『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』刊行記念 ちょい読み第3弾:鈴木慶一と北野武、映画音楽仕事の充実

 音楽評論家・宗像明将による書籍『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』が、12月26日に株式会社blueprintより刊行された。

 バンド・ムーンライダーズを結成して1976年にデビュー、その後もさまざまなミュージシャンとのバンドやユニット活動に参加する傍ら、CM音楽、歌謡曲などの楽曲提供とプロデュースに携わり、日本のポピュラー音楽史に多大な影響を及ぼしてきた鈴木慶一。『MOTHER』などのゲーム音楽や、北野武監督の『座頭市』『アウトレイジ』をはじめとする映画音楽の名手としても知られる一方、俳優としての顔も持ち、映画やドラマへも多数出演。現在に至るまで精力的な活動を続けている。

 本書では、1998年に『20世紀のムーンライダーズ』でライターとしてデビューし、その活動を追ってきた音楽評論家・宗像明将が、鈴木慶一本人に72年間の歩みを聞く集中取材を敢行。2023年の今だからこそ聞くことのできた貴重なエピソードの数々が収められている。

 リアルサウンドでは本書の刊行を記念し、内容から一部抜粋してお届けする「ちょい読み」企画を実施。第3弾となる今回は、【第5章 2000年ー2008年】から「鈴木慶一と北野武、映画音楽仕事の充実」より一部を先行公開する。

『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』刊行記念 ちょい読み第1弾:ムーンライダーズの「最初の日」

音楽評論家・宗像明将による書籍『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』が、12月26日に株式会社blueprintより刊行される…

『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』刊行記念 ちょい読み第2弾:はちみつぱいとの「決着」

音楽評論家・宗像明将による書籍『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』が、12月26日に株式会社blueprintより刊行される…

<第5章 2000年ー2008年 内「鈴木慶一と北野武、映画音楽仕事の充実」より一部抜粋>

 2003年には、鈴木慶一の音楽キャリアのなかでも非常に重大な仕事が待っていた。北野武監督の『座頭市』の音楽である。サウンドトラックは2003年9月3日に発売。2004年2月20日には日本アカデミー賞最優秀音楽賞を受賞した。さらには、スペインの第36回シッチェス・カタロニア国際映画祭で最優秀音楽賞も受賞。国内外で鈴木慶一の知名度が上がる契機となった。

 そもそもは、北野武が当時所属していたオフィス北野の社長である森昌行がムーンライダーズのファンだった。

「森さんが社長になった頃に、(ムーンライダーズ・オフィス社長の)上村とよく飲んでいたようだよ。六本木の高級フレンチレストランで。『座頭市』の前に、同じオフィス北野の清水浩監督の『チキン・ハート』の音楽を頼まれるわけ。それは、アコーディオンをメインにしてくれということだった。その縁があって頼まれたわけだ。なんで頼まれたかというと、『座頭市』は全部がリズムなんだよね。たとえばタップダンスに始まり、大工さんが仕事をするのにもリズムを合わせているんだよね。撮影中にクリックを流して、それに合わせてみんなが演技をしている。ビョークの『ダンサー・イン・ザ・ダーク』も全部リズムが合ってたし、同じような感じがしたんだよね。武さんがそれを見たかは知らないけど、私が音楽担当として臨むときに、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』だなと思った」

 しかし、『座頭市』の音楽は紆余曲折を経る。80年代R&Bの要素があるブラス・セクションを入れたものの、イメージが違うということになった。

「武さんは、最初に一言ボソっというんだよね。この場合、『レオ・セイヤーだな』と言った気がする。そういう曲を作っていったけど、『何か違うな』って。『よし、もう一回考え直そう』となった。タップダンサーありきで、ストライプスというグループが作ったリズムがあって、それがエンディングテーマの『Festivo』になる。最初は、ストライプスの音楽を担当している人が作ったオケがあって、それを全部もっと私流の音に変えようとしていった。でも、それで映像を録ろうとしているので、ズレたらおしまいなの。ストライプスは、木のカンカンという音を、ズレちゃいけないので何十回もダビングしていた。タップの練習もそれでしているので、リズムは揺るぎないんだよ。ただ、当時は録音されたリズムはMIDIデータのような数値のデータじゃないんだよね。サウンドをサンプリングしている音なので。MIDIデータは音色をすぐ差し替えられるけど、すでに録音されちゃってるので、そこの波形に合わせて違う音を乗っけていくという大変な作業だった。三味線が入ったりするのは、私が一番やらないようなことだし、どうしようかなと思ったけど、武さんはそのイメージが強いので変えられない。周りのスタッフは『メロディが何もないし、メロディをつけていく方向でお願いします』と。そこで、ホーンをバンと入れて、メロディを作ったのは私。リズムを作ったのはストライプス。『Festivo』はそういう合作なんだよね」

 鈴木慶一はダビング作業には必ず立ち会い、ほぼ音効であったともいう。

「それは『MOTHER』をやったときに、どんな低音が出るかを調べたのと似ているね。音楽だとミックスと呼ぶ作業を、映画だとダビングと言うんだよね。要するに、セリフ、音効の作ってきたSE、私が作った音楽を混ぜて、たとえばセリフが聞こえない部分は修正したりして、最終的にはミックスするということなの。それを映画界ではダビングと言う。音効さんもいて、音楽を持っていくわけじゃない? そこで音効さんとのやりとりになるのね。音効の柴崎(憲治)さんの後ろで私は必ずコンピュータを覗いているんだけど、『全部ボリューム10じゃん、それ卑怯じゃないの?』とか言ったりして(笑)、音効さんに負けちゃうんだよね。こちらもR&B的なものとは違うものを作ろうとして、生楽器を一切使わずに、全部シンセのサウンドで作っていったので、音効さんの作っている音とかぶってしまうところがあったんだよ。それと、たとえば8分ぐらいある曲でリズムが決まっているんだよね。最後、バタッとお百姓さんが田んぼの中で倒れる音のタイミングに合っていなきゃいけない。そういうリズム主体の映画だったので、森さんは私に頼んできたんじゃないかな。ブラックミュージック的な要素が必要だなと思ったのかもしれないけど、できあがりはそんなにブラックミュージックっぽくないね。アジアっぽいと言えばアジアっぽい」

 鈴木慶一は、5.1chサラウンドを扱える珍しいミュージシャンだった。

「5.1chサラウンドというだけで私はもう嬉しかったからね。非常に創作意欲を湧かせてくれた。サラウンドの面白さというのは、片方から人が来ると、音がそっちから聞こえてきて、人が逆側に消えていくと、そっちまで音を流すというような細かいことをやっていた。マーティン・スコセッシのローリング・ストーンズの映画『シャイン・ア・ライト』はすごかったね。キース・リチャーズがあるところでギターを弾くと、そこからギターがちゃんと聴こえてくる。全部移動させる。それは今はあまりやらない。無駄なことだとわかったのかもしれないし(笑)、見ていて疲れるのかもね。リアリズムが過ぎて」

 北野武との関係性は緊張感のあるものだった。

「武さんとやるのは初めてでしょ? どんな人かもよくわからないし、接点があるとするならば、YMOが出た『オレたちひょうきん族』の昔のチャンバラ物のパロディに、私と鮎川(誠)さんと立花ハジメが山賊で出たぐらいの接点しかないんだよ。だから、難しいことはいっぱいあった。最初の頃は、デモテープを持っていって聴いてもらうんだよね。聴き終わってシーンとするんだよ。『このシーンとする時間はなんだろうな?』と思って。『何か違うな』って言われたら、『もう一回やります』って。ただ、『何か違うな』というのは、音楽用語として一番怖い言葉なんだ。何が違うのかがわからないから。そこで『何が違うんでしょうか?』と言う関係ではなかったし。すごくたくさん直したね。でも、逆境と言ったら変だけど、やり直しが出た場合は、闘争心が湧く」

続きは書籍にて

※ムーンライダーズ『80年代のムーンライダーズvol.1』12月27日(水)東京・EX THEATER ROPPOONGI公演会場内での販売あり。

■書籍情報
タイトル:『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』
amazon購入:https://www.amazon.co.jp/dp/4909852476
blueprint book store購入:https://blueprintbookstore.com/items/6570603f72c3a4015daca272

著者:宗像明将
発売日:2023年12月26日 ※発売日は地域によって異なる場合がございます。
価格:3,300円(税込価格/本体3,000円)
出版社:株式会社blueprint
判型/頁数:四六判ソフトカバー/336頁
ISBN:978-4-909852-47-2

<目次>
1章:1951年ー1974年
■東京都大田区東糀谷、大家族暮らし
■母親が見抜いた音楽の才能
■「日本語のロック」への目覚め
■あがた森魚、はっぴいえんどとの出会いが変える運命
■バックバンドから独立したバンド、はちみつぱいへ
■混乱したライヴ現場での頭脳警察との遭遇
■風都市の終焉と、はちみつぱい解散

2章:1975年ー1983年
■ムーンライダーズの「最初の日」
■『火の玉ボーイ』鈴木慶一の曖昧なソロの船出
■椎名和夫の脱退、白井良明の加入
■ムーンライダーズとYMO
■鈴木慶一とCM音楽
■『カメラ=万年筆』で幕を閉じる日本クラウン期
■高橋幸宏とのTHE BEATNIKS、ロンドンで受けた刺激
■『マニア・マニエラ』屈指の傑作にして発売中止
■『青空百景』のポップ路線と、広がる若手との接点

3章:1984年ー1990年
■『アマチュア・アカデミー』以降の数百時間に及ぶREC
■ムーンライダーズ10周年〜『DON'T TRUST OVER THIRTY』
■ムーンライダーズ約5年にわたる沈黙へ 消耗する神経
■メトロトロン・レコード設立〜KERAとの初コラボレーション
■鈴木慶一、はちみつぱいとの「決着」
■鈴木慶一と『MOTHER』
■鈴木慶一と映画音楽

4章:1991年ー1999年
■ムーンライダーズを復活へと導いた岡田徹のバンド愛
■40代にして初の公式ソロアルバム『SUZUKI白書』
■鈴木慶一と90年代前半の雑誌/テレビ
■『A.O.R.』と大瀧詠一が残した言葉
■ムーンライダーズ・オフィスを巡る借金問題
■兄弟ユニットTHE SUZUKI〜『MOTHER2 ギーグの逆襲』
■移籍を繰り返してもつきまとう『マニア・マニエラ』の亡霊
■鈴木慶一と岩井俊二、Piggy 6 Oh! Oh!
■ムーンライダーズ20周年 ファンハウス時代の音楽性の多様さ
■鈴木慶一と演劇
■先行リミックス、無料配信……作品発表スタイルの模索

5章:2000年ー2008年
■宅録の進化がムーンライダーズに与えた影響
■『Dire Morons TRIBUNE』以降のバンド内での役割
■鈴木慶一と北野武、映画音楽仕事の充実
■新事務所、moonriders divisionの誕生
■夏秋文尚の合流〜『MOON OVER the ROSEBUD』
■鈴木慶一とcero、曽我部恵一

6章:2009年ー2021年
■高まり続ける映像やサウンドへのこだわり
■ムーンライダーズと「東京」
■鈴木慶一と『アウトレイジ』
■激動の2011年、ムーンライダーズの無期限活動休止
■Controversial Spark、No Lie-Sense始動
■かしぶち哲郎との別れ
■『龍三と七人の子分たち』〜ムジカ・ピッコリーノ
■鈴木慶一45周年 はちみつぱい・ムーンライダーズ再集結
■中国映画、アニメ映画音楽への挑戦
■コロナ禍に迎えた鈴木慶一音楽活動50周年

7章:2022年ー2023年
■新体制での『It's the moooonriders』
■鈴木慶一とPANTA
■鈴木慶一と高橋幸宏
■岡田徹との別れ
■バンドキャリア半世紀近くに取り組んだインプロ作品
■鈴木慶一と大滝詠一
■一つずつ叶えていく「死ぬまでにやりたいことシリーズ」

8章:鈴木慶一について知っている七の事柄

鈴木慶一年表(1951年ー2023年)

参考文献

あとがき

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