会社員の〈私〉は窓から身を乗り出して……津村記久子『サキの忘れ物』で発揮された作家性

津村記久子『サキの忘れ物』レビュー

 津村記久子の最新短篇集『サキの忘れ物』は、全9篇それぞれ一風変わった状況で、人間の深層心理や物事の本質、はたまた事件の真相や観光地に隠されたカラクリまで浮かび上がる。たとえば「隣のビル」で、会社員の〈私〉が抱いていた閉塞感の正体に気付くきっかけ、それは建物への不法侵入によってだった。

 仕事もろくにせず職場を見張ってばかりいる常務に、〈おまえ、トイレが長すぎるんだよ!〉と理不尽にも怒鳴られた〈私〉。気が沈み、会社のロッカールームで窓の外をぼんやり眺める。すると、〈突然目の前の建物への親しみが自分の中にこみ上げてくるのを感じた〉。〈私〉は窓から身を乗り出して、会社に隣接するビルの屋上の金網に手を伸ばしてへばりつき、網を乗り越えてしまう。

 後先考えずビルに侵入した〈私〉は、そこに住む「内さん」と鉢合わせする。事情を話したところ、親切にも内さんは入居しているテナントの情報を教えてくれる。さらに、〈害のある人ではないような気がして〉と、身の上話までしてくれる内さん。彼女に対して〈外にはこんな人がいるのか〉と思いながら、〈私〉は職場での悩みにとらわれすぎていたことに気付き、〈久しぶりに、窓が開いたような気分〉になる。

 津村記久子というとお仕事小説・会社員小説のイメージが強いけれど、設定の多彩な作家という一面もある。旅行代理店の担当者がパワースポットのある観光地・ペチュニアフォールを陽気に紹介するも、市長の銅像の頭がなぜか欠けているわ、宿泊するホテルの画像にカメラ目線でこちらを睨む幽霊が写っているわ、次々と土地の暗い過去が明らかとなる「ペチュニアフォールを知る二十の名所」。ゲームブック形式で読者が主人公の行動を選択しページを移動しながら、深夜の街で起きる事件を解決するよう導く「真夜中をさまようゲームブック」など、本書でもその個性は遺憾無く発揮されている。

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