淫らな秘密の中にある純度の高い恋愛感情 共感殺到の『純猥談』から生まれた映画と音楽
「もっとどうでもいい男と寝とけばよかった」「30になるまで相手がいなければ」「恋と呼ぶには利己的すぎた」「幸せで、幸せすぎて怖くなった」「好きって言ってくれなかったくせに」ーーこの言葉のどれかがスイッチになって、ふだんは忘れたふりをしている過去がフラッシュバックする人も多いのではないだろうか。
すべて、『純猥談 一度寝ただけの女になりたくなかった』(河出書房新社)に収録されている短編のタイトルである。どの作品も5分もあれば読み終える短さで、小説のように語られているけれど、フィクションではない。「誰もが登場人物になったかもしれない、誰かの性愛にまつわる体験談」を掲載するサイト「純猥談」から選び抜かれたもの。つまり、この世界のどこかで、もしかしたらあなたの住む町の、電車で隣り合わせた人が体験していたかもしれない、現実の記憶なのだ。
そもそもの発端は、佐伯ポインティ氏が2018年に設立した会員制の「猥談バー」。実店舗およびオンライン上で、おもしろおかしくエロい話ができる場所として人気を博していた「猥談バー」に、あるとき一件の投稿が寄せられた。それは、あるバンドマンと関係をもった女性の、誰にも言えない体験談。公開したところ、これは自分の話かもしれないと共感する読者が続出したという。といっても、別に、みんながみんなバンドマンと恋をしていたわけではない。ひりつくような切ない恋の痛みに、行間から溢れだす感情の渦に、覚えがあるということだ。性的には淫らな話であるはずなのに、言葉の端々から漏れる純度の高い恋愛感情。それが読む人の心を揺さぶって「純猥談」は誕生したのである。
現在に至るまで1万6000件以上の投稿が寄せられるなか、選りすぐりを抜き出したのが『純猥談 一度寝ただけの女になりたくなかった』だ。“できれば一生共感したくなかった恋愛の体験談”と銘打たれたその本は、「純猥談」の存在を知らなかった層にまで届き、第二弾となる『純猥談 私もただの女の子なんだ』とあわせて、累計12万部を突破。さらに第一弾に収録された「触れた、だけだった」をもとに製作された短編映画は、YouTubeで1000万回以上再生される人気ぶりである。
「触れた、だけだった」は、お互い恋人がいるのにセフレ関係になった男女が、大学を卒業したあと久しぶりに出会う、というだけの話だ。二作目の短編映画「私たちの過ごした8年間は何だったんだろうね」は、8年つきあった男女が一緒に暮らしはじめて最初の冬に別れ話を切り出す話。3作目「私もただの女の子なんだ」は、生活のため風俗で働いていた大学生の女の子が、大好きな人と触れあい、慈しみあう幸せを知る話。そんなふうに、『純猥談』で語られるのはどれも、まとめようと思えば一行で済んでしまうくらい、シンプルなエピソードばかりだ。しかしそれを、“ありふれた”とは絶対に形容したくない。どこかで聞いたような話かもしれない、だけど自分にとっては唯一無二の、誰にも肩代わりできない感情をくれた経験を積み重ねて、私たちは生きているからだ。どの短編の行間からも零れ落ちる切実な感情は、そんな私たちの経験にシンクロする。二度と思い出したくない、でも決して忘れたくないあの瞬間が、「純猥談」には満ちているのだ。