FLYING KIDS、骨身に染み込むグルーヴで鳴らす“ヒカリ”とは? 芸術や哲学を日常に落とし込んでいく浜崎貴司の眼差し

 FLYING KIDSが新曲「REFLEX ACTION」をリリースした。2022年7月に配信された軽やかなラテンファンク・チューン「ウブゴエ・デスフィーレ」から、さらに踏み込んだ最新型ミクスチャーファンクとでもいうべきナンバーだ。

 1988年に大学の音楽サークル仲間で結成されたFLYING KIDSは、折しも日本中で吹き荒れていたバンドブームの台風の目のようだった。当時は、1980年代前半に起こったインディーズブームの影響で、日本中に若いバンドが誕生していた。だがライブハウスなど彼らが活動できる場が今よりも少なかったことから、路上演奏という手段に出るバンドが現れた。日曜日には自動車の通行を止めて歩行者天国になっていた代々木公園通りにアマチュアバンドが並んで演奏するようになり、彼らは「ホコ天バンド」と呼ばれた。これは地方にも飛び火し、大阪城公園では「城下バンド」も現れた。そうしたバンドブームを受けて始まったアマチュアバンドが競うTV番組『平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国』(TBS)通称『イカ天』で、3代目イカ天キングとして5週連続勝ち抜きを達成し、初代グランドキングとなったのがFLYING KIDSだ。彼らは1990年にシングル『幸せであるように』でメジャーデビュー、バンドブームの牽引役となって活躍した。だが1998年に解散、浜崎貴司(Vo)はソロとなり他のメンバーもそれぞれバンドを組んだり他の道に進んだりした。そして2007年に新たなラインナップで再結成し、現在は9人編成のバンドとして活動している。

FLYING KIDS/幸せであるように [MUSIC VIDEO CLIP]

 そんなFLYING KIDSの新曲「REFLEX ACTION」は、結成から35年をかけて彼らがたどり着いたファンクミュージックのマイルストーンではないかと思う。彼らは3年前に15作目『そしてボクら、ファンキーになった』をリリースしたが、「REFLEX ACTION」はそのアルバムを受けて、さらにバンドを前進させている曲だ。デスクトップミュージックが当たり前、ギターソロなど必要ないといった風潮の中で、大勢のプレイヤーが人力で鳴らす音楽ならではのグルーヴを突きつける。もちろんレコーディングは打ち込みも使っているしサンプリングもしているだろう。だが演奏する9人の骨身に染み込んでいる、体を通して響くグルーヴが曲の隅々にまで行き渡っている。デジタルで揺らぎを作ることも今は可能だが、大人数が集まって音を出した時に生まれる自然な揺らぎは特別だ。さらにそれを現代的なサウンドにアップデートすることで、2023年にふさわしいファンクチューンに仕立て上げた。ちょいと重めのダンスビートにヘヴィメタリックなギターを乗せるのはマイケル・ジャクソンが「Beat It」でエディ・ヴァン・ヘイレンを起用したことを思い出させたり、フリーキーなホーンセクションにFunkadelicなどを連想したり、華やかでダイナミックなコーラスにSly & the Family Stoneを感じたりする。そうしたファンクのDNAをミックスしながら現代的なヒップホップ調に仕立て、その中心でビートの効いたラップを交えながら歌う浜崎の歌の存在感はデビュー時から変わらない。

 タイトルの「REFLEX ACTION」は反射、反射作用といった意味だが、一体何が何を反射しているのだろう。〈ヒカリ探す〉という歌い出しは、反射してくる光の光源を探すのか、それとも反射させるための光を探しているのか、と考えさせるが、少し進むと〈誰が次のビジョン照らすのか?〉と問いかけてくる。つまり今はビジョンを照らす〈ヒカリ〉がないのだ。そして、哲学者・ニーチェの有名な著書『ツァラトゥストラかく語りき』を引用する。歌詞にも出てくる〈神は死んだ〉は頻繁に一人歩きするワードだが、これは発端であり神、すなわちキリスト教の教義を乗り越えて、人間として自由な思想を持つことをニーチェは示そうとしたのだと私は解釈している。同じく歌詞の中に登場する画家のポール・ゴーギャンは、タヒチ島の自然の中で伸びやかに暮らす人々に魅了され、素晴らしい絵画を残した。タヒチの人々は溢れる光の中で暮らしていたのだろう。そんな先達の人生や考えに触れながら浜崎は、今の自分たちに重ねていく。

FLYING KIDS/我想うゆえに我あり [MUSIC VIDEO CLIP]

 FLYING KIDSの2ndシングルのタイトルは『我想うゆえに我あり』(1990年)とデカルトの言葉を冠したものだったが、ファンキーな演奏に乗せて若々しい反骨心を歌っている。浜崎は、特に哲学好きなわけではないようだが、こうしたパワーワードを自分なりに歌に落とし込もうとするのは、詞曲を作る者にとって魅力的な作業なのだろう。前述のニーチェよりさらに時代を遡るデカルトの言葉こそが、信仰に法らず人間としての理性に基づいていこうという哲学の原点となったものだ。デカルトは人間としての理性を「自然の光」と表している。誰にでも等しく降り注ぐ太陽や月の光のように、理性とはありふれたものということだ。「REFLEX ACTION」で歌っている〈ヒカリ〉とはこれなのかもしれない。キリスト教では7つの大罪とされ仏教では五欲と言われる人間の強欲や煩悩が、今や〈ヒカリ〉を曇らせて世の中を迷わせている。曲の後半で〈ヒカリ探せ〉と呼びかけるのは、そんな現在への危機感だろうか。〈ヒカリ〉が照らすのは明るい未来のはず。そして〈キミが次のビジョン照らすかも?〉と呼びかける。

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