石崎ひゅーいが明かす、ベスト盤から5年ぶりアルバム『ダイヤモンド』まで 音楽との向き合い方に変化も

石崎ひゅーいが明かす、音楽との向き合い方

 石崎ひゅーいが、5年ぶりとなるオリジナルアルバム『ダイヤモンド』をリリースする。2018年のベストアルバム『Huwie Best』で「自分の中で一旦区切りをつけたような感じ」という石崎だが、その後は自分の半径を広げるようにしてきたそう。コロナ禍では人との触れ合いが減り苦しんだこともあったが、音楽とより密になることができたことや、10~20代のアーティストの曲を意識的に聴くようになったことなど、『ダイヤモンド』リリースまでを素直に語ってくれた。キャリアや年齢を重ねるにつれ、欲や悔しさが増しているという石崎の今に迫る。(編集部)

昨年の春頃は「どうしよう、これは終わったな」と思っていた

――今年は精力的にツアーを開催していた石崎さんですが、昨年のクリスマスに1年ぶりの有観客ライブを行ったんですよね。

石崎ひゅーい(以下、石崎):はい。久しぶりに有観客ライブをやれた時は「ああ、この感じ、この感じ」と満たされました。お客さんとの空気でできあがっていくのがライブというものだと思うので。

――その後行なったツアーも含め、久々にファンの方々と対面して何か感じることはありましたか?

石崎:アコースティックの全国ツアー(『石崎ひゅーい Tour 2021「for the BLACKSTAR」-Acoustic Set-』)が始まったのが9月だったんですけど、あの頃は感染者数も少なくなかったから、お客さんもまだちょっと気にしているような感じがありました。それを見て「まあそうだよな」と思ったんですけど、感染者数が減って、社会的にも「もうちょっと外に出ていこう」という空気になってくると、お客さんもだんだん晴れやかになっていって。人の気持ちの移り変わりが情勢と連動しているように感じられました。それを見て「いつでも安心させてあげないとな」と思ったし、僕も安心できたというか。

――僕も安心できた、というと?

石崎:コロナ禍になって最初の頃は恐怖や不安がありましたけど、オンラインで飲み会をしたり、Uber Eatsでご飯を頼んだりという生活に慣れてしまっている自分に気づいて、ちょっと怖いなと思ったんです。人の心はいろいろな環境の中で揺れ動くけど、最終的には生身の人間の温かさを求めていてほしい。そんなことをここ1~2年ですごく考えてました。

――人の温もりを日々の中で感じられるかどうかは、曲作りにも影響しますか?

石崎:そうですね。人は一番のインプット源なので。だからこそ、昨年の春頃は「どうしよう、これは終わったな」と思っていました。そうは言っても締切はあるので、とにかく作るしかなかったですね。デタラメにいっぱい書いてみたり、今まであんまりやってこなかった打ち込みを始めてみたり、とにかく音楽と向き合いまくることから始めてみて。だから、人と密になれなかった分、音楽とは密になることができたんですよね。そういう生活が続いた時に思ったんですよ。この先自分がどういう状況になっても、音楽とは一生一緒にいるんだろうな、と。まさに“音楽と結婚している”というような感覚というか、そういうものを得られたのがよかったなと思って。それで今回『ダイヤモンド』というアルバムタイトルに辿り着いたんです。

――なるほど。今作までの道のりを改めて整理させてください。まず、石崎さんは2018年にベストアルバム『Huwie Best』をリリースしていますよね。

石崎:はい。ベストアルバムを出したことで、自分の中で一旦区切りをつけたような感じでした。

――その後2019年に発表されたミニアルバム『ゴールデンエイジ』は、多様な楽曲を収録した、遊び心全開の作品でした。そして今回のアルバム『ダイヤモンド』も音楽性豊かな作品に仕上がっているので、そのモードがまだ続いているのではと感じたのですが、いかがでしょうか?

石崎:ベストアルバム以降、“自分の半径を広げる”ということを意識的にやっているんですよ。例えばサウンド面もそう。僕はずっとトオミヨウさんにアレンジをしてもらっていますが、今までは「こういうアレンジにしたい」と初めから伝えるのではなく、曲を投げて、どんなものが返ってくるのかを楽しみにしていました。だけどそういうところ(アレンジ)にも自分から踏み込んでいくようになった。それをやり始めたのが『ゴールデンエイジ』くらいの時期からだったんです。それこそ、今回のアルバムの1曲目「ジャンプ」も『ゴールデンエイジ』と同じ時期に私立恵比寿中学への提供曲として作ったもので。ケルトやEDM、フォークロックが混ざったサウンドをJ-POPに落とし込むことを考えながら作った曲なのですが、ベストアルバム以前の僕はそこまで踏み込んで考えたことはありませんでした。

――そもそも“自分の半径を広げよう”、“音楽に対してもう一歩踏み込んでみよう”と思うようになったのはどうしてですか? ベストアルバムを出す段階で“石崎ひゅーいの表現とはこういうものだ”という型が何となく見えてきた感覚があったのか。

石崎:そうかもしれないです。それまで僕は音楽=放出だと思っていたんですよ。自分の中にあるものをとにかく全て出すのが音楽だと捉えていたから、ライブも含め、そういうことをずっとやってきて。だけど、それだけじゃ届かないところがあると分かり始めたというか。これだけじゃダメだなと思い始めたんです。

――どういうきっかけでそう気づいたんですか?

石崎:いろいろな人に楽曲提供させてもらったり、お芝居をさせてもらったりするなかで気づいていった感じですかね。例えば、僕は菅田(将暉)くんのことを「人の心をまっすぐ捉える歌を歌う人だな」と思っているんですけど、そんな歌を隣で聴きながら、「自分にはないものだな」と思ったりして。そこから「それって何なんだろう?」と考えた時に、「あ、僕は今まで“人のもっと深いところに歌を届けるためには何をすればいいのか”を全然考えてこなかったんだ」ということに気づいて。あとは、自分の中にある“もっとたくさんの人に届かせたい”という欲とか、音源のセールスとか、見つめ直さなきゃいけないと思ったきっかけは他にもあったんですけど、そういうところから、歌に対する意識がどんどん変わっていきました。

――ということは、音楽=発散=アウトプットと捉えていた時期に比べて、これまで聴いてこなかった音楽をインプットするようになりましたか?

石崎:そうですね。インプットもしているし、研究もしていて……今までの僕だったら考えられない(笑)。特に、10~20代のアーティストの音楽を意識的に聴くようになりました。

――最近いいなと思ったアーティストは?

石崎:最近だと、映秀。くんや崎山(蒼志)くんを聴いています。あと、Vaundyさんやヒゲダン(Official髭男dism)のライブを観に行きました。すごく刺激を受けていますね。だってみんな“すごい”どころじゃないんですよ。もう「ヤバいぞ!」って感じ。そういうものも自分の音楽の糧にしていこうという気持ちですし、自分のケツを叩いているところもあるのかもしれないですね。

――菅田さん含め、今挙げていただいたアーティストは石崎さんより歳下かと思います。年齢やキャリアの長さは関係なしに「刺激を受けています」と言えるところに石崎さんの謙虚さを感じた反面、全部を自分の糧にしようとしているところに貪欲さも感じました。

石崎:デビューしたての頃、とあるラジオ局でスガ シカオさんに声をかけてもらったことがあったんですよ。iPadに僕のデビュー曲「第三惑星交響曲」の歌詞を出しながら、「めっちゃ聴いてるよ。最高だね! ぶっ飛んでるね!」みたいな感じで言ってくださって。その時、「うわっ!」と思ったんです。「大御所が俺なんかのデビュー曲を聴いてくださってる!」って。スガさんだけではなく、そういう大先輩の方は他にもいらっしゃって、やっぱりみなさんアンテナを張っているんですよね。そういう先輩方を見習わなくちゃという意識もあるのかもしれません。

――きっと、そうしてインプットしたもの、研究の成果が今作の多彩な収録曲に反映されているんでしょうね。そんなアルバムで「ジャンプ」が1曲目に配置されているのは象徴的だと感じました。元々はエビ中のみなさんに歌ってもらう前提で書いた曲かと思いますが、先ほど話していただいたように、石崎さんの意識の変化の出発点にあったんですよね。

石崎:そうなんです。自分の中でも思い入れが強い曲だったので、いつかセルフカバーしたいと思っていました。あと、歌詞の内容的にも今歌いたいなと思ったんですよね。「ジャンプ」は青春や社会に出ていく時の葛藤を描いた曲なんですけど……僕、この2年で一番悔しい思いをしたのは10~20代の子たちなんじゃないかと思っていて。10~20代の頃の心の動きってものすごく大切で、例えば、僕を形成しているのもその時の生活や当時聴いていた音楽だったりします。だからもしも僕が高校生の頃、「今から2年間バンド活動ができません」「修学旅行にも行けません」って言われたら、自分をどう形成していくのかなと思う。今10~20代の子は実際そういう状況にあるわけだから、すごくもがいているんじゃないかと。それに、さっきも話した通り、僕は今若い子たちの音楽に触発されたりしているから、そういう子たちに対してちゃんとエールを送りたいなと思ったんです。

――この曲にある〈鍵のかかった201に歓声は響かない〉、そして「Oh My エンジェル!」にある〈瞳の中の401号室のベルを〉もそうですが、部屋番号が歌詞に登場するのが面白いなと思いました。“ワンルーム”など別の単語にも置き換えられそうなのに。

石崎:あ、確かに部屋番出しがちですね(笑)。これは本当に、その時住んでいた部屋の番号で。

――ということは、今後“201”や“401”が歌詞に出てきたら、同じ時期に書いた曲だと思っていいですか?(笑)

石崎:あはは、「今あんまり引っ越してないんだな」と思われちゃうかも(笑)。あと僕の手法として、家の中と外を対比するような書き方が多いんだと思います。

――サウンド面で言うと、「パラサイト」も新鮮でした。

石崎:さっき打ち込みを始めたと言いましたけど、僕もようやくLogicを使って曲を作るようになりまして。リズムトラックを自分で作って、そこにエレキを重ねて……という作り方に挑戦したのが「パラサイト」でした。他の曲もそうですが、今回の制作では「こんな感じのサウンドにしたい」というイメージを自分の手で少しでも具現化してからトオミさんに預けるという方法を採っています。

――「スノーマン」も大まかに言うとエレクトロ系ですよね。

石崎:そうですね。トオミさんが“Tomi Yo”という名義でソロ活動をしているんですけど、ジェイムス・ブレイクのようなエレクトロと言いますか、僕はその世界観がすごく好きで。「スノーマン」は「そういった世界観にしてくれませんか?」というところから始まった曲です。

――「ジャンプ」の次に収録されているのが「スノーマン」なので、声色のギャップに惹きつけられました。サウンド面だけではなく、ボーカルからも新しさを感じたというか。

石崎:本当ですか? 嬉しい。確かに今までの僕だったら「ジャンプ」と同じくらい前に出るような歌い方をしていたと思うんですけど、この曲はサウンドに寄り添うような感じで歌のテイクを選んでいったんです。自分としても珍しい歌い方ができたかなと思っています。

――「スノーマン」はクリスマスソングですが、ハッピーなテンションではなく、少し陰りがありますよね。

石崎:これは悩みでもあるんですけど、僕はどうしても影の方に寄っていきがちなんです。今ある喜びに対して感謝する気持ちや“幸せを謳歌する”みたいな部分に曲を書く時の糸口を見つけるのが難しくて。

――でも「アヤメ」は、今ある幸せを育てていこうという曲ですよね。ということは、「アヤメ」は石崎さんにとって大きなトライだったのでしょうか?

石崎:めちゃくちゃトライでした。僕の中で「アヤメ」はもう「頑張って書いたね!」という感じの曲で。

――こうしてお話を聞いていると、サウンド面、歌唱面、そして歌詞の方向性においても、“新しいことにトライする”、“一歩踏み込んだ表現をする”ということを積極的に行っているアルバムだということが伝わってきます。

石崎:ありがとうございます。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「インタビュー」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる