爆風スランプが再集結して伝える「IKIGAI」=“生きがい” 40年の道のりとこれからを全員で語る

 活動休止前の最後のアルバム『ハードボイルド』は、1998年4月1日リリースだったので、爆風スランプの新しい曲としては26年5カ月ぶりとなる「IKIGAI」が、メジャーデビューからぴったり40年の日にあたる8月25日に配信された。過去に数度、ライブ1日限り、もしくは2日限りの再始動はあったが、デビュー40周年を記念しての今回の活動では、新曲を作り、メディア活動も行い(7月13日放送のTBSテレビ『音楽の日』などに出演)、秋にはツアーも切られている。ここに至った経緯や心境やこれからのことを、メンバー4人=サンプラザ中野くん(Vo)、パッパラー河合(Gt)、ファンキー末吉(Dr)、バーベQ和佐田(Ba)に訊いた。

 なお、大変に私的なことですが、『サウンドストリート』(NHK-FM)で渋谷陽一が、爆風スランプの曲をかけるわ、番組に呼ぶわ、スタジオライブまで企画するわ、ロッキング・オンにインタビューを載せるわ(『ROCKIN'ON JAPAN』は創刊前だった)で大プッシュ、それによってまんまと大好きになり、コピーバンドまでやっていた40年前の高校生としては、なんとも感慨深い仕事でした、今回。私に振ってくださってありがとうございます、編集部のみなさん。(兵庫慎司)

再集結の始まりはサンプラザ中野くん「40周年は爆風を動かしたい」

――今回は、どなたがどんなふうに言い出して、今回のプロジェクトが始まったんでしょうか。

サンプラザ中野くん(以下、中野くん):2年ぐらい前から私が「40周年は爆風を動かしたい」って、マネージャーと相談し始めて。それで徐々に固めてきた、という感じですね。

――過去にあった、1日限りとか2日限りの再始動の時とは、気持ちが違ったわけですね。

中野くん:そうですね。何が違ったのかは、僕もよくわかんないですけど……。あ、やっぱりでも、コロナは大きかったかな。コロナ禍の真っ最中は、音楽活動自体がどうなるかわからない、というような状態で。それがだんだん明けてきて、「音楽できるじゃん」「ここでやっとかないとまたどうなるかわかんないよな」みたいな。そういう感覚があったんじゃないですかね。

――メンバーへの打診はどのように?

中野くん:まず河合さんとマネージャーと3人で話して。そしたら河合さんがいきなり「じゃあ末吉に電話しようよ」って、その場で――。

ファンキー末吉(以下、末吉):電話がかかってきた。

中野くん:それで「40周年でやろうよって言ってるんだけど、どう? できる?」って、いきなりフランクに、単刀直入にぶちこんでました。

末吉:それで「いいよ!」って言ったんですけど、「スピーカーフォンでみんな聴いてるからね」って言って話し始めてるのに――話が終わったら、『末吉、女性関係はどうなの?』って。なんでマネージャーも聞いてるところで、私が女性関係についてしゃべらなきゃいけないの(笑)。相変わらずだなあ、と思いました。

――で、次は和佐田さんに?

中野くん:そうですね。なにしろ、和佐田さんは新メンバーなんで。

――(笑)まだ?(前任の江川ほーじんの脱退後、バーベQ和佐田は1989年に加入)

バーベQ和佐田(以下、和佐田):発言権はないんで(笑)。でも、僕は「ついにきたか!」っていう感じだったですよ。もうふたつ返事でOKしました。

末吉:そのちょっと前に、和佐田が大きな病気をしたんですよ。肺炎だっけ?

和佐田:うん、そう。

末吉:それでねえ、まわりは「死ぬかもしれない」って大騒ぎしたことがあって。やっぱりみなさん年だしねえ、和佐田さんは太ってるし。

和佐田:(笑)。

末吉:健康なうちに一回ぐらいやらないとね。誰か病気になったり、死んじゃったりしたら、できなくなっちゃうからねえ。

――で、新曲は、「IKIGAI」というワードを中野さんが出すところから始まったそうですが。

中野くん:「『IKIGAI』っていうテーマがあるんだよ」と僕が投げて、詞を先に書いてくれって話になったのかな。詞だけは書けないから、曲と詞を同時に作ってみようと思って、私がレゲエ調でウクレレを弾きながら曲を作って、「こういう曲ができました」ってみんなに投げたら、すぐ末吉が「わかった」と。それで返してくれたものが、もうこのラップ調の曲になっていて。「はあ? 俺にラップを歌わせんのかよ」って(笑)。やっぱり爆風だと「大きな玉ねぎ(の下で)」か「Runner」、「旅人よ〜The Longest Journey」みたいな曲――「人々もそう思ってるよね」「そんな感じでいいんじゃないの?」と思ってたので。

サンプラザ中野くん(Vo)

末吉:中野とのやり取りのなかで、こんなのはどうかなという(アイデアをまとえめた)メモがあったんだけど、そこに「『IKIGAI』が『Y.M.C.A.』みたいな感じで」っていうのがあったから、「あ、じゃあこれだな」と思って。爆風スランプの曲のなかには、ラップの曲が3曲あるんですよ。「嗚呼!武道館」と「The SENTAKU」と「1800」。だから全然いいんじゃないかなと思っていたんだけど、曲ができあがってから、「苦手だ」って言い出すから(笑)。

中野くん:爆風スランプは、デビュー当時、新しいことをやるバンドだったから。当時はRUN D.M.C.が流行っていたから、それをやろう、と。で、「嗚呼!武道館」を12インチシングルで出したんですけど。ラップをシングルで出したのは、日本のロックバンドではいちばん最初だったかもしれない! 後世のジャパニーズラップ界に影響を与えたはずなんですけど、まったく消去されてますね……(笑)。

――先に言われましたけど、僕は聴いてまず「『嗚呼!武道館』じゃん!」と思ったんです。

中野・末吉:(笑)。

――ラップなのもそうだし、〈愛 平和 幸せ〉って連呼する曲じゃないですか。で、「IKIGAI」も最後には“I=愛”に行き着く歌詞だから。

中野くん:そうですね。

――僕は「Runner」以前の、初期の爆風スランプにハマった人間でして。なので、この曲はとても嬉しいですが、中野さんがおっしゃるように「Runner」や「旅人よ〜The Longest Journey」を好きな人のほうが多いかもしれない、という――。

中野くん:一抹の不安が、はい。そうですよね(笑)。

――その時期ではなくて、原形の爆風スランプの感じでやりかった、というのは――。

末吉:私はありましたね。再結成モノって、年齢も年齢になってくると、ドラムもベースも元気じゃないバンドも多くて。そのリハビリから入るのも、よく見てるので。でも、このバンドはドラムとベースが現役バリバリなので。和佐田も新メンバーだから、どうしてもほーじんの影の位置で正当に評価されてないんじゃないか、こいつのベースはすごいのに、っていう思いもあって、曲の頭はベースのフィルから始めようと思って。ある人には「昔の爆風っぽい」とも言われるんですけど、ベーシストが代わっているので。これこそ今の爆風ですよね。河合さんのソロがなくってすいません、っていう感じですよ(笑)。

パッパラー河合(以下、河合):でも、なんか最近、ギターソロって流行んないみたいですね。

中野くん:(笑)。

河合:ギターソロがあって当たり前っていう時代は、だいぶ前に終わってるっぽいですね。まあ、それとは関係なく、僕も27年ぶりに出すんだったら「Runner」とか「大きな玉ねぎの下で」とかの感じがいいかなと考えていたんだけど、この曲を聴いてファンクのアプローチもあるんだな、いいな、と思って。で、レコーディングしてる時に「すげえな」と思った。今の日本で他にはないな、って。ラップだけど、ヤカラのラップじゃないじゃないですか。

中野くん:(笑)。

河合:「YO!」みたいな、ギャングみたいなラップじゃないところが、新しいなと思った。

末吉:語りに近いラップ、語ラップだよね。

中野くん:語らうラップということで、“語ラップ”という言葉を作ってみました。

――和佐田さんはいかがでした?

和佐田:すごくいい感じで受け入れられました、この曲は。偉そうな言い方ですけど、新メンバーのくせに(笑)。末吉から「曲の頭、ベースから入るのはどうだ?」とか「リズムセクションの力強さを表現したいんだ」みたいな話を聞いて。休止中、年間300本ぐらいライブをやってきたので。だから、「あ、あれはこのためだったんだな」と思って。

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