BUMP OF CHICKEN、“君”に歌を届けた幕張メッセライブ 26年間そこに在った音楽を愛おしんだ時間
開演時間を迎え、場内が暗転すると自然発生する拍手。SEが鳴ると、いきいきと鳴り始める客席からの手拍子。藤原基央(Vo/Gt)、増川弘明(Gt)、直井由文(Ba)、升秀夫(Dr)がステージに現れると拍手の音量はもう一段階上がり、藤原がギターを掲げるのと同時に客席からいくつもの腕が上がった。
結成25周年を迎えた2021年を経て、今年2月に開催を試みるも延期となり、いよいよ実現したBUMP OF CHICKEN 約2年8カ月ぶりの有観客ライブ『BUMP OF CHICKEN LIVE 2022 Silver Jubilee at Makuhari Messe 02/10-11』。2日目にあたる7月3日公演では、待ちわびていた観客の気持ちが開演前から溢れていたが、バンドのみずみずしいサウンドで以って1曲目の「アカシア」が届けられ、“君”という言葉を歌いながら藤原がフロアを指した瞬間――ああ、「アカシア」は私たちの曲だったんだとこの場にいる全員が理解した瞬間、互いの方を向いていた想いの矢印が結ばれ、一本線になった。会えなかった時間の蓄積が“やっと会えた!”という喜びに変わり、ライブの始まりを彩っていく。
その後も藤原は、“君”という言葉を歌う際、観客一人ひとりを見つめたりフロアを指したりすることで“君とは今目の前にいるあなたのことなんだ”、“この曲はあなたに歌っているんだ”と伝え続けた。さらに「天体観測」で〈未だに僕を支えている〉ではなく〈こうして僕ら繋いでいる〉と歌い、「ガラスのブルース」で〈僕はいつも 精一杯 唄を歌う〉ではなく〈僕は今も 精一杯 君と歌う〉と歌うなど、いくつかの曲の歌詞を替えてその事実を強調した。なぜそのようなことを行ったのか。“やっと会えた!”という気持ちでいるのは観客だけでなく、メンバー4人も同じだから。さらに言うと、アンコールで語られたように、「なんでここまで来られたかっていうと、君たちが聴いてくれていたからです」「一番しんどい時に君たちが支えてくれました」「君たちがそうしてくれたように、君たちが一番しんどい時に支えられるような音楽を作りたい」という想いがあったからであろう。
藤原のMCはまるで友達に喋るような語り口で、飾らずに自分の気持ちを届けようという想いが伝わってくる。後方にいる観客にもバンドの存在を近くに感じてもらえるようにという配慮からか、ステージ両側に設置された縦型の巨大スクリーンはメンバーの表情や姿を映し続けた。26年の年輪を感じさせるバンドサウンドは懐が深く、万単位の観客がそれぞれの楽曲に向ける想いを一身に引き受けたうえで、その人の中にだけ存在するイメージを呼び起こす力を持っているのがBUMP OF CHICKENの演奏であり、藤原の歌だ。「なないろ」における虹色の照明や「Aurora」で幕張の上空に広がるオーロラ、あるいはPIXMOBによる光の草原を見て、それぞれが、それぞれの心象風景を立ち上がらせていたことだろう。
つまりこのアニバーサリーライブは、とにかく盛大で華やかに、みんなで大騒ぎしようという趣旨のものではなく、26年間そこに在った音楽を愛おしむためのライブだった。シンプルで素朴だが何よりも大切な時間だ。この日は今年4月にリリースされた「クロノスタシス」やリリース未定の新曲「木漏れ日と一緒に」(初めて聴いたはずなのにどこか懐かしく感じられる曲だった)などの新しい曲から、「リトルブレイバー」などの初期曲までを網羅しつつ、「イノセント」や「才悩人応援歌」といったコアなファンを唸らせる曲も交え、オールタイムベストに留まらないセットリストを展開。先述のように、広い心でリスナーの想いの器となる大らかなサウンドを鳴らした一方、前のめりな衝動に突き動かされる瞬間も多く、BUMP OF CHICKENは現在進行形で生きているロックバンドなのだという当たり前だが尊い事実に、胸を高鳴らせる時間が続いた。個人的には「銀河鉄道」が特に印象に残っている。同じヴァースを繰り返す長尺のバラードを間延びさせずに聴かせてみせるバンドの手腕に脱帽するとともに、じわじわと熱量を上げていくアンサンブル、感情を剥き出しにさせていくボーカルに胸を打たれた。また、最後に鳴らされた音の余韻が止むのを会場全員で見守ったあの時間は非常に豊かなものであった。
そんななか、早くも3曲目で登場した「天体観測」ではバンドの伴奏だけになるシーンが訪れた。直後の藤原のMCによると、学校を休んでいる友達の席を空けて待っているのと同じような感覚で、これまでのライブでみんなが歌ってくれていたところは空白のままにしておくことにしたとのこと。何かがなくなったのではなく、空白が“ある”と捉え直すこと。その違いは大きい。特に「ガラスのブルース」では十数小節に及ぶ空白が生まれるが、シンガロングができずとも寂しさを感じなかったのは、耳に手を当てながら身を乗り出していた直井をはじめ、みんなが“心の大合唱”を聴いていたからであろう。それこそバンドが「一番しんどい時に君たちに支えられた」と言っていたように、ライブができなかった期間もリスナーは日々の生活でBUMP OF CHICKENの曲を聴き、心の支えにしてきた。会えなくてもそばにいるように感じられていた。その事実を噛みしめた先での再会、ここに空(くう)という概念など必要がない。