作詞家 森雪之丞、自選詩集に込めた“詩人”の一面 高橋幸宏、布袋寅泰らとの出会いと50年の歩み

森雪之丞、“詩人”の一面

 1976年に作詞家デビューした森雪之丞は、シブがき隊、浅香唯などのアイドル、『ドラゴンボールZ』をはじめとするアニメソング、サディスティック・ミカ・バンド、布袋寅泰、氷室京介といったロックアーティストなど、幅広いジャンルを手がけてきた。近年は『キンキーブーツ』など海外ミュージカルの訳詞や劇団☆新感線の作品で作詞を担当するほか、オリジナル戯曲にも取り組み、舞台に力を入れている。そんな森が、自選詩集『感情の配線』を刊行する。2026年にはデビュー50周年を迎える彼に、作詞家としての歩みをふり返ってもらった。(円堂都司昭)

森雪之丞に“詩人”のイメージはあまりないだろうから、そこからスタートしたかった

――『感情の配線』は、『天使』(1994年/詩画集)、『近未来詩集』(1998年)、『絶望を愛した38の症例(サンプル)』(2003年)、『天才的な恋』(2005年)、『扉のかたちをした闇』(2016年)という既発の詩集から選ばれた作品と、文芸誌『すばる』に連載した図形詩(2006~2010年)で主に構成されています。1994年のものから今回書き下ろされたものまで、それぞれの詩の発表時期には幅がありますが、どのように選んだのですか。

森:僕には音楽の作詞というベースがあって、途中からは舞台の詞も書き始めた。そうしたなかでもう1度、自分の心を見直したい気持ちがありました。それで、この詩ならみなさんに今読んでもらってもいいなと自分で思えるものを選びました。

――収録された詩は年代順ではなく、目次を見てもシンメトリーのような構成になっていてコンセプチュアルな印象です。特に戯曲詩『夢と旅の図式』は、べつべつの時期に発表された4つの詩と書き下ろした1作を組みあわせ、戯曲の形にしているのが面白かったです。

森:各詩に登場したキャラクターを芝居の配役のように見立てて、1つの物語を作りたかったんです。『Act Against AIDS』というチャリティプロジェクトに書いた詩を、自分も入って役者5、6人に読んでもらったり、宇都宮隆のユニット、U_WAVEで僕が言葉という楽器担当のメンバーになったりしたんです。普通のコンサートより、もっと言葉とか芝居が混ざったものを作りたかった時期があった。戯曲詩も同じ流れにあって、イベントで読んだ詩を組みこんでいます。

――森さんは、作詞家になる以前から歌詞や詩に興味はあったんですか。

森:若い頃、シンガーソングライターになりたかったんです。僕が高校2年生の頃、友だちでセミプロだったプログレッシブロックバンド 四人囃子の森園勝敏(Gt)と岡井大二(Dr)にレコーディングを手伝ってもらって5曲入りの自費出版レコードを百枚だけ作った。彼らがライブハウスに出て曲数が足りない時は、僕がゲストとして数曲、自作曲を歌っていました。そうして自分で詞や曲を書き、レコード会社に聴いてもらっていた頃、「詞だけ書いてみない?」といわれて採用されたのが「ドリフのバイのバイのバイ」。渡辺プロの渡辺晋社長とお会いしてダメ出ししていただいて、お笑いのザ・ドリフターズの曲で作詞家デビューする数奇な運命に弄ばれて(笑)。当時、渡辺プロには沢田研二さん、小柳ルミ子さんなどパワフルで素晴らしいアーティストがいっぱいいて、キャンディーズの存在が少し大きくなってきた時期でした。その頃、後にアミューズ社長になった松崎澄夫さんから「雪之丞、お前、さすがにドリフに書くために音楽をやってきたわけじゃないだろう」と言われて(笑)、「キャンディーズも書きたいです」と言ってアイドルに詞を書き始めました。

 もともと僕はロックの影響を受けていてロックなことをしたかったんですけど、プロの作詞家というスタンスだと、どうしてもアイドルに詞を書くという時代でした。サザンオールスターズやゴダイゴなど、ロックバンドの音楽が一般的になる少し前に書き始めたし、同時代のロックアーティストはアイドルに否定的だったから、プロの作詞家の僕がロックをやりたくても不自由だったんです。

――1970年代から1980年代は、アイドルブームでしたものね。

森:アイドル業界は、ヒットチャートやベストテン番組でしのぎを削らなきゃいけなかった。その意味ではアニソンは自由だったし、プロとしてやらなきゃいけないことプラスαの冒険ができました。そうしているうちに自分で望んで11人編成のロックバンド、Mighty Operaを結成した後、高橋幸宏さんが声をかけてくれてサディスティック・ミカ・バンドの再結成を手伝ったり、布袋寅泰、氷室京介と出会ったり、やりたかったロックをやれるようになった。

 作詞家として変遷があるから、時期ごとの部分部分でしか僕を知らない人たちもいるし、音楽から離れた詩を書いていることを知らない人たちもたくさんいる。2000年代以降は舞台に力を入れていて、2026年には作詞家50周年になりますけど、様々なところで僕の言葉に触れてくださった方がいるでしょう。それでこれまでの仕事をまとめていきたい気持ちがありました。実は2年ほど前から自選詩集を出そうと考えていて、最初は歌詞と音楽抜きの詩を混ぜて作ろうと思ったんです。でも、森雪之丞に詩人というイメージはあまりないだろうから、まずそこからスタートしたいというのが、この本の主旨なんです。

――『感情の配線』には基本的に曲を前提としない詩が収録されていますが、なかにはポエトリーリーディングと音楽を組みあわせたCDで発表されたものもありますね。そのうち「悪魔にされた天使」など3作に関しては現在、ストリーミングでも聴けます。作詞の場合は、先に曲があることが多いですよね。

森:作詞家としては、メロディが伝えたいものを読みとり、ビートに言葉をはめていく。僕より前の世代には詞が先だった方もたくさんいたでしょうけど、僕らの時代はロックのビートにいかに日本語を乗せるかが課題だった。例えば、四分音符が2音でタン・タンと続くリズムに普通だったら「キミ」、「ボク」とかで終わっていたものを桑田佳祐が「そうね」や「だいたい」といったり、僕が「ぞっこん」、「べっぴん」などの文節の多い言葉を探してそれまでにないものを考えた。

 俳句や和歌もそうですけど、歌は縛りがあるなかで形を作っていく。昔の歌謡曲や演歌は、七五調がベースになっていましたが、吉田拓郎さんがやったように字余りで歌ってもいい。七五調のきちんとしたものから、拓郎さんのトーキングブルースみたいな形になり、ロックのビートにどう乗せるかという変遷があって歌詞は進化した。縛りのなかで面白さが出てくるのは、ラップもそうでしょう。音楽って基本は数学みたいなもので1小節にどういうリズムを使うかだから、規則があって成り立つことの不自由さばかり強調されがちだけど、それを面白さへと感覚を転換したのが僕らの世代からかなと思います。

――今回の自選詩集では、音楽はなくても歌詞に近い構成の詩が多い印象を受けました。

森:曲がないぶん自由なんだけど、やっぱり根は作詞家なのかもしれません。自由詩の面白さと難しさというのは共存していて、自由だからこそ形になりにくい。アマチュアで和歌や俳句をやられている方は多いのに、詩は意外と少ない。でも、先にある曲に言葉を入れるのは大変だとしても、入った時はすごく形になりやすい。ところが、自由詩は形すら自分で見つけなければいけない難しさがある。その自由という皮肉な縛りも、楽しいといえば楽しい。

 縛りという意味では、図形詩は、家や舟など最初に文字が並ぶ形をセッティングして、その形に言葉を書くわけです。パソコンで「僕」、「君は」、「いつか」と書くと、文字数が1、2、3と並んで三角形みたいになる。基本は縦読みで右から左へ読める文字列で図形を作って、その図形と書いた意味がリンクできたら面白いんじゃないか。作詞の場合、先にメロディがあって、その切れ方で言葉は縛られる。そういう縛りの面白さを狙ったんです。『すばる』の連載でそのアイデアを出した時は、さらに凝っていました。「シンメトリウム」というタイトルで図形をシンメトリーにしたから少し無理矢理になったところや、つらい部分もあった。図形を1つずつにすればよかったのに、なんなんでしょう。縛られ好きなんです(笑)。

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