H△G、メンバーも知らなかった中国での大ヒット 7年前のボカロカバーアルバムが国境を越えた理由
サブスクや動画プラットフォームの普及によって音源や映像にも手軽にアクセスすることが可能となり、時代や文脈、国境を越えてヒットする機会が増えた昨今。H△Gが2017年にリリースしたボカロカバーアルバム『声 ~VOCALOID Cover Album~』もまた、中国でロングヒットを記録している。
H△Gは2012年に愛知県岡崎市で結成し、現在も地元を拠点に活動している音楽グループだ。覆面シンガーのChihoを中心に、楽曲制作やエンジニア、デザインといったチームがグループに内包されており、その時々に合わせてシームレスに活動するスタイル。ユニットやバンドという形態にこだわらない姿勢は、時代の先駆けとも言えるだろう。
2024年8月に上海、11月には広州と中国でのワンマンライブを開催。リアルサウンドでは、中国でのライブを終えたばかりのH△Gに取材を行い、『声 ~VOCALOID Cover Album~』のヒットに対する心境をはじめ、現地でのライブ模様や手応えを聞いた。(編集部)
みんな「なんだこれは?」って驚きました。(Yuta)
ーー2017年5月にリリースしたボカロカバーアルバム『声 ~VOCALOID Cover Album~』が中国で人気を集めていて、今年はついに中国でのワンマンライブも実現しました。中国での反響に気付いたのはいつ頃でしたか?
Chiho:私たちは、このアルバムが中国で人気なことに全然気付いていなかったんです。
Yuta:リリースから1~2年くらい経った頃に、ユニバーサル ミュージック(本アルバムの発売元となるレコード会社)のスタッフの方から「中国の動画サイトで1億回再生されています」という情報がいきなりポンと入ってきたんですよ。中国は自国のプラットフォームが盛んで、僕らのところまではあまり声が届いていなかったので、みんな「なんだこれは?」って驚きました(笑)。それを受けて2020年3月に中国でライブツアーをやる予定だったのですが、コロナ禍で中止になったんです。でも、チケットは完売したという話だけは聞いていて。
Chiho:結局、数字だけでしか情報が入ってこないので、誰も(中国での人気を)実感できないままでいたんです。だから今回の中国ライブも、現地に行くまで、本当にお客さんが来るのか信じられなかったよね。
Yuta:しかも8月に上海で行ったワンマン(『H△G・1st live in Shanghai「瞬きもせずに」』)のときは、向こうのイベンターとのやり取りで行き違いがあったみたいで、最初はいろんな人たちが出るイベントへの出演オファーだと思っていたんですよ。そうしたら開催の1カ月くらい前に、1200人くらいのキャパの会場でワンマンライブをやるということが明らかになって(笑)。当初は僕とChihoの2人で行って30分くらいのステージを考えていたのですが、ワンマンとなると2人では難しいので、急遽、実演メンバーに声をかけたので、実はかなりバタバタでした。
Chiho:ただ、2020年にツアーの機会を逃して、そこから「もう一回やろう!」と自分たちでエネルギーを生み出すのが難しかったところに、着火のきっかけを作ってくれたのはすごく良かったと感じています。もしこれが最後になるかもしれないのであれば、例えお客さんが3人くらいだったとしても、呼んでくれた人も含めて全員が最高だったと思えるライブを届けたいと思って。
Yuta:みんなで音を出すのも結構久しぶりだったんですよ。H△Gは2022年にベストアルバム(『星見る頃を過ぎても - BEST of H△G -』)をリリースして、その後に地元の岡崎市で開催した10周年記念のワンマンライブ(H△G・結成10周年記念ライブ「星見る頃を過ぎても」)をひとつの節目として、活動休止というわけではないのですが、ここからは少しゆっくり活動していこう、という時期に入っていたんです。なので正直、ワンマンはお断りする選択肢もあったのですが、Chihoの「絶対にバンドで中国に行きたい!」という気持ちの強さが大きかったです。
Chiho:長く活動しているので、もし中国でライブができるのであれば、できるだけ多くのメンバーと一緒にその景色を見たいと思って。なので普段はあまり言わないんですけど、このときはできるだけ私の気持ちをみんなにアピールしました。いろんな代替案を出されても、「いや、絶対にバンドでやりたい!」って譲らなくて(笑)。この機会を逃すまいと思いました。
ーーそんな機会を作ったきっかけの作品『声 ~VOCALOID Cover Album~』は、当時どんな経緯で制作したのでしょうか。
Yuta:H△Gは12年前に、岡崎市のライブハウス周りにいた人間で「何かおもしろいことやろうよ」ということで始まったのですが、その当時、ニコニコ動画やボーカロイドといった文化のことを知り始めて、このアルバムにも入っている蝶々Pさんの「心拍数#0822」を聴いて仲間内で「めっちゃいい曲だよね」と盛り上がっていたんです。それでこの曲をカバーしてインターネット上にアップしたことがいろいろなご縁に繋がって、ボカロカバーアルバムの入り口になりました。
ーーその他のカバー曲のセレクトはどのように決めたのですか?
Yuta:選曲はメンバーで意見を出し合って決めたのですが、まず何かしらのメッセージ性が感じられるもの、そのなかでもメンバーが共通して反応する楽曲を選んでいきました。僕らと繋がりのある楽曲もいくつかあって。石風呂さんの「ティーンエイジ・ネクラポップ」は、H△Gの実演メンバーのうち2人が石風呂さんのライブサポートをしていた流れもあってカバーさせていただきました。それと「ハローハロー」の残響Pに関しては、実は同じ岡崎のライブハウス界隈にいた人間なんです。いまやねぐせ。のギター(なおや)としてブレイクしていますけど。
Chiho:羽ばたいていったよね(笑)。
ーーボカロ曲は作り手それぞれの個性が強く出ているものが多いですが、それらの楽曲をH△Gとして表現するうえで意識したことはありますか?
Chiho:私はH△Gの楽曲を歌ううえで希望は常に持っていたいと考えているので、もちろん楽曲自体の世界観や雰囲気を壊さないことを大事にしつつ、ネガティブな言葉や気持ちの波が含まれている楽曲でも、それも踏まえたうえで聴いた人が少しでも前に向けるようなかけらを混ぜたい、という気持ちはありました。
あとは、楽曲それぞれに個性がありますけど、ボーカロイドの楽曲だからこその言葉選びを感じることも多くて。例えば歌詞に〈バカ!〉と入っている楽曲(すこっぷ「アイロニ」)を歌うのはそのときが初めてでした。作り手の想いがくっきり見えるような歌詞が多い気がしたので、それを自分の口でどう歌うか、という部分に向き合った覚えがあります。
ーーその意味では、H△Gのオリジナル楽曲を歌うのとは違う感覚があった?
Chiho:そうですね。特に当時のH△Gの楽曲は“青春期”にスポットを当てたものが多かったので、楽曲によっては普段よりも精神的に大人な歌詞、もう少し成熟した内容のように感じました。それと起きたことに対する結果ではなく、その前の激しい感情を切り取ったものが多くて。その意味では、当時のH△Gの楽曲にはないシーンが多いなと感じていました。
Yuta:ただ、H△Gの楽曲を作る際は、Chihoの歌声の透明感を活かす作曲をするように心掛けているのですが、その意味でも相性の良いものが多いように思います。それで言うと、loundrawさんが描き下ろしてくださったジャケットイラストも透明感がすごく合っていて、ジャケットのイラストが上がってきたときに、すごく感動した覚えがあります。それこそ中国のライブでも、有志の方たちがそのイラストを使った大きな幕を掲げてくれて。すごかったです。
Chiho:loundrawくんとは当時ライブイベント(2016年5月11日開催の『GIRLS DON'T CRY vol.3』)でご一緒したことがあって。そのライブに出演しているボーカリストのイラストを、loundrawくんがその場でライブペインティングするという企画があって、その絵を見て「めちゃめちゃいい!」と思ったんです。そのご縁もあって、このアルバムのジャケットイラストをお願いしたのですが、いまも愛され続けているアイコンのようなジャケットになりました。