『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』刊行記念 ちょい読み第5弾:鈴木慶一とPANTA

 音楽評論家・宗像明将による書籍『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』が、12月26日に株式会社blueprintより刊行された。

 バンド・ムーンライダーズを結成して1976年にデビュー、その後もさまざまなミュージシャンとのバンドやユニット活動に参加する傍ら、CM音楽、歌謡曲などの楽曲提供とプロデュースに携わり、日本のポピュラー音楽史に多大な影響を及ぼしてきた鈴木慶一。『MOTHER』などのゲーム音楽や、北野武監督の『座頭市』『アウトレイジ』をはじめとする映画音楽の名手としても知られる一方、俳優としての顔も持ち、映画やドラマへも多数出演。現在に至るまで精力的な活動を続けている。

 本書では、1998年に『20世紀のムーンライダーズ』でライターとしてデビューし、その活動を追ってきた音楽評論家・宗像明将が、鈴木慶一本人に72年間の歩みを聞く集中取材を敢行。2023年の今だからこそ聞くことのできた貴重なエピソードの数々が収められている。

 リアルサウンドでは本書の刊行を記念し、内容から一部抜粋してお届けする「ちょい読み」企画を実施。第5弾となる今回は、【7章:2022年ー2023年】から「鈴木慶一とPANTA」より一部を公開する。

『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』刊行記念 ちょい読み第1弾:ムーンライダーズの「最初の日」

音楽評論家・宗像明将による書籍『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』が、12月26日に株式会社blueprintより刊行される…


『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』刊行記念 ちょい読み第2弾:はちみつぱいとの「決着」

音楽評論家・宗像明将による書籍『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』が、12月26日に株式会社blueprintより刊行される…


『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』刊行記念 ちょい読み第3弾:鈴木慶一と北野武、映画音楽仕事の充実

音楽評論家・宗像明将による書籍『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』が、12月26日に株式会社blueprintより刊行された…


『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』刊行記念 ちょい読み第4弾:新体制での『It's the moooonriders』

音楽評論家・宗像明将による書籍『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』が、12月26日に株式会社blueprintより刊行された…

<第7章 7章:2022年ー2023年 内「鈴木慶一とPANTA」より一部抜粋>

 2022年12月25日には、鈴木慶一とPANTAによるP.K.O(Panta Keiichi Organization)の『クリスマスの後も/あの日は帰らない』が配信リリースされる。日本コロムビアからのメジャーデビュー、そして1993年の結成以来初めてのスタジオ録音音源だった。鈴木慶一が作編曲とプロデュース、PANTAが作詞と歌唱を担当するスタイルで制作され、タイトル曲の2曲だけではなく、全5曲がPANTAのボーカルでレコーディングされている。さらに、歌詞はあるがボーカルがレコーディングされていない楽曲が5曲存在している。

「5曲は歌も録って、オケもできていて、あとはミックスだけ。プラス5曲は私が作って、それに対して、PANTAが病床から全曲の歌詞を書いてきたの。2023年2月頃に入院して、危篤のときが2回あったらしいんだ。そんな朦朧としたなかで歌詞を書いては送ってきた。全5曲の歌詞が送られてきて、『あとは退院したら、調子のいいときに歌を入れようね』と話していたんだ。そこまでだった。私が歌うのかどうか、まだ決めてない。頭脳警察のアルバムもできていると思うんだよ。それがどういうアルバムなのか次第で、残りの5曲をどうするか決めようかなと」

 P.K.Oの新作は、近年の鈴木慶一がしばしば口にする「死ぬまでにやりたいことシリーズ」のひとつだった。

「第1弾は『MOTHER MUSIC REVISITED』、第2弾が(松尾清憲との)鈴木マツヲ、第3弾がP.K.Oの新録ということなんだよね。P.K.Oはライヴアルバム(『P.K.O. LIVE IN JAPAN』)が21世紀に出たんだよね。その後は何もしてないけど、PANTAとはときどき会っていたし、私のなかでは死ぬまでにやっておきたいひとつだなと思っていた。バンドでやる方法もあるけど、ユニットのほうが濃密であろうと。それで2人でギターを弾いたり、PANTAがベースを弾いたり。今回、歌詞と歌に徹するとPANTAが決めたんだ。PANTAのスウィート路線の『KISS』を作る前、PANTA & HALの『マラッカ』『1980X』で私はプロデューサーを離れたんだけど、2人でやるスウィート路線を今やってみたかったんだよね」

 「クリスマスの後も」は、そもそもは2021年12月25日、26日のムーンライダーズのライヴで発表された楽曲だ。

「それを今後ムーンライダーズで録音するかどうかわからないし、クリスマスソングは誰が歌ってもいいかなと思って、PANTAに聴いてもらったら、『これはいいね、やりたいね』ということで、PANTAとやろうとなったんだ。あの曲は、私のプライベートなことがきっかけで作った曲なんだよね。だから、クリスマスの後も一緒にいたいねという歌詞なんだけど、PANTAの病気も頭の中にあったと思うな。結果的には、今はなかなか歌いにくいものになってしまったかもしれない。カップリングの『あの日は帰らない』は、イントロを聴いただけでPANTAが『ライチャス・ブラザーズの「ふられた気持」だな』って。『キミが好きだよ』なんて書いたことがない歌詞を書いてきて、素直なものにもなっていき、他の曲でも『お茶をすする』とか、これまでのPANTAの歌詞にはない表現がある。やはり病もあったんだろうな。平穏に過ごしたいなという想いが多い。病床で書いていた歌詞のメモがちょっとつらいんだけど、すごくいい。でも、まともな状態で歌えるのかなという不安はあるよね。『おやすみハル』という曲があって、『ハル』はPANTA & HALのHALでもあるし、『2001年宇宙の旅』のコンピュータのHAL 9000でもあるし、中村治雄のハルでもある。『もし自分の身に何かあったら、慶一、歌っておいてな』というメッセージ付きで歌詞が来た。『ということは、俺が歌わなきゃなあ』とかなり強く思っているんだけどね」

 1971年の慶應大学三田祭事件後、世間的には鈴木慶一とPANTAは距離のあるミュージシャンとみなされていた。ところが、『マラッカ』のディレクターである平田国二郎が鈴木慶一とPANTAを引き合わせると、ふたりは一気に急接近する。2023年7月7日にPANTAがこの世を去るまでの関係性を、鈴木慶一は「兄弟」と表現する。

「5分で意気投合した。それ以前はパブリックには敵だもん(笑)。私は風都市にいて、頭脳警察はパブリックイメージとして過激なファンに囲まれていたから。三田祭事件とか、いろいろ因縁があったけど、かつては敵、その後は兄弟。PANTAは優しい。パブリックイメージと違って、本当に優しい。一言で言うと、馬が合うということでしかない。音楽の話をしても馬が合う。ジョージ・ハリスンがプロデュースしたラダ・クリシュナ・テンプルというバンドがあるけど、その『「ゴヴィンダ」というシングルを歌えるのって、俺とPANTAぐらいしかいないんじゃないの?』と、細かい話がすごく合う。葬儀のときにも、奥様に挨拶したら、『何か馬が合ったようですね』と言われたんだよ。そうとしか説明のしようがないんだな。だから、PANTAと一度も揉めたことがない。嫌だなと思ったことも何もない。楽しいことばっかりだったよ」

続きは書籍にて

■書籍情報
タイトル:『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』
amazon購入:https://www.amazon.co.jp/dp/4909852476
blueprint book store購入:https://blueprintbookstore.com/items/6570603f72c3a4015daca272

著者:宗像明将
発売日:2023年12月26日 ※発売日は地域によって異なる場合がございます。
価格:3,300円(税込価格/本体3,000円)
出版社:株式会社blueprint
判型/頁数:四六判ソフトカバー/336頁
ISBN:978-4-909852-47-2

<目次>
1章:1951年ー1974年
■東京都大田区東糀谷、大家族暮らし
■母親が見抜いた音楽の才能
■「日本語のロック」への目覚め
■あがた森魚、はっぴいえんどとの出会いが変える運命
■バックバンドから独立したバンド、はちみつぱいへ
■混乱したライヴ現場での頭脳警察との遭遇
■風都市の終焉と、はちみつぱい解散

2章:1975年ー1983年
■ムーンライダーズの「最初の日」
■『火の玉ボーイ』鈴木慶一の曖昧なソロの船出
■椎名和夫の脱退、白井良明の加入
■ムーンライダーズとYMO
■鈴木慶一とCM音楽
■『カメラ=万年筆』で幕を閉じる日本クラウン期
■高橋幸宏とのTHE BEATNIKS、ロンドンで受けた刺激
■『マニア・マニエラ』屈指の傑作にして発売中止
■『青空百景』のポップ路線と、広がる若手との接点

3章:1984年ー1990年
■『アマチュア・アカデミー』以降の数百時間に及ぶREC
■ムーンライダーズ10周年〜『DON'T TRUST OVER THIRTY』
■ムーンライダーズ約5年にわたる沈黙へ 消耗する神経
■メトロトロン・レコード設立〜KERAとの初コラボレーション
■鈴木慶一、はちみつぱいとの「決着」
■鈴木慶一と『MOTHER』
■鈴木慶一と映画音楽

4章:1991年ー1999年
■ムーンライダーズを復活へと導いた岡田徹のバンド愛
■40代にして初の公式ソロアルバム『SUZUKI白書』
■鈴木慶一と90年代前半の雑誌/テレビ
■『A.O.R.』と大瀧詠一が残した言葉
■ムーンライダーズ・オフィスを巡る借金問題
■兄弟ユニットTHE SUZUKI〜『MOTHER2 ギーグの逆襲』
■移籍を繰り返してもつきまとう『マニア・マニエラ』の亡霊
■鈴木慶一と岩井俊二、Piggy 6 Oh! Oh!
■ムーンライダーズ20周年 ファンハウス時代の音楽性の多様さ
■鈴木慶一と演劇
■先行リミックス、無料配信……作品発表スタイルの模索

5章:2000年ー2008年
■宅録の進化がムーンライダーズに与えた影響
■『Dire Morons TRIBUNE』以降のバンド内での役割
■鈴木慶一と北野武、映画音楽仕事の充実
■新事務所、moonriders divisionの誕生
■夏秋文尚の合流〜『MOON OVER the ROSEBUD』
■鈴木慶一とcero、曽我部恵一

6章:2009年ー2021年
■高まり続ける映像やサウンドへのこだわり
■ムーンライダーズと「東京」
■鈴木慶一と『アウトレイジ』
■激動の2011年、ムーンライダーズの無期限活動休止
■Controversial Spark、No Lie-Sense始動
■かしぶち哲郎との別れ
■『龍三と七人の子分たち』〜ムジカ・ピッコリーノ
■鈴木慶一45周年 はちみつぱい・ムーンライダーズ再集結
■中国映画、アニメ映画音楽への挑戦
■コロナ禍に迎えた鈴木慶一音楽活動50周年

7章:2022年ー2023年
■新体制での『It's the moooonriders』
■鈴木慶一とPANTA
■鈴木慶一と高橋幸宏
■岡田徹との別れ
■バンドキャリア半世紀近くに取り組んだインプロ作品
■鈴木慶一と大滝詠一
■一つずつ叶えていく「死ぬまでにやりたいことシリーズ」

8章:鈴木慶一について知っている七の事柄

鈴木慶一年表(1951年ー2023年)

参考文献

あとがき

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