『MOOD』インタビュー
本日休演はもう“京都のバンド”ではない 岩出拓十郎が明かす、レコーディングや歌への意識の変化
「今、魅力的なロックをやるならここに到達しないといけない」というところに気づき、そこを見事に実践したアルバム。本日休演の通算4作目となる『MOOD』は、そういう意味でも彼らの過去最高傑作であり、現代のロックアルバムの最高峰と言っていい。『MOOD』は全10曲を収録。リーダーの岩出拓十郎の鼻にかかった低く倦怠感のある歌とサイケデリック風味ある金属的でヨレたギターは初期から変わらない。だが、なぜここでこういう音が必要なのか、なぜこの曲にこのリフがのっかるのか、こうしたリズムはなぜそこに求められているのか……といった必然をしっかり理解した上で鳴らされている。偶発的にラフで荒削りな音が出たわけではなく、意識的にそれを作り上げただけでもなく、音そのものが意志を持ったように蠢いているというべきか。岩出のボーカルもギターも、有泉慧の何かを呟いているようなベースラインも、樋口拓美の重いのに乾いたドラムも、そういう意味ではフィジカルなグルーブを抽出しているのに決してエゴイスティックでも能動的でもない。かといって洗練されているのにニヒルでもなく。
キーボードの林祐輔、サックスの安藤暁彦らが曲によって参加。さらにギリシャラブの中津陽菜、岩出にとってラブワンダーランドでの盟友でもある「ひでおasa桜井」という2人の女性コーラスも力を貸しているが、いずれも感情を極力排したような無表情な声や演奏が不気味なニュアンスを伝えていて面白い。でも、掴みどころはないけど確実にいる、というような存在の必然がどの曲にもある。これは東京のスタジオ「PEACE MUSIC」で中村宗一郎と録音からしっかり組んでいった最大の結果と言えるだろう。
今回はこの『MOOD』と同時に、ライブアルバム『LIVE 2015-2019』も発売となる。こちらは、彼らが京都で活動していた時代のライブ音源をピックアップしてまとめたもので、1stアルバムに収録されている「ごめんよのうた」「すきま風の踊り子」もあれば、ライブで盛り上がるレゲエソング「けむをまこう」や、変拍子でイビツに進行していく「アラブのクエスチョン」など定番曲もある。今のステージではほぼ取り上げなくなった「ごめんよのうた」は、今は亡きキーボードの埜口敏博や現在は脱退したギターの佐藤拓朗が在籍していた5人時代の貴重な演奏だ。
本日休演はもう「京都のバンド」ではない。実際、今やメンバ一のひとりは東京、ひとりは大阪、ひとりは滋賀在住。京都大学の現役学生同士で結成され、2010年代の京都の音楽(バンド)シーンを象徴するような存在だった本日休演は、京都から“卒業”しようとしている。ニューアルバム『MOOD』はそんな節目を伝える象徴的な作品でもあるのだろう。岩出拓十郎に話を聞いた。(岡村詩野)
肉体的なグルーブともっと向き合おうという方向性に
ーー京都を離れ、出身地である東京に戻ってもうどれくらいになりますか?
岩出拓十郎(以下、岩出):去年夏に戻ったので、6カ月くらいですね。でも、東京に戻ったら生活のリズムが変わりました。毎日朝起きて……。前は朝起きてなかったんで(笑)。
ーーどうして東京に戻ることになったのでしょうか。
岩出:去年の夏、今回のアルバムのレコーディングを東京ですることになったので。本当は一昨年(2019年)の年末から少しずつ作業は始めていたんですが、去年の2月頃からコロナの影響で延期になって、結局7月くらいから本格的に始めることになったんです。で、もうそのまま東京に戻ろうかなと。ずっと京都にいるのもどうかなあと思ってはいたんですよ。サークルの部室をずっと使い続けてて老害みたいにもなってたし(笑)、“京都のバンド”としてずっと括られるのもなんだかな……と思っていて。京都って狭くて活動の場所も限られるし、身内感も醸成されるし、限界ある感じを前々から思っていたので、(環境を)変えてみたら変わりそうな気もしていて。
ーー京都の限界ってどういうところに感じましたか?
岩出:お世話になったライブハウスとかもたくさんあるし、いい場所も多いです。ただラ イブやっても知り合いしか来なかったり、身内で批評し合ったり......それ自体は悪いことではないと思うんですが、油断するとその界隈の中だけで回っている感じになっていく。そこから一度抜け出してみたかったのは大きいかもしれません。そうやって身内だけでいろいろ試していく中で、自分たちの指針とかやりたいことを見つけられたので、京都で活動していたことはとても良かったとは思っています。あんまり周りのこととかを考えずにふざけることができたというか。演劇的だったりメタ的だったり、少しお笑いみたいなパフォーマンスとかもやっていましたし。
ーー確かに初期の頃はギミックのあるパフォーマンスをよくやっていましたよね。ベースの有泉くんが指揮者的な役割をしたり、暗黒舞踏を取り入れたり。
岩出:そう。そういうのは東京で知り合いができて、いろいろ影響を受けたり……っていう環境ではきっとできなかったと思います。でも、もうそういうメタ感が急に恥ずかしくなって。その代わりにより肉体的なグルーブにもっとちゃんと向き合おうという方向性になっていった。もともと日本的な表拍のノリみたいなリズムがなんか可笑しくて、みんなで茶化して演奏してたりしたんですが、演劇的に茶化すより、そのリズム自体の豊かさみたいな部分に注目していったみたいなことでしょうか。表拍で手拍子してパラパラずれていくみたいなノリの方が、タテ割りのメトロノームみたいなノリよりも、体にとって自然だし気持ちいいと思ったんです。そこにヒップホップや北アフリカのリズムの影響が入って、結果としてカチッとしない豊かなグルーブみたいなものを追求するきっかけになりました。
ただ、例えば初期のライブでやっていた「青空列車」なんかは、「パソコンで切り刻んだような音楽を生でやってみよう」みたいなイメージで編曲されて、どうせ生でやるならその場で切り刻もうということになったんです。でも覚えるのはダルいから、その場で有泉が指揮を振ってそれに合わせて全員がどこをループするのか即興でやったという感じでした。メタ演劇路線ではあったんですが、あの曲にはあの曲のグルーブがあって、わざと拍と違うところでループしたりとか、メタ的感覚が今のリズム感覚にも生きてるとは思います。
ーー今思うと、あの曲あたりが起点になったのかなという気もします。ギミックを取り込んだメタ的な手法と快楽ありきのフィジカルな演奏との境目というか接合地点というか。そこから徐々に進化していって。
岩出:そうですね。やっとスタートラインに立てたというか。ライブはずっとそういう形でやっていたんですけど、アルバムではできていなかったんで、ようやくそこに起点を置いて作ることができたかなって思います。実は、東京に戻ってきたもう一つの理由として、実家に帰りたかったというのもあります。今はその実家にいるんですけど、祖母が亡くなって倉庫になっていた部屋があったので、機材を置いて録音部屋として使っています。
PEACE MUSICの録音で変化した“機材や歌への意識”
ーーいろいろなタイミングが重なったということですね。一度は戻ったギターの佐藤拓朗くんが再び離れ、鍵盤の埜口敏博くんが亡くなり……と流動が激しい中で徐々にメンバーが3人に絞られていったのも無関係じゃなかった?
岩出:それはありますね。サポートでギターをもう1本入れたり、キーボードを入れたりい ろいろ試したりしていたんですが、あまり掴めない状態が続いていて。たしか2019年9月、鈴木博文さん(ムーンライダーズ)のライブを京都で一緒にやった時、僕らこの3人で出たんですが、それが案外上手くいって。もうこれでいいじゃんという感じになりました。上モノみたいな楽器って、要らないと言えば要らない。ドラムとベースだけでも全然いいと思える瞬間もあるし、そこで自分がふとギターを弾くと、逆にすごい存在感が出るなと。
ーーギター1本でのトリオアンサンブルで成立するような曲が生まれていたということでもあるのですか?
岩出:いや、そこはあんまり関係ないかな。もともとギター2本を視野に入れて曲を作っていたわけじゃなかったし、僕のリズムギターはリードにもなるかなって考えたりしていたし。ただ、ヨレたりジャカジャカさせたりするギターをそのままリードにすればいいかなっていう感覚は、徐々に芽生えてきていました。
ーーなるほど。メンバーが変わる中で、アンサンブルのあり方そのものを捉え直すような意識になってきていたと。
岩出:そうです。それはドラムとかに対してもそうで、今回もバスドラを一切入れない曲もあったんですよね。「線路」とかはバスドラをキットから外して完全にナシにして、「全然、静かなまま」とかはバスドラを立てて、The Velvet Undergroundみたいにしました。ただ、そういうのもプリプロを中村(宗一郎)さんと一緒に作業したのを経たからこそ出てきたアイデアでしたね。
須藤朋寿(本日休演スタッフ):岩出くんの頭の中にある音のイメージを具現化することが結構大変で、そこに時間をかけた感じでしたね。だから、ドラムのセッティングだけで丸1日とか2日とか平気でかけました。僕としてはまず録り音を変えたいってことを(中村)宗一郎さんと考えていて。これまでは限られた録音機材と環境の中でまずは録って、ミックスで音を変形させていくようなやり方だったと思うんです。でも、そうじゃなくて、録り音から変えていこうというのをまず今回は考えてみたかった。録音段階で曲ごとのキャラクターや思い描いている音を考えて、追い込んでみるというか。そこがPEACE MUSICでやった狙いの一つでした。
岩出:そうですね。中村さんと須藤さんが録り音のアドバイスをしてくれて。でも、中村さんには本当にいろいろと言われましたよ。「この曲、何がしたいの?」って、もうそれしか言われてないような感じ(笑)。ただ、そこまで一緒に音作りを考えてくれる人もいなかったので、すごくありがたかったですね。
須藤:ギターのアンプ、はじめ岩出くんはJCを使いたがってたんですけど、それがまた「部室のぶっ壊れたJCの音がいいんです」って言うから、わざわざ京大軽音からそれを借りて持ってきて(笑)。ところが、それをスタジオで繋いで音出してみたらノイズがすごくて、録音には全然使えない。実際に「壊れた機材を使った音」じゃなくて、「壊れた“ような”音がいいんだよね?」ということになって。そこからPEACE MUSICの機材をお借りしながら音作りをみんなで試行錯誤していきました。
岩出:楽器や機材の使い方、そもそもどう違うのか今まで全然わかってなかったところを ちゃんと知ることができました。「何もない日」という曲では有泉がベースも替えたんですよ。SGベースにしたらシンセベースのようなモワッとした音になって印象が全然違ってきた。樋口のドラムも、スプラッシュシンバルをスネアに置いたら、ヒップホップのクラップや硬質なスネアのような音になって。僕もグレッチのギターを借りてみたらやっぱり音色が全然違う印象になった。そうやって試したらノリも変わるし、演奏自体も変わる、フィーリングも変わっていったんですよ。機材で演奏も変わる、曲のニュアンスも変わるってことを知った感じでしたね。ただ、機材もすごく勉強になったんですけど、やっぱり一番は歌ですね。仮歌を録ってる時、かなりまずい雰囲気になりかけて(笑)。
ーー岩出くんのボーカルはブレてるというか揺らいでるのが基本ですからね。
岩出:それでいけるんだろうと思ってほぼ練習しないで行ったら、全然ダメでした。須藤さんが「坂本(慎太郎)さんは、岩出くんと歌のニュアンスが近からずも遠からずという感じもしますけど、ボーカル録りとかどうやってるんですか?」って中村さんに聞いてみたら、「全然違うよ!」とか言われて(笑)。
ーー岩出くんのボーカルスタイルって、ぶわーって滑らかに音が移っていく、演奏記号で言えばスラーのような歌い方ですよね。ある種、音階の移り変わりを無視したような。
岩出:そういう風には多少意識的に歌ってきましたが、でももっと抑えるところを抑えないと聴かせられないなというところに気づきましたね。やっぱり悔しくなったので、まずチューナーを使って音程をとる練習からして、ブレスの位置とか歌の一息のラインがどう一続きのメロディになるのかというところを意識して、ちゃんと歌詞カードに書きました。発声自体が全然できてないと言われて、口を開いて歌うことの意味とか、そういうのも考えさせられました。真面目に練習したおかげで、録りはうまくいきましたね。
ーーその結果、バリエーション豊富な曲が一つ一つ際立って聴こえますね。でも、同じトーンで統一されているから、そこまでバラエティ豊かな曲が並ぶ作品という感じもしない。少なくとも私は前作(『アイラブユー』)より遥かにワントーンでコーディネイトされた作品だなと思いました。
岩出:確かに今まではいろいろと音をたくさん入れてゴチャゴチャさせていたから、そろそろ芯の通ったずっと同じトーンの音のアルバムを作りたいなという話はしていました。シンプルにして、キーボードも今回は林(祐輔)くんに少しだけ参加してもらったり、樋口が少し弾くだけにして、あまり入れすぎないように。鍵盤はじめ、全体的に音数は絞りました。