奥華子に聞く、時代を超えて愛され続けるラブソングが生まれた背景 「孤独だからこそ誰かと繋がりたいと思う」

奥華子のラブソングが愛され続ける理由

 11月15日より上映を開始した間宮祥太朗×桜井日奈子W主演による映画『殺さない彼と死なない彼女』。この主題歌である「はなびら」を書き下ろしたのが、今年デビュー15周年を迎えたシンガーソングライター・奥華子だ。彼女は同作で自身初の劇伴にも挑戦し、歌とインストという二つの表現方法で複雑で儚い恋心を描く物語に花を添えた。

 また、奥華子は映画公開に先立ち、「はなびら」も収めたベストアルバム『奥華子 ALL TIME BEST』を11月13日にリリース。同作は、これまで発表してきた楽曲を「花-HANA」、「空-SORA」、「月-TSUKI」のイメージで選曲し、3枚のディスクに収めたコンセプトアルバムのような作りとなっている。

 代表曲とも言える「初恋」「楔-くさび-」、劇場版アニメ『時をかける少女』の主題歌「ガーネット」や挿入歌「変わらないもの」から、積和不動産「MAST」CMソング「プロポーズ」まで、時代を超えて親しまれる楽曲を多くレパートリーに持つ奥華子。

 今回のインタビューでは、シンガーソングライター・奥華子がいかにして誕生したのか、その歩みを振り返るとともに、15年間の活動で一貫したスタイルを貫いてきた理由、楽曲制作において大切にしていることなどについて聞いた。(リアルサウンド編集部)

“カスミソウ”にしかできない役割がきっとあると思えた

――映画『殺さない彼と死なない彼女』のために、主題歌「はなびら」を書き下ろすと同時に、この映画の劇伴も、奥さんが担当しています。まずは、そのいきさつから聞かせてください。

奥:まず、映画の主題歌をやりませんかというお話をいただいて。私、もともと原作の漫画を読んでいて、ファンだったんですよね。ファンというか、自分の曲の世界観と、すごく共通しているところがあるなって思っていて。だから、是非やらせてくださいと言って、そのあと、小林(啓一)監督にお会いしたら、「主題歌の他に、劇伴も3曲ぐらいどうですか?」って言われたんですね。で、劇伴の仕事はやったことがなかったんですけど、3曲だったら頑張れるかもしれないと思って引き受けて……結果、20曲以上、作らせていただきました。

――劇伴は基本的に歌の無いインスト曲になっていますが、これまでの楽曲とは、やはり作り方が違いましたか?

奥:そうですね。なので、今回はすごく特殊な感じで作らせてもらったんですよね。ホントに映像を観ながら、俳優さんたちの動きに合わせて、即興で音楽をつけていくような感じで作っていったんです。監督からも、そういうものを求められていたので。だから、弾かないことの難しさというか……やっぱり、気持ちが入ってくると、いっぱい弾いちゃうんですよね(笑)。それをなるべく抑えながら、音楽も台詞の一部のように奏でていって。だから、ものすごい難しかったけど、すごくやりがいのある、面白い仕事でしたね。

――先ほど、“自分の曲と世界観が共通している”と言っていましたが、具体的にはどのようなところが?

奥:やっぱり、この物語の大きなテーマは……映画のキャッチコピーに「君の隣で、世界は変わる。」とあるように、誰かの存在によって、自分の生き甲斐だったり、自分の生きる意味だったりを見つけられることだと思うんですよね。その部分は、私の音楽にも共通しているなって思うし、「自分を認めてくれる誰か一人がいてくれたら生きていける」という思いが自分の中にいつもあるし、これまで作ってきた歌詞の中でも言ってますね。

奥 華子「はなびら」Music Video映画『殺さない彼と死なない彼女』Ver.

――そんな映画の公開に先駆けて、その主題歌「はなびら」を含む3枚組のベスト盤『奥華子 ALL TIME BEST』がリリースされます。早いもので、デビューしてから15年……率直に振り返ってみて、いかがですか?

奥:今回ベスト盤を出すにあたって、全部の曲を聴き直したんですけど、良い意味で最初からずっと変わっていないんだなって、改めて思いましたね。歌いたいことも、歌っていることも、ほとんど変わってないというか。それはすごいありがたいことだし、そういうふうに15年もやってこれたことは、自分の自信にもなるし、誇れることだなって思いました。

――その“ずっと変わってないこと”というのは?

奥:実際、歌ってきた曲のテーマだったり……そう、私は高校生のときに自分の歌を作り始めたんですけど、その頃大人の人に「あなたは何を歌いたいの?」って聞かれて、迷わず「孤独です」って答えていたんです。で、その感じって、今も同じだなと。孤独を歌いたいというか、孤独だからこそ、誰かと繋がりたいと思うし、誰かの存在があるから、自分のことを認められたりするっていう。そういうことを歌った曲が、やっぱり多いなって思ったし、極端にテーマが変わったりすることもなかったですね。それは、アレンジについても同じで……時代に左右されることなく、最初から表現していることはほとんど変わってないんです。それは弾き語りをメインにやっているという、私のスタイルとも関係しているのかもしれないですけど。

ーー奥さんと言えば、ラブソングの印象が強かったですけど、その出発点には“孤独”があったということですか?

奥:そうですね。といっても、別にそんなに孤独だったわけじゃないんですけどね(笑)。普通に友だちもいたし、付き合っている人もいたりとか。だけど、何か足りないと、ずっと思っていたのかもしれないです。まあ、高校生のときは、シンガーソングライターになりたいとも、あんまり思っていなくて、とにかく音楽大学に行きたいと思っていた感じだったんですけど。

――そう、音楽大学では、トランペットを学んでいたんですよね?

奥:そうなんです(笑)。ピアノは小さい頃からやっていて、いろんなJ-POPの曲を好きで歌ったりしていたんですけど、大学ではトランペットを4年間やっていて……20歳からライブハウスで歌い始めてはいたんですけど。だから、その頃からですね。本当にシンガーソングライターになりたいと思ったのは。

――トランペットを学びながら、ライブハウスでも歌っていたんですか?

奥:その頃は、誰かに認められたい欲みたいなものが、すごく強かったんですよね(笑)。なので、オリジナル曲をライブハウスで歌うようになって……当時自分がいちばん認めてもらえるものが、歌だったんですよね。まずはライブハウスで歌ってみることになって。

――そこで、徐々にお客さんが増えていった感じなんですか?

奥:いや、ある程度、いいねって言ってくれる人はいたんですけど、そこからデビューの道が開けるとか、自分が思い描いたようにはならなくて。当時はやってもやってもダメだったんですよね。25歳の時に、「このままじゃだめだ、もう後が無い!」と自分を変えようと思って、路上で弾き語りライブをするようになるんです。普通、逆なのかもしれないですけど(笑)。

――あ、そこから路上に出ていったんですね。

奥:そうなんです。それをきっかけに、曲の作り方とか歌い方を変えて、それまでとは違う新しい自分になって、ひとつ挑戦してみようと思って。そしたら、それまでの反応とまったく違ったというか、すごくたくさんの人が、足を止めて私の歌を聴いてくれたんですよね。主に地元である千葉の津田沼や柏の駅前でやっていたんですけど。だから、自分の音楽人生が本当に始まったなって思えたのは、実はそこからなんですよね。

――ライブハウスよりも路上で歌うほうが、しっくりきた?

奥:路上って、とにかく誰にも何者だかわからない状態から始まって、純粋に歌だけで足を止めてくれたり、最終的にCDを買ってくれたりするわけじゃないですか。それがとても嬉しかったし、こんなに尊いことはないなって。ずっとこうやって歌っていきたい、路上こそが自分の歌う場所、生きる場所なんだって思えたんですよね。だから、その頃には、デビューしたいなんて、まったく思わなくなったんですけど、その路上ライブでの評判を聞いて、レコード会社の方がやってきて、「今のままでいいから、デビューしませんか?」って言ってくれて。「これをずっとひとりでやっていたら、全国を回る頃には、お婆ちゃんになっちゃうよ?」って言われて、「なるほど、そうだな」って思って(笑)。それでデビューすることになったんですよね。

――実際デビューしてからは、どんな感じだったんですか? 4枚目のシングル「ガーネット」が、アニメ映画『時をかける少女』の主題歌に起用されて、そこでかなり手応えを感じたんじゃないかなと。

奥:そうですね。まだメジャーデビューして一年ぐらいの自分の曲を使っていただいて、すごく嬉しかったですし、あの映画で私のことを知ってくれた方も多かったんですけど、その当時というよりも、そのあとあの映画がテレビで放送されるたびに、さらに濃いファンの方が増えていったりして……『時をかける少女』という映画自体が、やっぱり特別な感じがするというか、そういう素敵な作品に関わらせてもらえたんだなっていうのは、今も「ガーネット」はライブで歌うたびに、感じていることなんですよね。

――確かに、奥さんの曲は、いわゆる流行歌というよりも、長いスパンで多くの人に愛されている感じがしますよね。

奥:そうかもしれないですね。こないだのツアーにきてくれた方々も、路上時代から聴いていたよっていう方もいれば、20代の女性の方もたくさんいて……あと、10年前から知ってるけど、結婚したり子どもが生まれたりで、なかなかライブに足を運べなかったけど、やっとくることができましたっていう方がいたり、ホントいろいろというか、時代云々以上に、それぞれの人生のなかに、私の歌があると思ってくださる方が多いかもしれないですね。私自身は、多少浮き沈みがありつつも、最初から何ひとつ変わることなく、マイペースに音楽を続けてきたので。

――とはいえ、15年というのは、それなりに長い年月なわけで……そのなかで、いちばんの転機と言ったら、どの頃になるのでしょう?

奥:まあ、マイペースと言っても、毎回すごく苦しみながら曲を作っていて……あとやっぱり、ライブも弾き語りが多いので、ひとりで全国を回ったりすることが多いんですよね。つまり、自分と向き合う時間が多いというか、弾き語りって、すごく緊張するし、ごまかしがきかないし、「もう、無理!」って思うことは何回もあったんですけど、2012年に「シンデレラ」っていう12枚目のシングルを出したときに、何かちょっと今までと違う自分を出してみようと思って、曲調とかアレンジも、それまでにないぐらいポップなものにしてみたんですよね。思い切って自分の殻を破るじゃないですけど、今まではいてこなかったスカートをはいて、赤メガネを黒メガネに変えてみたり(笑)。そういうことをやってみた時期もありましたね。

――その年の秋には、最初のベスト盤もリリースしていますし、何かひとつ変化の時期だったのでしょうか?

奥:と言っても、結局そこで何かが劇的に変わったわけではなかったんですけど(笑)。ただ、その頃に、自分の力というか、自分のいけるところみたいなものが、ちょっとわかってきたんです。言い方が難しいですけど、全員が全員、綺麗な花──“ひまわり”を目指さなくてもいいんだというか、私は雑草的な存在なのかもしれないって思って。そこにもきっと、何か役割があるわけで……やっぱり私は、それまでどこか、“ひまわり”を目指そうとしていたところがあったんですよね。でも、“ひまわり”じゃない花の良さもあるんじゃないかって。そうやって自分自身を認めていこうって思えたときに、肩の力が抜けて、それまで以上にマイペースでやれるようになったんです。

――なるほど。そう言えば、今年リリースした10枚目のアルバムのタイトルは、『KASUMISOU』でしたね。

奥:確かに(笑)。そう、誰もがみな“ひまわり”じゃなくていいというか、“カスミソウ”だって綺麗だし、“カスミソウ”にしかできない役割が、きっとあるんですよね。そんなふうに思えるようになったのは、ここまで続けることができたという意味でも、すごく大きかったのかもしれないですよね。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「インタビュー」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる