよかったです。その時ミニカーが袋に入っていたら、マジシャンになっていなかったかもしれません。
――現在も常に最新技術をチェックして、試行錯誤しながらアイデアを形にしているとお話ししているインタビューを拝見したことがあります。
HARA:そうなんです。大昔からマジシャンと科学者が、世界中の最先端の技術を取りに行くことを競争しているんですよ。電磁石が世界で初めて開発された時も、一番最初に食いついたのがフランスのマジシャンだった。子どもでも持ち上げられる箱を、指スナップすると大男でも持ち上げられなくなるというマジックを電磁石を使って作っていました。どうやったら人が感動して驚くのかなと、新しいものを追求するのが昔からマジシャンのスタイルなんです。もちろん僕もそうで、コロナ前はパスポートがいつも鞄に入っていて、新しい技術がフランスにあるらしいと聞いたらすぐにチケットを取って現地に飛んで、この技術を僕に先行で使わせてくれって交渉していたりもしました。キャッシュを持っていって、飛行機の中で書類を作って、テレビで演じる権利を買い取ったこともあります。
――すごい行動力です。
HARA:もう執念ですよね。僕、根本的には「目の前の人を喜ばせたい」という気持ちがあって、その手段としてマジシャンを選んでいるんです。実は、マジシャンになると決める前は歌手になりたくて、小学1年生の時にお楽しみ会で歌ったんですけど全然盛り上がらなかったんですよ。だけど、翌年マジックをやったら、当時好きだった女の子が振り向いてくれて(笑)。その時に「人を魅了するには、マジックが最強だな」と思いました。実際、世界中の色んな所でマジックをしていますが、言葉を交わさず、年齢も性別も関係なく一瞬でみんなを魅了することができています。歌だったら言葉の壁があるから、それができていなかったかもしれません。
――人を喜ばせたい気持ち先行、なんですね。
HARA:5歳くらいから家に人が来てパーティーをしている時も、その人たちを魅了したいという気持ちがありました。黒いゴミ袋を切って衣装を作って、ピアノを弾きながら歌うなんてこともしていました。
――様々な体験と思いが今のHARAさんに繋がっていると感じました。書籍の中でも多くのご友人やマジシャン仲間とのお話が出てきています。彼らから受けた影響も大きいのでは?
HARA:特に、日本人で初めてカードマジックで世界チャンピオンになったマーカ・テンドーさんの影響は大きいです。僕がまだ精度の低いマジックしかできなかった小学生の頃、「君だったら絶対世界で活躍できるよ」と言ってくださって。それが大いなる自信になりました。
――マーカ・テンドーさんがHARAさんにその言葉を掛けた理由を、ご自身ではどう分析されますか?
HARA:目が本気だったからだと思います。僕も今、マジシャンを目指している若い子に会うことがあるのですが、目を見ればどこまで行ける人かというのは一瞬でわかります。ステージに立つ人って目で人を魅了するんですよ。目を使って空間を支配し、お客さんと繋がる。どれだけマジックがうまくても、目に輝きがない人は無理だと思います。
――HARAさんは挫折も経験されていますが、目の輝きを失わなかったのはなぜなのでしょうか。
HARA:僕自身はあまり挫折と思っていないんです。「死ぬまでにこうなりたい」という大きなビジョンがあるので、全てが通過点というイメージ。例えば「ラスベガスの大会で優勝したい」が最終目標だと、「優勝しなきゃいけない」と力が入って、失敗してしまったりします。でも、僕は死ぬ瞬間に「いい人生だったな」って思って死にたいというビジョンなので、一般的に挫折と言われることがあっても単なる通過点です。例えば、好きな女の子に告白して振られたとしても、挫折ではなくて「いつかネタになるな」って考えます(笑)。
――ポジティブですね……! そういった考え方も、唯一無二のショースタイルに繋がっているのかもしれないですね。ショーのアイデアはどうやって生まれているのですか?
HARA:最近ルーティンがあるんです。朝5時半くらいに目が覚めて、家にあるサウナの電源をオンにしてから近所のお宮さんにお参りしに行きます。その後浜辺を散歩するんですが、波の音や鳥が羽ばたいているのを見ながら歩いていると頭の中にアイデアの切れ端のようなものが落ちてくるんです。それを逃さないように小さな手帳にメモ。散歩から帰ってきたらホワイトボードに浮かんできたアイデアを全部書き出して、サウナに入って、心身を整えて。10時くらいになったら初めてパソコンと携帯の電源をオンにして、アイデアをまとめています。
僕、家に帰ったら電源を切った携帯を外のポストに入れて、翌日まで触らないようにしているんですよ。スマホを触るとアイデアの阻害になるので。イリュージョンでデジタルをたくさん使いますが、そのデジタルと距離を取ったら今まで考えられなかったようなインスピレーションが湧いてくるようになりました。
――様々なものをチェックするために、ずっとスマホやPCを触っているのかと思っていました。
HARA:余白がないと新しいものは生まれないですからね。意図的に日常の中で余白を作ると、新しいものが生まれやすくなります。