「澤田 空海理という人間は愚かだな」と知ってもらえたらいい――『ひかり』で到達した答えと諦めを語る
作曲家として数々のアーティストに楽曲を提供しつつ、シンガーソングライターとしていくつもの作品に自分自身を刻み続けてきた澤田 空海理。昨年12月にメジャーデビューシングルとしてリリースした「遺書」では〈書きたいことなどとっくに無くて、/足はとっくに止まってしまった。〉というフレーズでアーティストとしての苦悩を吐露していたが、その後も彼は曲を生み出し続けてきた。
その先で完成したのが、メジャー移行後初となる配信アルバム『ひかり』だ。しかしこのアルバムは、メジャーで活動してきたこの一年の集大成、ではない。「遺書」でいったん幕を引いたはずの記憶と向き合いながら、彼自身の内面から紡ぎ出した全7曲。その感触は、メジャー以前の澤田とつながるものでありながら、それとも違うあり方を感じさせるものになった。この『ひかり』というアルバムで彼は誰に、何を伝えようとしたのか、あるいは伝えないことを選んだのか、じっくり語ってもらった。(小川智宏)
見え方がどれだけダサくても、残りカスを書いたほうがいいだろうって
――昨年12月に「遺書」でメジャーデビューを果たして一年近くが経ちます。そのあいだ、どんなことを感じながら活動してきましたか?
澤田:個人でお金を出してやってた頃にはできないことをたくさんやらせてもらって。そのなかでも、今回のアルバムとかもそうですけど、ミュージシャンの方々と一緒に――今までももちろん個々でお願いしたり、作家としての仕事でミュージシャンの方々とご一緒することは多々あったんですけど、自分の楽曲という最後まで自分に責任が伴うもので人の手をここまで借りるのは今までなかったので。そういう意味で、自分のなかのひとつのタブーが崩れたというか。もともと自分で完全に完結していたものだから、自分以外の人間が制作に入ることが許せないタイプだったんですけど、それを崩してもらえたというのがすごく大きい一年だったなと思います。
――「遺書」で〈書きたいことなどとっくに無くて、/足はとっくに止まってしまった。〉と書いていたわけですけど、実際にはその後も澤田さんは曲を書き続けているし、その歩みは止まるどころかむしろ早まっているようにも見えるんですが、そのなかで澤田さんのモチベーションというのはどこにあったんですか?
澤田:「遺書」を書く前から……「遺書」を書いている時点でもう「書くことがない」って言ってるので、その時点でもうとっくに無我夢中で一日暗い部屋にこもって書く音楽っていうのは終わっていたんです。だから、半強制的に足を動かしてもらえる環境はすごくありがたくて。「書けよ」とプッシュしてもらえる感じは素直にありがたいと思いました。なので、歩みが早まったと言えば早まったし、本当に強制的に全身に電気ショックをつけて筋肉を僕の意思とは違うところで稼働させるという感じでもあったと思います。それは今後すごく必要になる能力だと思うので、それは非常に貴重な経験だったなって。
――そういう日々と今回の『ひかり』というアルバムは、澤田さんのなかではどういうふうにつながっているんでしょうか。
澤田:僕のなかでは、メジャーでやらせてもらってからアルバムまでに作った曲たちは、ちゃんと締め切りがあって、テーマみたいなものを決めてやっていた部分があるんですよ。それと『ひかり』は、延長線上にはないというか。この一年、まとまりのないものを作ったからこそ、自分の作家性みたいな部分を出すという意味では今回のアルバムはかなり役割を担っているのかな、なんて思っています。まさにインディーズでやっていたことの延長だし、よくも悪くも“蛇足”だなと思います。
――“蛇足”というのは?
澤田:やっぱり「『遺書』で終わっていいじゃん」とは思うところですし、たぶんそれはみんなそう思うんじゃないかなって。ストーリーとすると、そのほうが美しいわけじゃないですか。自分がどうしても伝えたい人間がいたとして、そこに向けてインディーズでやってきたなかで、メジャーデビューがその区切りになって、「以降はそのことについては書きません」「新しい僕をお見せします」というのがたぶんいちばん美しい。僕自身もそれをやると自分で思っていたんですけど、アルバムの話が出てきた時に、Apple Musicとかに載る自分のプロフィールを連想しちゃって。作品群が続いてきて、アルバム単位で聴かれると考えた時になんとなくいい曲というものを作っていても仕方がないなと思った部分もあるんですよ。ならば、ストーリー的には美しくなくても、見え方がどれだけダサくても、残りカスを書いたほうがいいだろうって。だから、“ベスト”ではないんです。“ベター”をずっと取ってるって感じ。
――なるほど。ベストは別のところにあるとわかりながらもベターを取ってしまう、そしてそれをやり続けてしまうというところに、澤田さんの業のようなものがあるのかもしれないですよね。しかも、この『ひかり』は、以前の作品と通じる部分はあるのかもしれないですけど、結果的にはそれとは異なるものになったとも思うんです。
澤田:そう言っていただけると、嬉しいです。
音楽=仕事の方程式「昔は大好きだったんですよ、音楽を作るのが」
――アルバムに寄せたコメントでは、「今アルバムは誰宛てでもないものになりました」と書かれていますけど、実際にアルバムを聴くと、これは明らかに誰かに宛てられている感じもするんです。
澤田:そうですね。
――このコメントに込めた思いっていうのはどういうものだったんでしょうか?
澤田:天邪鬼ですよね(笑)。たぶん、吐き捨てることによって自分自身を納得させようとしているんですよ。ちょっと強い言葉を使うことで自分を誤魔化さなきゃいけないというか。でも、もう思い出せないことが多いのも本当なんです。だから、作っていて「これはもう妄想とそう違わないな」と思うこともあって。特に歌詞を書きながら、前よりも空想の言葉に頼っているというか、言ってほしかった言葉に頼ったなって思ったんです。そういう意味では、これを聴いて特定の人間がどう思うのかよりも、僕の頭のなかで完結するものなので、本当に内輪だなって思います。
――たしかに、このアルバムの歌詞のなかには何度も〈君〉や〈あなた〉が出てきます。澤田さんがそうやって誰かのことを書く時は、常に澤田さんの人生において重要な特定の相手のことでしたけど、その抽象度が上がっている感じがします。
澤田:はい。
――それは実際に書いていて気づいたことなんですか?
澤田:そうですね。たぶん、最初は脳の雑巾を絞ってみるという感覚だったと思うんです。出涸らしでどうにかしようと思ったんですけど、もう出涸らしすらないという状態に気づいてしまった。本当に無力だなあ、って思いました。
――では、記憶に頼らずに書いた部分もある?
澤田:そうですね。だから、ようやく自分を――今まで対外的には「自分の身を削って」とか「赤裸々に」とか言っていましたけど、実はそうではなかったというか。ずっと人を媒介物にしてというか、ある種生贄みたいな感じにしてその人間を擦ってるだけなのに、自分が悲しいような顔をずっとしていたんです。そうじゃなくて、ちゃんと自分を擦り下ろすっていう。今回は自分が音楽やめる/やめないとか、今の僕が音楽と向き合えていない部分を素直に話せてるかなと思うんです。前までは、音楽にすることの美しさとか、「僕はこれをやらなきゃいけないんだ」「僕の宿命だから」ってかっこつけた話をしていたのを、もう少しだけ目線を落として、もうちょっとダサくあろうと思って書いてました。
――そうなんですよね。むしろより生々しくなってるというか、澤田さん自身の話をすごくしているアルバムになったなと思いますし、かつ、そこでしている澤田さん自身の話というのがあまりにも苦悩に満ちているんですよね。「すなおになれたら」も〈ららら〉とか歌いながらも、そう言わざるを得ないところまで追い込まれている感じがするというか。
澤田:僕がどんどん新曲入れたいって言っちゃって、自分で自分の首絞めちゃったので制作期間が短かったんです(笑)。だから、作ってる時はもうワタワタしていてハッピーになる余裕もなくて。陰気になる余裕もあんまりなかったんですけどね。でも、「すなおになれたら」に書かれていることそのままというか。夜中にでっかい声が出ちゃったり、人ってやっぱり追い詰められると踊っちゃうんだなって思って(笑)。ずっと踊ってましたね。
――すごくおもしろいなと思うのは、そうやって音楽に追い込まれながらも、その苦悩ですら結局音楽にしちゃってるっていうのが澤田さんなんですよね。今の澤田さんにとって音楽を作ることって、どういう意味を持っているんですか?
澤田:音楽は、仕事ですね。
――って言うじゃないですか。でも、その「仕事ですから」っていうのって、澤田さんにとっては結構ポジティブなことなのかもしれないなと。
澤田:そうですね。一瞬だけ脳を騙せるという点ではすごくいいというか。もちろん、僕自身も仕事だなんて思ってないんでしょうけどね。でも、合間合間に「これは仕事だよ」って騙していないと、どっかでプツンと糸が切れる気がするんです。最近もちょっと切れかけたんですけど、今だって「いつ切れるんだろう?」と思いながら生きてる。「音楽って何だったっけ?」って。昔は大好きだったんですよ、音楽を作るのが。17歳とか18歳の時にDTMとかにハマって作り始めたんですけど、その時はもう寝食も忘れて、大学もろくに行かずに家にこもって曲ばっかり作っていて。(当時は)それが仕事になるだなんて考えていなかったけど、本当に楽しくて。実際にそれが仕事になってからも数年はそう思っていたんです。だけど、ここ数年くらいは「今何のために作ってるんだっけ?」みたいなことを考える。切れることはないだろうと思っていた糸が、本当にちょっとしたことで切れるかもしれない緊迫感が出てきて。だからこそ、「仕事だ」って言っておかないと、本当に連絡もなしにポンッてやめて、人目の届かないところに逃げちゃうと思うんです。