『15th anniversary DREAM BOY BEST ~2012-2020~』インタビュー
KEN THE 390、<DREAM BOY>の歴史を振り返って思うこと ラッパー/運営の視点から見るHIPHOPシーン
<DREAM BOY>を運営して気付いたことや試行錯誤したこと
ーー改めて<DREAM BOY>というレーベルについて聞かせてください。そもそも、どのような思いからレーベルを立ち上げたんですか?
KEN THE 390:avexでアルバムを2枚出して、求められていることに対して思うような結果が出ていなくて。活動はできているけど、言われたことをやらなきゃいけない度が増してしまったんです。自分のやりたいことからどんどん掛け離れてしまいそうだなという気配があって。
ーー歯痒さを感じていたと。
KEN THE 390:かつ、そのときに自主企画イベント『超・ライブへの道』を始めていたんです。メジャー2ndアルバム『ONE』の発売に先駆けて「What's Generation feat. RAU DEF, SHUN, KOPERU, SKY-HI」を発表して、そのメンツでライブイベントを成立させることもできた。自分の活動を見渡してみると『超・ライブ』がいちばん調子良いんですよ。それで、メジャー的プロモーションよりも、『超・ライブ』をどんどんやった方が上手く行くんじゃないかなと思って。そういう色々な思いがフラストレーションになってしまって、もっとフットワーク軽く動きたいし、面白いアイデアがいろいろあるのに、それができないというんだったら、一回自分で頑張ってみたいと思ったのがレーベル旗揚げの理由のひとつですね。
ーーなるほど。
KEN THE 390:あともう1つは、その頃イベントをやって気付いたことなんですが、ヒップホップって楽曲が大事なのは当たり前だけど、“人”も大事で。「どの口が何を言うか」が肝心だから、“何を言うか”も大事だけど、“どの口”の部分の説得力が増さない限りステップアップはないと思ったんです。サラリーマンや大卒といった自分のパーソナルな部分は、メジャーにいくと薄れてくる。かといってストリートなバックグラウンドがあるかというとそうではない。そのときに“どの口”の部分になるのは、そのアーティストがどういう動きをやっていて、どういう発信をしているかということが楽曲の説得力に繋がってくる。僕にとっての “どの口”である『超・ライブ』をパワフルにするためには、独立してレーベルを持ってみるとか、他のラッパーがまだやってないようなことをしっかり自分でやっていくこと。大変かもしれないけど自身の挑戦によって、説得力に繋がることも増えてくるんじゃないか。自分に足りない要素を埋めるためには必要なことだろうと思って、独立したんです。
ーー<DREAM BOY>を運営しながら1ラッパーとして悩んだり迷ったりしたことはありますか?
KEN THE 390:『フリースタイルダンジョン』(テレビ朝日系)が始まって、いろんな仕事が一気にきて、どのように立ち回っていくべきなのかスタンスで迷った時期はありましたね。CM出演やCMソングの制作もあったけど、CMって、アーティストのブランディングとしては、良い面も難しい面もあるので。試行錯誤していた感じはありますね。
ーー『フリースタイルダンジョン』は2015年9月開始で、年が明けた頃から番組の人気の高まりと並行して出演者もブレイク。企業CMでラップを使う機会も増えました。
KEN THE 390:そういうラップを書いて下さいというオファーをいただくときに、僕は通訳的な立ち位置になることが多いんです。会社員の経験があるから、企業側のルールや求めてることが分かる。でも、それをアーティストに直接言っちゃうと通じないというか。制作側の意図を汲みつつ、ヒップホップ的に解釈してアーティストに伝えていく役回りが必要なんだなということが、経験を積んでいくうちにわかってきて。そのコミュニケーションがズレていると、どっちに転んでもキツいんですよ。
ーーそれが自分にも返ってきますしね。
KEN THE 390:そういう立ち位置にやり甲斐も見出すようになって。「インファイト」や「Call Of Justice」はタイアップ曲なんですが、「この内容だったら、このトラックでこんなメンツのマイクリレーにしましょう」など、とても自由に作らせていただきました。
ーー通訳以上のプロデューサー的な立ち回りですね。
KEN THE 390:クライアントの希望と、自分が思い描く作品を上手くまとめた結果、自分の代表曲ともいえるものができた。そういうときに手応えがあって、この立ち回りは俺じゃないとできないかもしれないな、と。あと、単純にヒップホップ以外の分野のプロフェッショナルな方達と一緒に仕事できるのは、とても刺激的ですし、勉強にもなります。
ーー今年3月には、株式会社マキタのWEB CMで、世界的バスケットボールプレイヤーの八村塁選手とコラボしましたよね。
KEN THE 390:はい。こういうところで選んでもらえるのは光栄だし、信頼してもらってるのかなと少し自信がついてきています。でも最初の1〜2年は試行錯誤だし、大変でしたね。
ーーKENさんは<DREAM BOY>を通じて、日本のヒップホップにどのようにコミットしてきたと考えていますか?
KEN THE 390:うーん……。あんまりコミットしようと思って動いてきてはいないんですけどね(笑)。もともと僕、<Da.Me.Records>にいたときから、ヒップホップは好きだけど、自分がシーンの一員だっていう感覚がないんですね。ただ、さっき話した『超・ライブ』の自分の動き方が評価されたときに「これがヒップホップシーンなんだな」と思いました。曲で評価されるのは音楽シーンであって、ヒップホップシーンは、そのラッパーがどういう人間か。どういう考えで、どういう活動をしているのかというところが大事。その評価対象がシーンということだと思うんです。僕は『超・ライブ』は“シーンのために”と思ってなくて、ただ自分たちが面白いと思ったことをやったけど、それが結果としてシーンとして評価されたのかなと。
ーーその動きがシーンになったと言うべきかもしれないですね。
KEN THE 390:そうですね。こういう若手がいるんだということをヒップホップの中で目立たせることができたとりとか。あと、昼間にヒップホップのイベントで人が来るんだ?! みたいな。当時は他にそんなイベントなんてなかったので、僕が昼間にイベントをやると言ったら、「絶対ヒップホップなんて夜じゃなきゃ入らない」「前売りが売れないんだよ」って言われたけど、そういうところも徐々に変わってきて、今、昼イベが多いじゃないですか。
ーー確かに『超・ライブ』は昼にやってましたよね。
KEN THE 390:あと、当時はクラブでライブするときの持ち時間がは大抵1組20分くらいで、30〜40分の長さで見せられる場が本当になかったんです。そこで評価されたときに「俺もシーンの一員なのかも」と思いました。それからは、とにかく自分が面白いと思ったことをやろうと。これだけキャリアを重ねてくると、結局どこまで行ってもヒップホップの人間になってしまうと思うから、僕がどんな動きをしても結局そこにコミットはしていることになるんだろうなとは思います。
ーー今年上半期は世界がコロナ禍に覆われました。活動への影響もありましたが、今、どのような思いでいますか?
KEN THE 390:僕は3月に行う予定だった15周年のキックオフイベントも中止になって、6月のツアーも全公演が11月に延期になったので、影響は受けてるんですけど、この自粛期間に曲がめっちゃ書けたんですよ。こんなに家にずっといたことはないし、何にも邪魔されず制作をすることもなかったんで、毎日曲が書けて。なので制作においては達成感もたくさん感じられる自粛期間を過ごしていたんです。なので今は、この期間に作った曲を世にしっかり出していきたいというポジティブな気持ちでいますね。
ーーそれも「Re:verse」に通じますね。ここからひっくり返していこうと。
KEN THE 390:そうですね。あと1人の人間として、生き方についても考えました。この生活を味わうと、この先都会に住むべきなのか、みたいなことをリアルに考えてしまいましたね。自粛期間中はあえて、超規則正しくしていたんですよ。毎日決まった時間に起きて、決まった時間に昼ごはんを食べて、午後1時から夕飯の7時までは制作部屋で作業するとか。きっちり決めて動いたら、こんなに充実した生活を送れるんだ! みたいな(笑)。
ーー意外な発見もあり、純粋に創作に向き合えた。
KEN THE 390:それで、自分が幸せを感じるのはどういうときなのか? と考えたら、そういう時間だなと。今はレーベルを運営したり、舞台の制作を手伝ったり、いろいろやっていてそれぞれにやりがいを感じているのですが、あくまでも基本は自分がやりたい音楽をしっかり作るためだなと。そこは聖域というか。自分がやりたいメンツと、やりたいトラックメイカーと、やりたいようなレコーディングがしっかりできる態勢をつくるために他のことも頑張っている。でも、それってサラリーマン時代みたいじゃんと思って(笑)。仕事を頑張ってラップに費やす時間を死守していたみたいに。俺って結局そうなんだなって。これからも、その聖域を守るために他の仕事も積極的にやっていこうと思っています。
ーー最後に、今後の展望を教えてください。
KEN THE 390:やっぱりオリジナルアルバムをリリースすることですね。自粛期間中にもたくさんしている制作に引き続き注力していきたいです。次はベスト盤を出したあとの作品ということになるので、1回仕切り直したいですね。今回のKan Sanoさんもそうだけど、トラックメイカーとか、今まで自分が一緒にやっていなかったような人たちにも声を掛けて作品を作っているんです。このベストアルバムを経て、また一味違うKEN THE 390のオリジナルアルバムができればなと思っています。