DEATH SIDE・ISHIYAのオーストリア/セルビアツアー記 肌で感じた、東欧パンクスたちの熱気

DEATH SIDEオーストリア/セルビアツアー記

 筆者自らがボーカルをつとめるバンドDEATH SIDEで、 2022年11月23日から28日まで、オーストリアのウィーンとセルビアのノヴィ・サドでのツアーを行って来た。DEATH SIDEのメンバー全員が、オーストリアとセルビア初体験になる。

 セルビア第二の都市であるノヴィ・サドで行われる「TO BE PUNK FESTIVAL」に、2年ほど前から「DEATH SIDEで出演してくれないか?」とのオファーがあった。当時はまだ世界的にコロナ禍真っ只中で、海外でライブを行うのは無理であったが、2年後であれば緩和されているだろうとの予測のもとに進んでいた話であった。ちょうどメンバーのひとりが体調不良のために、バンド側としても動ける状態ではなく、2年という月日があったために、今回のツアーが行えたと思う。そうして2年が経ちメンバーの体調もなんとか復活し、世界的にもコロナに対する緩和措置なども見られており、ワクチン接種の有無に関わらず入国できるとのことだったのでツアーが決定した。

 するとオーストリアのウィーンを拠点に活動する友人で、来日経験もあるRUIDOSA INMUNDICIAのゲオルグから連絡があり「ウィーンでもライブをやらないか?」とのオファーがきた。旧知の友人であり、セルビアともそれほど遠くないウィーンであることと、オーストリアはユーロ加盟国であるために何かと便利な面もある。セルビアへ移動するための車の手配や運転のほかにも、現地でのサポートなどを全てやってくれるという素晴らしい提案だったために、オーストリアとセルビアのツアーが決定した。

 ロシアとウクライナの紛争が長引いている最中であるために、飛行機は中東ドバイ経由のものとなった。ドバイでのトランジットを含め22時間ほどの長旅だったが、初めて降り立ったオーストリアのウィーン国際空港で、いきなりスウェーデンからDEATH SIDEを観に来た友人で、Nightmareとの日本ツアーも行ったSKITKIDSのメンバーやその友人たちと出会う。

 そして今回世話になるRUIDOSA INMUNDICIAのドラムであり、オーガナイザーのひとりであるゲオルグの迎えで、ウィーン滞在中に宿泊するベーシストのムンディの家に行き、スウェーデンの友人たちも交えオーストリアビールで乾杯。翌日のライブに備え、マイナス8時間の時差を整えるためにも起きていたいため、みんなで観光へ出かけることとなる。


 バスとトラム(路面電車)で観光の中心である旧市街地に、宿泊する家のムンディの彼女ソフィーやゲオルグの案内で観光したのだが、古代ローマ時代からの街並みは素晴らしく、キリスト教が基本にある文化や教会などの建物は、さすがヨーロッパと言わざるを得ない重厚さと歴史に圧倒されるものがあった。


 その後ムンディも合流し、日も暮れて寒くなってきたためにウィーン名物であるホットワインに舌鼓を打ち、観光を終えた後にウエルカムパーティーで予約してくれたというウィーン料理レストランへ向かう。


 レストランには続々と人が集まってきて、中には筆者が初めて海外ツアーを行ったアメリカで、少しの間一緒にツアーをしたCAREER SUISIDEの当時のベーシストなどの他にも、ヨーロッパ各国からDEATH SIDEを観るためにウィーンにきた人間で盛大なパーティーとなった。

 このウエルカムパーティーは二次会まであり、地元のBARへ移動後にも、多くのDEATH SIDEを観るためだけにウィーンまでやってきたパンクスたちでごった返した。BARのオーナーもDEATH SIDEが好きなようで、翌日のライブに来ると言っているほど、今回のDEATH SIDEのヨーロッパツアーを楽しみにしている人間の多さに驚くと共に、下手なことはできないという緊張感と気合が漲って来た夜でもあった。

 ムンディの家に帰ってからも宴は続き、弁慶とムンディ、彼女のソフィーは朝方まで飲んでいたらしく、ソフィーは翌日起きてこられないほどの宿酔で、ムンディもかなりの宿酔で午後まで起きてくることはないほどの濃い初日となった。

 そしてウィーンでのライブ当日を迎えたのだが、メインのライブは前売りチケット発売2日目にして160枚がソールドアウトとなり、ネット上などでは「もう少し大きい会場でやったほうがいい」との話も見られたが、ウィーンにはパンクが演奏できる大きなクラブがなく、今回もいつもはやらないメタル系中心のクラブということだった。

 このメタル系のライブハウスが、いつもの音作りとは違い、アンプからの出音は極力絞ってP.Aで調節するもので、パンクバンドではなかなか経験しないタイプのものであったが、様々な音作りの奥深さを経験できるいい機会となった。


 クラブの店員たちも皆素晴らしくいい人物たちで、オーナーは終了後にわざわざ褒めにきてくれたり、結構な年齢と思われるドリンクの男性は色々なサービスもしてくれるなど、素晴らしいクラブであった。

 しかしメインショーがソールドアウトなっているにもかかわらず、それでもチケットを求める観客が多いために、シークレットでいつもライブを行うライブハウスでアフターショーを行うことが決定していた。しかし告知してしまうと多くの人間がやって来すぎるために対応できないとのことで、あくまでもシークレットを貫いてくれと言われていた。

 ウェルカムパーティーでも念を押されていたが、当日のライブ最中か終わった後にフライヤーが配布され、アフターショーにも100人以上の観客が押し寄せた。

 こちらのライブハウスは、いつもの通りの音作りで、いつものようにできるいい雰囲気の、パンクバンドがライブをやるのにふさわしい場所だったために、メインショーとはまた違った盛り上がりで非常に満足いくライブができたように思う。

 メインのショー、アフターショー共に、ヨーロッパ中から集まった観客たちの盛大な盛り上がりは筆舌に尽し難く、DEATH SIDEとしては2019年以来の演奏となるのだが、できる限りの全てを出し尽くせた満足感に溢れていた。

 それまで東欧には、チェコで行われたOBSCENE EXTREMEへの出演はあるが、田舎町のフェスのみに特化したイベントだったために、リアルな東欧という雰囲気ではなかった。しかし今回、本当の意味での東欧を感じることができたように思えるライブであり、旧社会主義国という文化で生きて来たパンクスたちの熱気を肌で感じるライブで、英語圏や西側諸国とはまた違った盛り上がりであったように思う。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「ライブ評」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる