w-inds. 橘慶太×TRILL DYNASTY対談【前編】 ヒップホップ文化への憧れから始まった“全米1位”トラックメイカーの歩み

KEITA×TRILL DYNASTY対談

 w-inds.のメンバーであり、作詞・作曲・プロデュースからレコーディングにも関わるクリエイターとして活躍中の橘慶太。KEITA名義でも積極的な音楽活動を行っている彼がコンポーザー/プロデューサー/トラックメイカーらと「楽曲制作」について語り合う対談連載「composer’s session」。第8回はトラックメイカー/プロデューサーのTRILL DYNASTYとの対談を前後編にてお送りする。

 TRILL DYNASTYはビルボードの全米チャート「Top R&B/Hip-Hop Albums」でNo.1を獲得したアルバム、リル・ダーク『The Voice』の制作に参加。日本人初となる快挙を成し遂げ、注目を集めている。前半では、トラックメイクを始めたきっかけから、プレッシャーと闘いながらの作業について、地元・茨城に拠点を置くことにこだわるヒップホップ精神など、熱い言葉の数々に橘慶太も感銘を受ける内容となった。(編集部)

ヒップホップはフッドスターになれる音楽

橘:編集部から対談相手としてTRILL DYNASTYさんのお名前が上がってきたのと同じくらいのタイミングで僕もチェックしていたのですが、すごくご活躍されていて。

Lil Durk - The Voice (Official Music Video)

TRILL DYNASTY:ありがとうございます。光栄です。

橘:トラックメイカーはもちろん、日本で音楽に関わる人みんなが衝撃的だったと思うんですけど、リル・ダーク「The Voice」のトラックメイカーの一人としてビルボードNo.1を獲得されたというのが本当に衝撃でした。この連載ではみなさんに音楽を始めるきっかけについてまずはお聞きしていて。これまでもお話しされてきたことかと思いますが、TRILL DYNASTYさんの音楽との出会いはいつ頃になるんですか?

TRILL DYNASTY:ヒップホップをやり始めたのは多分8年前くらい。その時はまだ作曲は一切やっていなくて。DJを4年間ぐらいやってたんですよ。

橘:そうなんですね。

TRILL DYNASTY:きっかけになったのが水戸にあった洋服屋さんの店長で。そこで店の手伝いをしていたのですが、そのお返しなのか店長がターンテーブル、ミキサー、レコードとかを全部僕にタダで譲ってくれたんです。その人にはお世話になったし少し怖い先輩だったので(笑)、半ば強制的にDJをやるように言われたのがきっかけですね。でもDJをやっていくにつれて、自分の場合は自己表現ができないと感じてしまったんです。DJは誰かの作った音楽をオーディエンスのために流す、自己犠牲の塊なんじゃないかと。でもそれができなくて、ひたすら自分が気持ちよくなるような選曲ばかりしていて。

橘:自分が本当に好きな曲ばかりかけていた。

TRILL DYNASTY:そうです。そういうことばかりしていたのでやっぱりDJはできないなと。そもそもそのスタイルで自分はDJができているのかと考えたときに、できていないと判断したんです。それがちょうど4年前くらい。

橘:自分の好きな曲だけを流すとやっぱり盛り上がらなかったりするんですか?

TRILL DYNASTY:僕のかける音楽はそうでしたね。基本的に好きなのはペインミュージックなので。みんなが盛り上がる曲調とは真逆。みんなが盛り上がる、好きな曲に対して魅力を感じないんですよ。

橘:それは今でも?

TRILL DYNASTY:今でもですね。だからすごく極端な話ですけどDJはできないとなって。ちょうどその頃に地元の兄弟(仲間の意)たちから「だったら自分で作曲できるようになればヤバいんじゃないの?」と言ってもらって。じゃあやるか、とトラックメイクを始めた感じなんですよね。

橘:へえ! ということは、その先輩やお友達がいなかったら音楽をやっていなかったかもしれないんですね。

TRILL DYNASTY:そうですね。僕そもそもヒップホップを聴いていなかったので。

橘:ヒップホップに触れる前から音楽は好きだったんですか?

TRILL DYNASTY:音楽自体もそこまで興味がなくて。友達たちと遊ぶのが好きだったし、ずっと大学まで野球をやってました。野球部では音楽禁止だったんですよ。

橘:そんなことあるんですね!

TRILL DYNASTY:あるんですよ。電車の中でイヤホンをしちゃダメとか。そんなこともあり、音楽を聴く習慣がゼロではないけど、ほぼない環境で育ってきてましたね。

橘:洋服屋さんで働いていた時代はお店で流れている音楽に興味を持ったりしたんですか?

TRILL DYNASTY:いや、流れていた音楽がよかったとかではなくて、興味を持ったのはヒップホップの精神のほうなんです。言ってしまえば今、ヒップホップと言ってもいろんなところに派生していますよね。いろんなサブカルチャーのサブカルチャーみたいなものがすごく増えている。そんななかでヒップホップの本質はなにかと考えていくと、自分がつくった音楽でリッチになって自分のフッド(地元)のメシが食えない子たちをサポートしたり、フッドスターになれる音楽なんだなと。地元のコアなところでカッコよくいられる音楽だというところにすごく惚れたんです。

橘:音楽性というよりはカルチャーそのものに惹かれたんですね。

TRILL DYNASTY:はい。ヒップホップだからこそできるクールなやり方にすごく魅力を感じたのがきっかけです。

橘:今でもその感覚は変わらない? これから目指していくのも、そういったヒップホップカルチャーを日本でも広げていきたいという部分だったりするんですか?

TRILL DYNASTY:そうです。だから地元にいるんです。

橘:なるほど。

TRILL DYNASTY:そもそも僕は裏方だし、地元にいる意味ってあまりないんですよ。ビルボードで1位を獲ったとしても地元の音楽シーンが盛り上がるかっていったら盛り上がらない。本来だったら人気のラッパーが地元から出てくるのが一番いいんですけど、売れたらみんなだいたい都内に出てしまうんですよね(笑)。でもそれだったら自分はヒップホップをやらなくてよくて。どれだけ時間がかかっても絶対地元に帰ってきているし。最初に衝撃を受けたヒップホップのハートの部分、見えない部分を僕が体現したいから地元にいるんです。

橘:めっちゃかっこいいです。僕も地元に帰りたくなりました……!

TRILL DYNASTY:僕が地元にいる意味はないんだけど自己満足というか。作曲も言ってしまえば毎日が自己満足で。

橘:そうは言っても音楽を作ることが楽しいから続けているんですよね?

TRILL DYNASTY:もちろん。でも、なりたい自分になろうとしているのが一番楽しいです。

橘:ちなみにヒップホップのカルチャーに憧れて自分がラップしようとは思わなかったんですか?

TRILL DYNASTY:歌うのが苦手で。今年の夏まで会社員だったんですけど、会社の集まりで歌えよって言われても恥ずかしくて歌えなかったんです。だからラッパーはできないですね。あとトラックって言語がないじゃないですか。だからいくらでも世界に行ける。言葉の壁があると伝わるまでにワンクッション入りますからね。勝手に短命な気がしているので、自分にはもう時間がない。だからこそ作曲、トラックを作るのが一番早く世界に行けるなと。自分にとってはラップよりもインプットしたものをうまくアウトプットできる手段がトラックメイクだったというのもあります。

橘:短命かもしれないという思いがご自身を急成長させた根底にあるんですね。トラックを作り始めてからビルボード1位を獲るまでの期間は4年ということですもんね。本当に早いです。

TRILL DYNASTY:ただ、これもいろんなところで言っていることなんですけど、ビルボードで1位を獲ったことに1ミリも嬉しさを感じなかったんですよ。

橘:言ってましたね。

TRILL DYNASTY:もともと何の根拠もなく1年で獲ろうと思っていましたから。僕が普段コンタクトを取りながら一緒にトラックを作っている海外のプロデューサーたちは、何十回も1位を獲った経験をしているような人たちで。海外はマーケットが大きいから、そんなんじゃ注目されないんですよ。そういう人たちと一緒に凌ぎを削っていると正直たかだか1位を1回獲ったくらいな感じなので全然嬉しくなくて。どっちかというと安心した気持ちはあります。

橘:スタートラインに立ったみたいな。

TRILL DYNASTY:まだまだ自分のいるコミュニティの中では僕が一番地位は低いです。だからスタートラインにも立てていないというか。まだみんなの5歩くらい後ろにいるような感じですね。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「インタビュー」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる