草彅剛、2度目の日本アカデミー賞へ これまでの経験を糧に「最高傑作」を更新し続ける名優に
そんなたくましい想像力に加えて、周囲とともに生きているという実感があるのも草彅の強み。自分ひとりで役を固めることなく、常に共演する人たちから受け取ったものを役に昇華していくという柔軟さもある。『碁盤斬り』の撮影時を振り返るインタビューにて草彅は、どうしても時代劇っぽさを意識してしまう自分に対して、共演者の小泉今日子の自然な振る舞いに「キョンキョン、かっこいい」と衝撃を受けたと話していた。ほかにも、斎藤工や國村隼との掛け合いから見えてきたものもあったとも。
それができるのは、草彅が長年グループの中のひとりとして活動してきた経験もあるように思う。特に草彅はメンバーからここぞというタイミングで、オチを期待される振りを受けることも多かった。ある意味、その場に求められる役を察知して応えていくという鍛錬を何十年と続けてきたとも言える。だからこそ、彼はいつだって「ノープラン」という涼しい顔をしながら、私たちの度肝を抜く表情を見せてくれるのだ。
『碁盤斬り』では血の涙が出るのではないかと思うくらい鋭い眼光にハッとさせられたかと思えば、あれは顔につけられたヒゲや泥が「痒かったから」なんて笑って話す。それも、きっと彼にとっては日常的に使っているものを使ったまで、という感覚なのだろう。一方、舞台作品ではガラリと雰囲気を変えて登場する。そして、まずテレビサイズではない、その声の大きさに驚かされる。そのまま全身から感情が爆発するような演技を、私たちは息を呑んで見守るような形になるのだが、「必死に食らいついて、ボロボロになっていくところが見たいんじゃないかなって」なんてサラリと答えるのだ。見たいと思われているのもを見せているだけ、とでも言わんばかりに。
一つひとつの細かな点から世界に思いを馳せ、目の前にいる人たちから刺激を受け、そして誰がどんなふうに自分に期待を寄せているのかを察知して自分を表現していく。その繰り返しが、草彅剛を作品を出すたびに「最高傑作」を生み出す名優へと育てているのだろう。私たちが作品を見るたびに驚かされているのは、表面的なテクニックなどではなく、草彅が積み重ねてきたものの深みそのものなのかもしれない。今後、その重なりはさらに分厚くなっていくことだろう。常に次回作が傑作となる。そんな草彅の歩みが今後も楽しみで仕方ない。
























