ずっと真夜中でいいのに。の音楽は、なぜ心の深い部分を掴むのか 『潜潜話』に投影された現代を生きる“僕ら”の姿

 では本作の主人公は、世間に反してやりたいことがあるのかといえば、そうでもなさそうだ。ところどころ、こうなら良いのに、こんなのは嫌だ、と主張めいた歌詞はあるものの、結局のところ本心や強い意志はないように感じる。さらりとした曲調も、この感覚を助長させているかもしれない。アーティスト名の通り、全ての曲のどこかに「諦め」を含んでいるように思えるし、「ずっと真夜中がいい」のではなく「ずっと真夜中でいいのに」と、意志ではなく静かな願いを歌うアーティストなのではないかと感じた。

 「蹴っ飛ばした毛布」では〈今は緩い安心が不安なんだよ〉とどっちつかずの感情を吐露し、「こんなこと騒動」では覚悟を決めたい、ではなく〈もう どうだってよくなってしまう前に 覚悟を決めたかった〉と後悔を歌う。「Dear. Mr「F」」では〈そもそも住む世界が違うな 冗談だよ 口癖の 間違えた ふりして笑おう〉と見たくないものに蓋をする。自分の本心、存在が空虚な感じだ。「秒針を噛む」の〈「僕っているのかな?」〉という一言に、まさにこの空虚が集約されているように思う。決して器用とはいえない生き方が垣間見える本作。そこに宿るのは、不器用な現代人なのかもしれない。

「蹴っ飛ばした毛布」
「こんなこと騒動」
「Dear Mr「F」」
「秒針を噛む」

 彼らの歌詞に明確なメッセージは無いように思う。力強く励ますわけでもないし、世間を痛烈に風刺しているわけでもない。鬱憤をまくしたてるように歌うわけでもない。だから、思い切り背中を押されたり、激しく共感したりというものではないように感じる。けれど彼らの歌詞を構成する欠片達は、確かに今を生きる私たちとリンクする。そしてその欠片が、今まで感じたことの無いほど猛烈な輝きを放ち、自分だけに向けられたメッセージかのように聴こえる瞬間があるのだ。これが彼らにしかない独自性であり、カリスマ的人気を獲得した理由の一つであろう。不思議なくらい、心の深い部分を掴まれるアーティスト。もっともっと彼らを知りたいと思う。

ずっと真夜中でいいのに。『潜潜話』

■深海アオミ
現役医学生・ライター。文系学部卒。一般企業勤務後、医学部医学科に入学。勉強の傍ら、医学からエンタメまで、幅広く執筆中。音楽・ドラマ・お笑いが日々の癒し。医療で身体を、エンタメで心を癒すお手伝いがしたい。Twitter

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