リュックと添い寝ごはんが体現する“普遍的な青春” 『シブヤノオト』『沼にハマってきいてみた』出演から考察
11月2日に配信シングル『東京少女』をリリースしたリュックと添い寝ごはん。リリース時のインタビューでも語られていた通り、表題曲は彼らがまだ高校生だった頃に作られた楽曲だという(※1)。そこに今、20歳になった松本ユウ(Vo/Gt)が新たな歌詞を書き加え、いわば10代の彼らと現在の彼らが混ざり合うことで「東京少女」は生まれた。その音や言葉に懐かしさと新しさを同時に感じるのは、きっとそうした曲の成り立ちのためだろう。
リュックと添い寝ごはんは2017年11月、3人が通っていた高校の軽音部で結成された。そして18歳でオーディションを勝ち抜き『ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2019』に出演、高校卒業直前となる2020年3月に初の全国流通盤『青春日記』をリリースすると、同年の12月には1stアルバム『neo neo』でメジャーデビューを果たす。そんなバンドのここまでのプロセスは、例えば11月13日に出演して生パフォーマンスを披露したNHK『シブヤノオト』でも輝かしい経歴として紹介されていたし、確かにその通りだと思う。誰にでもできることじゃないし、バンドとしての力があったからこそ成し得た業であることは間違いない。
だが、リュックと添い寝ごはんという一風変わったバンド名の3人組が(『シブヤノオト』ではバンド名の由来について改めて宮澤あかり(Dr)が説明する場面もあり、本当に意味なくつけたんだなと再確認できた)、勝ち上がってやるぜ、のし上がってやるぜ、という渇望を燃料に爆進してきたタイプかというと、決してそういうわけではない。むしろ彼らがここまで順調にステップを上ってこれたのは、その時々の「今」に真正面から向き合い、その中で感じたことだけを曲にしてきた結果なのだろうと改めて思う。
彼らにとって初めての全国流通盤となった『青春日記』には、怒涛のように過ぎていく日々への焦りを率直に綴った「ノーマル」や、〈今の僕にしか/描けない日々を〉という決意を歌う「青春日記」など、10代にしか感じられない、10代だからこそ描ける感情が詰め込まれている。視野は狭いがそのぶん濃い、文字通り「青春」の美しさややるせなさ。当時の彼らにとってはそれがリアリティのすべてだった。
11月15日に放送されたNHK『沼にハマってきいてみた』の特番『ヌマーソニック2021 ~尊き青春リベンジ~』(バーチャルプラットフォームで開催される10代のフェス)に10代アーティスト代表(松本・宮澤は一足先に20代に突入しているけど)として登場したリュックと添い寝ごはんは、まさにそうした「青春」のシンボルだった。最高だなと思ったのは、実際に彼らの音楽を聴いている10代リスナーの声が届けられたこと。「コロナ禍で青春なんてできないと思っていたけど『青春日記』に勇気づけられた」という高校生のコメントは、このバンドが「青春日記」という曲で歌ったことがとても普遍的な青春の在り方だったということを教えてくれた。そしてリュックと添い寝ごはんの3人は、SNSに投稿された10代の青春を切り取った動画をバックにその「青春日記」を演奏。その光景は、世代を代表するアーティストとして、リュックと添い寝ごはんが先頭を突っ走っていることを証明しているようにも思えた。
もちろんリュックと添い寝ごはんを「青春バンド」と位置づけることは間違いではないし、『青春日記』という作品に刻み込まれた松本のリアリティが、今の10代に共鳴するものであることも確かだ。だがその一方で、「青春」は移り変わっていくものでもある。18歳のときに感じていたこと、そして高校を卒業して感じること、20歳になって感じること。それらは繋がっているが、明らかに形を変えている。リュックと添い寝ごはん、そして楽曲を書く松本ユウという人の感性が素晴らしいと思うのは、そうした変化に、とてもしなやかかつ自然に寄り添いながら音楽を作り続けているところだ。