ポケモン×VOCALOID コラボ続出の理由 ネタ被りや多様な解釈への寛容性が共通項に?
『Project VOLTAGE』を筆頭に、多彩な内容でファンを楽しませるこれらの企画。共に大人気のコンテンツとして支持されるポケモンとVOCALOIDのコラボでは、何よりも共通する“多様な解釈を許容する風土”こそが、その相性の良さをより引き立てているようにも感じられる。言い換えるならば、現在の日本のカルチャーを形成する多数の作品・コンテンツの中でも、これら2つはいわばマルチバース的な世界観が許される稀少性を持つ。
ある程度固有の世界観を下地にしたキャラクターでありつつも、一定の倫理規範にさえ反しなければ、どんな性格・ビジュアルの“ピカチュウ”も“初音ミク”も同時に存在することを許され、むしろその個体差を楽しむ風潮すらある。多くの創作作品・コンテンツにおいて統一された性格・ビジュアルのキャラが大半を占め、時に彼らの“解釈違い”が論争の種となる中、両コンテンツに半ば常識として根づく“同名キャラクター≠同個体”という認識は、他にない大きな特徴であり魅力だと言っても過言ではない。
上記で列挙したコラボ企画、特に『Project VOLTAGE』では、そんな多様性への懐の深さが顕著に表れた一幕も見受けられた。最もわかりやすい一例は、提供曲における“ネタ被り”の現象だろう。
シリーズのトップバッターを務めたDECO*27「ボルテッカー」と、三番手であるMitchie M「ミライどんなだろう」。一聴すればすぐわかる通り、この2つは楽曲冒頭に偶然まったく同じ素材がサンプリングされている。またsyudou「俺ゴーストタイプ」と栗山夕璃「ひゅ~どろどろ」についても、いわば“タイプ:ゴースト”のテーマ被りが発生した。しかし上記のケースでも、ある意味で共通の主題ゆえに各クリエイターの音楽性の差がより浮き彫りとなった節はある。特に「ボルテッカー」と「ミライどんなだろう」の2曲において、数多あるコンテンツ要素の中でも、ダイレクトにまったく同じ素材がまったく同じ使われ方をしたという奇跡的な一致は、単純に事象として非常にユニークだ。重ねて、同様のスタート地点からその後のサウンド展開が明らかに別の道筋を辿っていく様も、むしろ顕著に感じることができる。
余談だが元々VOCALOIDカルチャー発祥の地であるニコニコ動画にも、黎明期より「かぶっちゃった結婚」と称される文化がある。ここではネタ被りは嫌厭されるものではなく、むしろ気の合う者同士の証左とされていた。
テーマを共通にすることで、むしろそこから見える個々の差異や多様性を楽しむ。そんな価値観を重要なバックボーンとして、両コンテンツのコラボはきっと今後も様々な場面で展開していくのだろう。あるいはもしかしたらそんな多彩な解釈を許容する風土こそが、両コンテンツのさらなる世界的拡大の一助を果たす重要な鍵でもあるのかもしれない。
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