『珈琲いかがでしょう』が問いかける“人の道” 王子様スマイルの裏に隠された思いとは?
「WEBコミックEDEN」にて2014年2月から2015年12月にかけて連載された『珈琲いかがでしょう』。作者は『凪のお暇』のコナリミサト。中村倫也主演で実写ドラマ化され、現在オンエア中だ。連載終了から5年経ったにも関わらず、高い人気を誇っている作品でもある。
主人公は移動珈琲屋「タコ珈琲」を営む青山一。行った先々でおいしい珈琲と言葉で人々を癒していく。誰しもが抱える悩み。その大きさはさまざまだが、本人にとって重要であることには間違いない。悩む人たちそれぞれに合った珈琲を提供していく青山はなんだか魔法使いのようにも見える。
そんな人々の日常を描いたハートフルな作品……かと思いきや、実は青山、かつてはヤクザだったというハードな過去の持ち主だった。
優しい珈琲屋店主のギャップがありすぎる過去
ふわふわしていて、ちょっと天然で、言っていることは正論だけれど、相手を傷つけるようなことは言わない……と一見してみると珈琲王子、と言ったところである(描写からイケメンでもありそう)。
しかし、常に誰かから逃げているようにも見える。長く同じ場所には留まらない。常連ができたとしても、自分について多くを語ることなく立ち去ってしまう。だから、人によってはその珈琲の味が恋しくて恋しくてたまらなくなる……ということもある。
そんな彼の過去とはヤクザ。もともといた組から追われているのである。それも、かつて自分を慕っていた弟分に。
目立つ移動販売車に乗っていることもあり、本気で探されたらたぶんすぐに見つかる。定住しないことによって身軽になれる(どうやら販売車の中で寝泊まりしているらしい)という利点はあるが、絶対に見つかりたくないなら、もっと身の隠し方というのはあるはずだ。それでも、移動珈琲屋を続けるのには理由があった――。
人生の分岐点となった珈琲
ヤクザのころの青山は、いわゆる「やべーヤツ」で、上から言われたら対象者をギリギリまで痛めつける。派手ないでたちに返り血を浴びている姿は異様だ。それが一杯の珈琲によって運命が変わる。
青山はヤクザのときから仕事のあと区切りをつけるために、珈琲を飲んでいた。仕事上がりに必ず立ち寄る漫喫で。そこの珈琲は泥水みたいでまずい。それでも毎回飲んでいたのは青山にとっては無意識のうちに行っていた儀式のようなものだったのかもしれない。
そんなときに会ったのが、おいしい珈琲を淹れる“たこじいさん”だった。
「どうせなら小粋にポップに生きてえからよ」
たこじいさんの言葉が響いたのか、珈琲があまりにもおいしかったからなのかは分からない。どちらにしろ、青山は珈琲にのめりこんでいく。何もなかった人間が何かを持ち始めると、人から無条件に何かを奪うことにためらうようになり、ヤクザの仕事にも疑問を持つようになる。青山はもともと何かを求めていて、それがたまたま珈琲だっただけの話かもしれない。
そして、珈琲の淹れ方を学んでいく中で人としての付き合いについて見つめ直す部分もあったのだろう。
「かかわってもかかわんなくても同じなら
かかわっといた方がいいんじゃねぇかって思うようになっただけだ」
明日死ぬかもしれない。そんな想いが青山を変えた。