矢野顕子、宇宙と向き合うことで知る“命のつながり” 大気圏外の野口聡一とのやり取りから生まれた壮大な楽曲を語る
矢野顕子・野口聡一。アルバム『君に会いたいんだ、とても』のアーティスト名には二人の名前が併記されている。宇宙飛行士の野口聡一が国際宇宙ステーション(ISS)で詞を書き、それを地上で受け取った、宇宙愛に満ちた音楽家=矢野顕子が作曲をし、ピアノを弾き、歌う。そんな連名の弾き語りアルバムである。矢野顕子の思いつきからはじまったという、この壮大で、同時にインティメートな企てが、着想から3年を経て14曲入りのアルバムという形になった。そのスタートからリリースまでの“宇宙旅行”を矢野に語ってもらった。(渡辺祐)
「野口さんの体験を伝えられる音楽」
――はじまりはお二人の著書『宇宙に行くことは地球を知ること 「宇宙新時代」を生きる』(2020年)の対談だったと伺っています。
矢野顕子(以下、矢野):そうですね。その対談の席で、二日間ぐらい、それはもう朝から晩までずっとずっと二人で宇宙の話をしていたんですよ。そこで私が「宇宙で詞を書いてくれませんか」って提案したんです。まったくの思いつきでしたけど(笑)、野口さんの貴重な体験をどうやったら伝えられるだろうと思っていたし、野口さんの考え方や人柄に触れられたこともアイデアのきっかけになったと思います。私たち、もしかしていけるかも、って。
――ただでさえ宇宙空間という非日常的な環境で、ミッションもたくさんある中で、野口さんもよく引き受けてくれましたね。
矢野:本当に(笑)。でも、野口さんは著作も多いですし、TVに出演している姿を観ていても、ご自身の言葉を持っている方ということはわかっていましたからね。「作詞の形式にはこだわらなくていいですから」ということはお伝えしたんですけど、最初に「こんな感じでどうですか」というメールがISSから来たときからもう「全然OK」でした。
――最終的に14篇の詞が届くわけですね。それを受け取った矢野さんの作曲がはじまるわけですが、今回、その中からセレクトして曲を書くのではなくて全曲を仕上げていますね。
矢野:受け取った瞬間に「これをつなげてサーガを書こう」って思ったんです。大袈裟に言えばジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』みたいな。私にそんな能力があるわけではないけれど、向かう気持ちとしては「サーガ」であると。だから全曲を書くことには抵抗はありませんでしたし、それだけ野口さんの詞が素晴らしかったですね。
――歌詞カードを見ても、すごく短い詞もありますし、本当に形式にとらわれていないですね。いわゆる作詞のプロの作り方とはまったく違いますよね。
矢野:はい、いわゆるお約束のない、自由なスタイルで書いてもらっています。それを私はポップソングとして仕上げたい。しかも、恋愛をテーマにするタイプのポップソングではなく、野口さんが伝えたかったこと、物語を曲げてはいけない。だから、それぞれの曲で挑戦はありましたね。例えて言えば、生まれたばかりの島に上陸して、まず測量からはじめて、ここを田畑にしようとか、ここはどうしようとか、そういうプロセスでした。その測量の結果、いわゆるAメロBメロもありますし、少し言葉をリピートした部分はあるんですが、基本的に野口さんの詞のまま歌っています。今回、アルバムの特典映像として野口さん自身が詞を朗読した映像作品を収めていますけれど、野口さんに朗読してもらおうというアイデアも最初からありました。野口さんは「え?」っていう感じでしたけど、「ぜひお願いします。スタッフは私が説得しますから!」って言って(笑)。
――そんな野口さんの体験を曲として伝えるという意味で、やはり1曲目の「ドラゴンはのぼる」は印象的です。すごい疾走感で、矢野さんならではの音楽的迫力に満ちています。
矢野:この曲は、クルードラゴンという最新型ハイテク宇宙船で宇宙空間に到達するまでの12分間が描かれるんですけど、そこで何が起きるのかをしっかり伝えたかった。私は宇宙が好きですから、少ないですけれど知識として持っているものもあるし、その発射から昇っていくまでの過程も知っていますから、それを総動員して“一緒に”ドラゴンに乗り込みました。まさに、矢野顕子も乗った。その思いもあったので、この曲は少し時間がかかりましたね。
――アルバムへのコメントとして野口さんは「大気圏をはさんだ“こころの交流”はきわめてスリリングで刺激的でした」と書かれていますし、矢野さんも「『わたしね、宇宙行ってきたから。』という矢野顕子は嘘をついている訳ではない」とコメントしていらっしゃいます。野口さんの「追体験」をするというよりは、音楽の中で「同時体験」をする、というイメージですね。
矢野:矢野もドラゴンに乗ったって言いましたけれど、野口さんの体験や、脳内に記憶・記録されたものを借りて生まれた曲たちですね。まず、野口さんが描いてくれる絵があるので、ある意味で作っていてもブレなかった。逆に自分の曲だと詞も曲もどんどん変えられるから。聴いてくれる皆さんにもその野口さんの体験を伝えられる。そういう意味で、音楽家であったことは、本当によかったと思っています。これまで宇宙に興味を持つチャンスがなかった方にも聴いていただけるといいですね。