チャラ男は本当にどこにでもいるーー会社員たちの共感を呼ぶ、絲山秋子『御社のチャラ男』を読んで

絲山秋子『御社のチャラ男』を読んで

 彼らが三芳について語れば語るほど、「自分とは違う」三芳を鏡として、世代、性別、立場が異なる彼ら自身のコンプレックスや会社との関係性の違いが浮き彫りになっていくのが面白い。また、12章の語り手である母親が2章の語り手である娘のことを「情緒の薄い娘」と感じていたり、一色が「仲がいい」と言及している同僚の佐久間が、一色を「社内不倫バレバレなあの子」呼ばわりしていたり、1章の岡野視点での岡野とかな子のやり取りが2章においてかな子視点で繰り返されることで、1章では感じさせなかった「ニホンカモシカ似」の岡野の情けなさが露呈したりと、各章を読み進めることによって、それぞれのシビアな本音が垣間見えることにニヤニヤ、ヒヤリとさせられる。本人は「自分はこうだ」と語っていても、傍から見たら違って見えている。多角的に見る会社、人の姿は、読者に高みの見物をさせた上で、「お前はどうなんだ」と迫るのである。

それが悲惨なテロなのか内戦なのか天災なのかパンデミックなのかわからないけれど、「平成のときはまだましだった」とみんなが言い合う姿は容易に想像できる。確実になにかの破局と絶望をもたらすロシアンルーレットに、プレイヤーとして関わっている気がしている。世界中の人が不安で<ヒリヒリ>していて、世界中の国に化け物みたいなめちゃくちゃな政治家が<跳梁跋扈>している。(同書,p.264)

 『御社のチャラ男』は、文芸誌『群像』で2018年5月から2019年8月にかけて連載された。そのため、元号が平成から令和に変わる最中、オリンピックを前にしてざわついた日本の空気を、絲山は見事に小説の中に閉じ込めている。前述した一文は、まさに世界中が新型コロナウイルスにより大パニックとなりつつある現在を予知した言葉であると言える。

生きるということはプロセスだ。つまり誰にでも「その後」はあるということなのだ。(同書,p.317)

 誰にでも「その後」はある。この言葉は、営業職として10年近く勤務し、躁うつ病の発症・入院をきっかけに作家に転向したという経歴を持つ絲山秋子だからこその説得力がある。絲山の小説のジャンルは多岐に及び、決して一括りにされることを望まないが、それでも共通するのは、『イッツ・オンリー・トーク』(文藝春秋)、『勤労感謝の日』(『沖で待つ』(文藝文庫)収録)のヒロインたちや本作における伊藤雪菜のような、心に傷を抱えながら「その後」の人生を必死に生きようとしている誰かに必ずそっと寄り添っていることだ。

呪いと祝いって、字も似ているけれど、ひっくり返るのは一瞬(同書,p.282)

 それぞれの「チャラ男観」を追いかけていたら、物語は思わぬところに転がっていく。ある日何かがひっくり返り、「今までの溜め込んできた負のエネルギーが走りだす(同書,p.149)」瞬間。それは崩壊のようで、彼らに待ち受けるだろうユニークな「その後」を予感させる、滑稽で愛おしい祝祭のようだ。

 これは、真面目に生きる会社員たちの日常の「呪いと祝い」の物語なのである。

■藤原奈緒
1992年生まれ。大分県在住の書店員。「映画芸術」などに寄稿。

■書籍情報
『御社のチャラ男』
著者名:絲山秋子
出版社:株式会社講談社
発売日:2020年1月23日
価格:本体1,800円(税別)
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000326989

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