カニエ・ウェスト『Donda』は大作であり問題作である 才人たちへの称賛も込められた、一人の男の思想と人生

カニエ・ウェスト『Donda』

 カニエ・ウェスト『Donda』は大作である。それは間違いない。全27曲ランタイム1時間48分に及ぶこの作品を、21世紀を代表する音楽家の1人であるカニエは、幾度のリリース延期と、3回に及ぶリスニングパーティーを経て、2021年8月29日、遂にリリースした。

 言わずもがな、このタイトル『Donda』とは、カニエの母親、ドンダ・ウェスト(Donda West)のことを指す。彼の母親への愛は、いかにもジョン・ブライオンのプロデュースらしい親密さを湛えた、ポップな母親へのラブソング「Hey Mama」をはじめとする過去の楽曲を聴いてもわかることだが、そんなカニエが最愛の母親を不幸にも失ったのは2007年のことだ。もしこの出来事が、翌年リリースの4thアルバム『808s & Heartbreak』が現在の形で存在していることの残酷な条件だとしたら。そしてその後のカニエのメンタルと言動の関係性の前提にある出来事だとしたら。そうであるならば、この悲劇はその後10年間のカニエ自身だけではなく、ポップミュージックシーンの景色にすら、決定的な影響を及ぼしていると言える。

 思うに、『808s & Heartbreak』から10年以上たってリリースされた10作目となるこのアルバムのタイトルが『Donda』であることは、彼にとっての冬の時代の一つの帰着点であると想像できるし、そう考える人も多いだろう。

 実際にアルバムを聴いてみた時、それは例えば再生ボタンを押した瞬間に「Donda」という名前が頭の中に刷り込むように連呼されることや、その他の多くのラインから、母親への思慕こそがこの作品のベースになっていることは間違いないと、まずリスナーは確認するだろう。だがこのアルバムは一筋縄ではいかない。当然だ。一人の男の思想と人生をパッケージングしたこの作品をいとも簡単に語れるわけがない。

Kanye West – Come to Life (Official Video)

 そんな本作の音楽性をどう形容すべきか。差し当たり、『JESUS IS KING』の聖水を浴びた『Yeezus』と言ったところか。はたまた、明暗のライティングをくっきりと分けた『The Life Of Pablo』とでも言うべきか。少なくともカニエの『Donda』は、事実上のクライマックス「No Child Left Behind」まで(以降の楽曲群はボーナストラック的扱いと言っていいだろう)、予想以上にスムースなサウンドの展開を見せている。例えば、22曲目「Come to Life」における終盤のピアノの旋律は、2曲目「Jail」における終盤のフェードアウトしていくドラムの音と対になって聞こえ、長い道のりの感慨に浸ることを許してくれる。11曲目「24」からの解放的な展開、とりわけ13曲目「Moon」のソングライティングには心底魅了される(ハイトーンで歌っている声の主がドン・トリヴァーという事実も含め)。サウンドの趣向は、ローリン・ヒルや20th Century Steel Bandのサンプリングが散見されつつ、遊び心がある、というよりはむしろ厳格にまとまっており、一貫した軸を持っている。その慎重な展開は一部の人には冗長と捉えられてしまうかもしれないが、その腰を据えた重量こそが、むしろこのアルバムに、ある種の強度を与えているとも言えるだろう。

Kanye West – 24 (Official Audio)
Kanye West – Moon (Official Audio)

 一方で各曲のトピックは様々だ。例えば20曲目「Lord I Need You」は、恐らくキム・カーダシアンとの結婚生活の破局について振り返っているし、17曲目「Jesus Lord」を含め、音楽を通した神との対話も忘れていない。アルバム音源からカースワード部分が軒並みカットされているのも、彼の強い信仰心の表れと捉えられるかもしれない。また、「24」はどうやら背番号24番、伝説のバスケットプレイヤーであるコービー・ブライアントに捧げられた曲らしい。昨年、不運な事故でこの世を去った彼の曲のほかにも、8曲目「Ok Ok」には〈R.I.P. to Juice〉と2019年に亡くなったジュース・ワールドを追悼するワードが、19曲目「Tell The Vision」には昨年亡くなったポップ・スモークがいかにも彼らしい曲調で登場している。作品全体に影を落とすドンダ・ウェストの消失も含め、本作はどうやら、この世を去った才人たちへのトリビュートという趣も強いらしい。ここ数年、様々な形で才能ある人間の存在と居場所が失われてきた。それをカニエの個人的な消失(愛しい人との別れ)の経験と重ね合わせ、自分自身と周りを救済するということが本作の一つのコンセプトなのかもしれない。

]Kanye West – Tell The Vision (Official Audio)



インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「アーティスト分析」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる