日本のミュージシャンを世界に知らしめた<エレクトリック・バード> 金澤寿和とクニモンド瀧口が語り合う、稀有なレーベルの魅力

 1978年にキングレコード内に創設されたレーベル<エレクトリック・バード>。日本のクロスオーバー/フュージョンブームを牽引しただけでなく、日本のミュージシャンたちが世界に通用することを証明した役割もある。増尾好秋、森園勝敏、本多俊之といった日本人アーティストはもちろん、デヴィッド・マシューズ、スティーヴ・ガッド、ギル・エヴァンスといった海外の一流ジャズメンのオリジナルレコーディング作品まで幅広いカタログがあるのも大きな魅力といえるだろう。

 この度、<エレクトリック・バード>の歴史的名盤が配信解禁されるのに伴い、音楽ライターの金澤寿和と、流線形での活動で知られる音楽家のクニモンド瀧口による対談を行った。日本を代表する稀有なレーベルの魅力について、たっぷりと語り合ってもらった。(栗本斉)

多様なカタログを持つレーベル

——まずは、それぞれの<エレクトリック・バード>との出会いからお話しいただきたいと思うのですが、金澤さんはいわゆるリアルタイム世代ですよね。

金澤寿和(以下、金澤):1978年設立ということは、僕が高校3年から大学1年くらいですね。

——ということは、<エレクトリック・バード>の最初期から聴いていたのでしょうか。

金澤:フュージョンという音楽ジャンルは聴き始めていましたけれど、<エレクトリック・バード>というレーベルを知ったのはもう少し後ですね。大学の先輩のバンドが、増尾好秋さんの「サンシャイン・アヴェニュー」(1979年)という曲をコピーしていて、「なんだ、このかっこいい曲は!?」と思ったのが最初だと思います。その時はまだ<エレクトリック・バード>の存在を意識していたわけではないけれど、最初に触れたのがその頃ですね。だから、設立から1年遅れくらいで、よく聴くようになったんじゃないかな。その後、森園勝敏さんの『バッド・アニマ』(1978年)を聴いた時に、「増尾好秋と同じレーベルだったんだ」って思っていました。

——じゃあ、実際にレコードを手に取ったのは、増尾好秋さんよりも先に、森園勝敏さんだったということですか。

金澤:そうですね。ただ、そのレコードも誰かに借りてきたとか、その程度で実際には持っていなかったかな。でも、四人囃子が好きだったので森園さんのソロアルバムで<エレクトリック・バード>というレーベルを意識するようになってきて、続々と国内外のアーティストが作品を発表するようになったという印象ですね。

金澤寿和

——瀧口さんは金澤さんよりも世代が少し下なので、フュージョンブームという意識はないですよね。

クニモンド瀧口:後から思い返せば、CMなどでずいぶん聴いていたんだなあと思いますが、当時はまだレーベルがどうとかいう知識がなかったですね。本多俊之さんの曲なんか、タバコやラジカセ、家電製品などのコマーシャルでよく使われていたというのは記憶にあります。ただ、<エレクトリック・バード>というレーベルを意識するようになったのは、90年代に入ってからですね。某レコード店でジャズのバイヤーをやっていたんですが、その当時はアシッドジャズが全盛期で、レアグルーヴの流れでジャズファンクやソウルジャズなどがけっこう発掘されて聴かれていたんです。それで、ジム・ホールやボビー・ライルといった<エレクトリック・バード>のカタログを聴いていました。

——じゃあ、ずいぶん後追いになりますね。

クニモンド瀧口:そうなんです。だから、いわゆるフュージョンブームはリアルタイムでは知らないけれど、<ブルーノート>や<CTI>といったレーベルと同じように、クラブミュージック寄りの感覚で<エレクトリック・バード>の作品を聴くようになったという感じですね。とはいえそれほど意識していたわけでもなく、なんとなくあのロゴを見たことあるなっていうところから入っていったというか。

クニモンド瀧口

——お二人の話を聞いていると、その対比が面白いですね。金澤さんはフュージョンブームの王道的なレーベルとして<エレクトリック・バード>の作品を聴いていて、瀧口さんはレアグルーヴとして捉えられていたと。

クニモンド瀧口:ただ、そういった流れとは別に、たまたまジャズコーナーにあった増尾好秋さんの『グッド・モーニング』(1979年)を手にしたんですが、<エレクトリック・バード>ということを特に意識せずに聴いていて、すごく大好きでした。

金澤:これはめちゃくちゃ名盤だよね。僕も最初に聴いた増尾さんのアルバムはさっきも言ったように『サンシャイン・アヴェニュー』なんですが、どっぷりハマったのはこのアルバムなんですよ。ほぼリアルタイムで聴いていたと思います。気持ちいいサウンドだから朝の目覚まし音楽にぴったりで、当時タイマーでステレオをセットして起きていたんですが、スパイロ・ジャイラか『グッド・モーニング』でした(笑)。

クニモンド瀧口:たしかこのアルバムは当時も売れたんですよね。

金澤:相当売れたと思いますよ。増尾さんは最初に『セイリング・ワンダー』(1978年)というアルバムがあるんだけれど、その後の『サンシャイン・アヴェニュー』で結構フュージョン好きは注目するようになって、『グッド・モーニング』でひとつのピークを迎えたといってもいいかもしれない。その後も、ヤン・ハマーと組んでスタジオアルバム『The Song is You and Me』(1980年)とライブ盤『Finger Dancing』(1981年)を発表していてあれもいいんだけれど、やっぱりフュージョンの一番おいしいところが詰まっているのが『グッド・モーニング』かなと思いますね。

——『グッド・モーニング』以外だと、どういう作品に思い入れがありますか。

金澤:森園勝敏ウィズ・バーズ・アイ・ヴュー名義で発表した『スピリッツ』(1981年)も当時は相当聴きましたね。

クニモンド瀧口:若い人のなかでも、シティポップ的に評価されている四人囃子の「レディ・ヴァイオレッタ」からの流れで、このアルバムを聴いている人は意外と多いですよね。

金澤:森園さんはもともと四人囃子というプログレッシブロックの出身だし、その後はプリズムに加入して、脱退した後にソロアルバムを作っているからフュージョンっぽいことをやろうとしているんだけれど、やっぱり根がロックなんですよ。この『スピリッツ』も王道のフュージョンではなくて、AORというかロックっぽいし、基本的には歌モノなんですよ。そう考えると、<エレクトリック・バード>は王道フュージョンのレーベルとして立ち上げているんだけれど、広がりを感じるんです。

クニモンド瀧口:少し違うけれど、清水靖晃さんの『ベルリン』(1980年)なんかはまさにそうですよね。

金澤:そうそう。その前の『ファー・イースト・エクスプレス』(1979年)は普通にフュージョンという感じなんだけれど。

クニモンド瀧口:『ベルリン』ではかなり実験的な方向に向かっていますよね。サックスだけの構成の楽曲とか、いろんなタイプの曲が入っていて何がメインなのかがよくわからないという。

金澤:笹路正徳さんや土方隆行さんなどマライアのメンバーが集まっているし、昨今アンビエントの側面で世界的に評価されている濱瀬元彦さんも参加している。当時は異形のフュージョンという感覚でよくわからなかったんだけれども、こういったものも<エレクトリック・バード>に入ってきていたんですよね。

——清水靖晃さんは、今となっては日本よりも海外での人気が高いですよね。

金澤:そうですね。なんでマライアや清水靖晃さんが海外でウケているのかが、今になるとだんだん見えてくる。そういった芽が、確実に<エレクトリック・バード>にはあったということがわかりますよね。

クニモンド瀧口:たしかに<エレクトリック・バード>は懐が深いですよね。僕はジャズファンクやアシッドジャズの流れでフュージョンを聴いてきたから、本多俊之さんがSeawindと一緒に作った『バーニング・ウェイヴ』(1978年)などに反応していました。それと、大野俊三さんの『クォーター・ムーン』(1979年)なんかはエレクトリックピアノやソリーナの音色が気持ちいいから、ロニー・リストン・スミスみたいな感覚で聴いていましたね。森園勝敏さんも清水靖晃さんもすべて同じレーベルだと思うと、本当に多様なカタログを持っていたんだなと感じます。

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