GAUZEの解散は世界にとっても大きな損失だーーISHIYAが綴る、偉大なハードコアパンクバンドの功績

GAUZE解散に寄せて

 2022年の音楽界で、個人的に一番衝撃を受けたニュースといえば、日本で最初のハードコアパンクバンドでありながら、40年以上現役で活動し続けてきたGAUZEの解散だ。

 11月も終わりに近づいていたある日、筆者がボーカルをやっているDEATH SIDEの東欧オーストリアとセルビアのツアー中に、この信じられないニュースが入ってきた。

 その一報はTwitterのGAUZEオフィシャルサイトのツイートだった。

「GAUZE解散の報告 現メンバーになって以来、一人でも脱退したら解散と決めていましたが、この度それが現実となってしまった為、本日GAUZEは解散する事になりました。」

 こう書かれていただけで、誰が脱退したのか、何があったのか全くわからない。これを見た瞬間に「GAUZEが解散したらしい」と、周りに伝えると、その場にいた人間、もちろん海外にいたため海外の人間も含め全員に衝撃が走った。

 海外の友人は「本当なのか? 一時的な活動停止ではなくもうやらないのか?」と言ってきたので「いや、本当の解散のようだ」と伝えると「NO!」「SHIT!」など、あまりにも信じられない様子で悲嘆していたが、こちらとしてもわけがわからない。

 少し前に自著『右手を失くしたカリスマ~MASAMI伝』の取材で、ベーシストのSHINと久々に電話したときには全くそんな素ぶりはなく、MASAMIの話や昔の東京ハードコアシーンの話をたくさん話してくれていた。ギタリストのモモリンとも、MASAMI伝のことで少し連絡をとっていたが、やはり全くそんな素ぶりの欠片さえなかった。

 2020年だったと思うが、新宿アンチノックでのTHE TRASHのレコ発記念で、筆者がボーカルをつとめるFORWARDで久々にGAUZEとの共演予定があったのだが、コロナ禍が激しい時期であり延期になったことがあった。このライブも何度かの延期を挟みながら、なんとか実現させようとしていたが、結果的に中止となってしまった。

 そして実は、同年10月には新宿アンチノックの周年記念ライブで、DEATH SIDEと、GAUZEの2マンライブが決定していた。このライブも発表前にコロナ禍が激しいため中止となってしまい、その後GAUZEのメンバーと話したときには「あれ残念だったね、またやろう」と言ってくれていたライブがあった。

 DEATH SIDEのメンバーも「いつか絶対にやりたい」GAUZEとの2マンライブを非常に楽しみにしていた。早くコロナ禍が緩和され、GAUZEがライブ活動を再開するのを心待ちにしていた矢先の一報だった。

言いたかねえけど目糞鼻糞
『言いたかねえけど目糞鼻糞』

 2021年には新作アルバム『言いたかねえけど目糞鼻糞』も発売し、コロナ禍でライブ活動はやっていなかったものの、このアルバムの凄まじさは聴いた人間ならわかるだろう。コロナ禍で活動できない中、こんなにもの凄いアルバムを作るとは、さすがGAUZEだと唸らされた。そしてこのアルバムの曲を、ライブで聴けるのを楽しみにしていた。そのGAUZEが解散? 異国の地で聞く意味のわからない話である。しかし確実な事実であるオフィシャルの発表であるために、個人的に非常に混乱した。

 筆者が東京のハードコアパンクシーンのライブに通い始めたのは、高校生になったばかりの1983年頃からであるが、その時代からGAUZEはシーンの中心として活動していた。

 筆者が初めてGAUZEを観たときは、初期オリジナルメンバーの編成で、FUGU(Vo)、モモリン(Gt)、SHIN(Ba)、ヒロ(Dr)というメンバーであった。ファーストアルバム『FUCK HEADS』が発売される前の時期であったが、GAUZEの人気は不動のもので、観客の盛り上がりも激しく、他のバンドが喧嘩などの揉め事や演奏面でのトラブルなども多い中、GAUZEのライブステージの安定感はハードコア界随一で、毎回かなり安心して盛り上がることのできるライブだった。

 ハードコアパンクにどっぷりとのめり込んで高校を辞め、派手なトロージャン(長いモヒカンを立てた髪型)でライブに通い詰めていると、渋谷にあった屋根裏のTHE TRASHのライブのときにベーシストであるヒロシが声を掛けてくれ、MASAMIにも紹介してくれた。

 ちょうど同じ時期に、いつも鹿鳴館で行われていたハードコアのライブにもよく行っていて、鹿鳴館で行われたGAUZE主催の『消毒GIG』のときに、GAUZEのSHINが「お前いつも来てるよな。次からは警備でタダで入れてやるよ」と、『消毒GIG』やGAUZE主催のライブには無料で入場させてくれるというではないか。それからさらにライブに通い詰めたのは言うまでもない。

 こうしてライブに通い詰めていると、今度はSHINに「お前バンドやってるのか?」と聞かれるようになり、そこからDEATH SIDEが『消毒GIG』に出させてもらい、ハードコアの世界で知名度を上げていくこととなる。

 このDEATH SIDEが最初に出演した『消毒GIG』が「LOW CHARGE GIG」という名目で行ったライブで、低価格のライブでドリンク代のなかった鹿鳴館なので、500円でライブを見ることができた。GAUZE主催のライブは毎回低価格だったのも、金のないパンクスには心に響くものだった。

 こうしてDEATH SIDEが都内でも頻繁にライブをやるようになり、地方でのライブも増えていったのだが、ちょうどこの時期にGAUZEの『THRASH TIL DEATH TOUR』で北九州まで行ったときに、筆者はGAUZEの車に乗ってついて行くなど、本当に可愛がってもらっていた。

 その後、一時期仲違いというか、筆者が一方的にGAUZEを否定していた時期があったが、あるときからGAUZEが許してくれ、最近では仲良く話すようになっていた。

 上記したこの辺りの話は、自著『右手を失くしたカリスマ MASAMI伝』や『ISHIYA私観 ジャパニーズ・ハードコア30年史』でも触れているが、まだ読んでいない人のためにも記しておく。詳細を知りたい方は、この2冊を読んでもらえるとわかるだろう。

 解散の事実を知り、何が原因なのかがわからないため、メンバーと話していた。幸いDEATH SIDEのメンバーにはアースダムの店長のMUKA-CHINがいるので、状況などを聞くことができたため、俺なりの予想はできたのだが、全く確実ではない。

 しかし解散のTwitterを見た翌日に、セルビアからGAUZEのドラムのヒコのパートナーと連絡をとると、事実は全く違っていた。体調や家庭の問題などでFUGUが脱退したというではないか。そこでキッパリと決断するのもGAUZEらしいといえばGAUZEらしいのだが、心の底からの寂しさと無念さは否めない。しかし一番無念なのは、GAUZEのメンバーたちであることは容易に想像できる。

 そして最近になり、ラストライブの映像が公開された。FUGUのいない3人編成で演奏するGAUZEなど初めて観る。ニューアルバムからも何曲か演奏しているが、名曲「ムラカミという男」の初めてのライブがこんな形になるとは……。しかし最後に、涙が溢れてくる最高のシーンが訪れる。そしてライブ終了後には、メンバーから解散の経緯が語られ、各メンバーの挨拶もあったようだ。

「ガーゼ ラストライブ & コメント」2022年11月26日 @新宿ANTIKNOCK ("GAUZE LAST LIVE & COMMENTS" on Nov. 26th, 2022)

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