w-inds. 橘慶太×岡崎体育対談【前編】 DTMとの出会いが叶えた夢、“歌詞が脚本”スタイルの楽曲制作について聞く

橘慶太×岡崎体育対談

 3人組ダンスボーカルユニット・w-inds.のメンバーであり、作詞・作曲・プロデュースからレコーディングにも関わるクリエイターとして活躍中の橘慶太。2020年3月にはKEITA名義で4年ぶりとなるソロアルバム『inK』をリリースするなど、積極的な音楽活動を行っている。そんな彼がコンポーザー/プロデューサー/トラックメイカーらと「楽曲制作」について語り合う対談連載「composer’s session」第5回のゲストは岡崎体育。

 イベントでの対バンやコラボレーション楽曲(KEITA「Tokyo Night Fighter feat. 岡崎体育」)に加え、プライベートでも親交の深い二人。前後編でお送りするインタビュー前編では、親しいからこそこれまで聞いてこなかったという岡崎体育の音楽活動の歩みについて、橘慶太が興味津々で切り込んでいく。(編集部)

始まりはニンテンドーDS DTMとの運命的(?)な巡り合わせ

橘慶太、岡崎体育

橘:岡ちゃんは普段から仲良くしてもらってるんですけど、この日のためにしてこなかったと言っても過言ではないくらい、これまでの活動の話とか、音楽のルーツの話を聞いたことがなかったなと思って。なので、僕が純粋に興味があることからいろいろ聞かせてもらいたいと思います。まず、音楽を好きになったタイミング。小さい頃から音楽は好きだったんですか?

岡崎:僕の母親がQueenの追っかけ、バンギャみたいな感じだったんですよ。だからまだ物心つくかつかないかギリギリぐらいの頃から、Queenのレコードがずっと家で流れてましたね。親が海外ロックが好きだったので、だんだんその影響でDeep Purpleとか海外の音楽を聴くようになりました。でも小学校に上がると、みんな『ミュージックステーション』とか『HEY!HEY!HEY!』とかに出てるJ-POPのミュージシャンの話をするじゃないですか。最初はついていけなかったんですけど、それをきっかけに日本の音楽も聴こうと思って、クラスの女の子が歌ってたSPEEDの「my graduation」のCDを初めて親にねだって買ってもらいました。短冊形のシングル。

橘:へえ!

岡崎:そこからJ-POPも聞くようになり、中学で海外パンクとかメロコアが学校で流行って、Sum 41とか海外のバンドをまた聴き始めるようになって。そこからはお小遣いでいろいろなCDを買ったりしました。

橘:じゃあもうずっと音楽が好きだった?

岡崎:はい、好きだったと言えると思います。

橘:最初に音楽を作り始めたのはいくつぐらい? なにで作ったんですか?

岡崎:14歳のときですね、中2の終わりごろ。ニンテンドーDSで『大合奏!バンドブラザーズ』っていう音ゲーがあって。

橘:なんか知ってる、それ(笑)。

岡崎:知ってます? リズムに合わせてタイミングよくボタンを押すっていう。

橘:いろんな曲のベースパートとかを弾けるゲームだ。

岡崎:そうそう、各パートを演奏できて、通信すれば友達と一緒に演奏できるゲームがあって。それがメインの音ゲーなんですけど、サブコンテンツで作曲モードがあったんです。自分でMIDIみたいに音符を置いていったり、ドラムのパターンを置いていったりできて。もちろん当時はその作業がMIDIとかDTMっぽいもの、打ち込みだっていうのを理解せずに、なんとなく打ち込んだら音が作れる、面白いものとして遊んでいて。それが自分で作曲というか、音を繋いで遊ぶことの最初の経験でしたね。

橘:ちなみにその時に作ったのは、ざっくり何系のジャンルなんですか?

岡崎:もちろんコード進行もわからなかったので、インターネットに転がってるJ-POPのタブ譜を真似して、メロディと上モノだけ自分で変えて作ってました。いわゆる普通のメジャーな感じのコード進行の音楽でしたね。

橘:中2でそれを始めて、結構長いことやってたんですか?

岡崎:いや、高校に上がってすぐやめました。部活と勉学に励んでたんで。

橘:曲作りからは一回離れたってこと?

岡崎:離れましたね。音楽はすごく好きで、CD買ったり、『SUMMER SONIC』は高校3年間全部行きましたし、他のライブを観に行ったりもしてたんですけど。

橘:高校の時の部活は何をやってたんですか?

岡崎:テニスをやってました。で、勉強が好きで、英語とか世界史とかむっちゃ勉強してました。

橘:意外! 失礼ですけど(笑)。

岡崎:(笑)。だから音楽を作る行為からは、3年間は離れてました。で、大学に行ってバンド活動を始めて。

橘:え! バンドやってたんですか? バンドが嫌いだ、みたいな話を岡ちゃんから聞いてたような……。

岡崎:でも2年くらいで解散するんです。そのバンドは僕が発起人だったんで余ったパートがベースだったからベースボーカルをやることになりました。楽器屋にベースを買いに行こうと思って京都の楽器屋さんに行ったんですけど、「ギターベース館」と「シンセ館」が国道を挟んで反対側にあるタイプの店で、間違えてシンセ館の方に入ってしまったんです。出ようと思ったけど店員さんにマークされて、ビタづきで商品を勧められて。ベースを買いにきたと説明しても「いやこれDTMって言って、この中にベースも入ってるし、音大きくさせたらライブでも使えるから」って押しに押されて負けて買うっていう。

橘:ベースじゃなくて?

岡崎:ベースじゃなくて、DTM。Cubaseなんですけど。「高いなー」ってなんとか回避しようとしたんですけど、「アカデミック版があるから。学生やったらマジで安なる! 30%くらいOFFになるし」って言われて、買いまして。

橘:DTMとの出会いがそんな感じだったとは(笑)。ベースは?

岡崎:ベースは母親が通ってた英会話教室のオーストラリア人の先生が、オーストラリアに帰るタイミングでLegendっていうメーカーのむっちゃ弦高が高い変なベースをもらってきて、それを使ってやってました。DTMはニンテンドーDSの経験があったから、最初から楽しかったですね。DTMって1年未満での諦め率がすごく高い趣味なんですって。だから1年を越えるまでが大変らしいんですけど、なんとなく身体で覚えてたから、打ち込んでて楽しくて。で、大学のバンドでもパソコンから音を出して同期を使ってライブをやってたんですよ。その当時はそういうことをやっている人も多くなかったですけど。

橘:すごい! ちゃんとしてますね。

岡崎:そうなんです。でもやっぱり僕が協調性がないのがバレていって、「俺の言うとおりになんでしてくれへんねん!」って喧嘩になったりして、メンバーがどんどん減っていきました。ギター、ドラム、ベースボーカル、ボーカルの4人だったのが、最初にギターが抜けて、ボーカルが抜けて、ドラムと僕だけになって。「ドラムとベースボーカルだときついし、俺ギターボーカルにしよ」ってギターを買ったけど、うまいこといかなくて、結局そのまま解散。で一人になったっていう。

橘:リーダーは岡ちゃんだったってことですよね。どんなことをしてたんですか? 曲を作ったり?

岡崎:スタジオの予約をしたり、ライブのブッキングをしたり。曲も僕が作ってたんですけど、他のメンバーも曲を作りたがって、他のメンバーが作った曲もやってましたね。でも、バンドの中で曲を作る人がいっぱいいるのってすごい大変やなって感じて。まとまらないのもあるし、なんか違うなってなっちゃうんですよ、僕が。だからThe BeatlesとかQueenはすごいなって思いました。みんな曲を作るじゃないですか。でもそれは僕には無理やって。

橘:岡ちゃんにはやれなかった。

岡崎:やれなかった。当時は人と何かを一緒に作るっていうのができない性格でした。それを受け入れるのにものすごく時間がかかって。自分に協調性がないって思いたくないじゃないですか。まさかそんなことないだろうと。社会から逸脱したような性格なわけがないって思いたかったんですけど、まぁ今になって考えると僕の性格に難があったなってすごく思いますね。

橘:今でもバンドは組めない?

岡崎:アレンジで誰かに参加してもらうとか、コラボレーションでミュージシャンと一緒に何かをやることに関しては、すごく気持ちよくできてるんですよ。なので、一心同体、ずっとこの人とコンビを組んで、チームを組んでってなると、プレッシャーを感じてしまうのかもしれないですね。

橘:バンドを辞めて一人になっても、音楽は続けていた?

岡崎:バンドが解散した後はバイトをしながら就職活動をしてて。うちはシングルマザーで一人っ子だったんで、親を安心させたくて就職したんですけど、やっぱりどこかに属するのがすごくしんどく感じてしまった。誰かと一緒にとか、誰かの下で何かをやるっていうことに違和感のあった時期だったんですよ。僕が青かったのもあるんですけどね。それで会社を半年くらいで辞めて、「もう俺無理や。でも音楽だけもう一回やりたい」って家族に相談して。で、「4年間音楽やってメジャーデビューできんかったら普通の仕事に就きなさい」っていう期限付きの約束で、岡崎体育を2012年に始めたんです。それが23歳のときでした。地元のスーパーでバイトしながら、自主制作で音楽を作って。

橘:全部自分で?

岡崎:そうですね。バンドをやってたときにライブハウスの人によくしてもらってたんで、一人になってからも空いてる枠に呼んでもらったりして。でも当時はノルマがあって、お客さんを呼べないとノルマ代を自分で払わなくちゃいけなかったんです。僕は誰一人お客さんを呼べなかったのできつかったですね。友達は来てくれるけど友達からとるわけにもいかないし。だから機材も全然買えなかったです。最初に買ったCubaseだけで、オプションのプラグインも全くなく初期のままでずっとやってました。最初の1〜2年はむちゃくちゃしんどかったですね。

橘:でも、逆に言うと音楽は続いたんですね。会社もしんどくてやめたのに、音楽はしんどかったけど続けられた。

岡崎:続けられましたね。やっぱり一人でやってるっていうのは他の人の責任を負わなくていいし、これで4年間やって芽が出なくても、まぁそういう人生やったんやなって割り切れるかなと思ったんで。その4年間は、もうがむしゃらに音楽と向き合いましたね。

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