THE PINBALLS 古川貴之の人生に影響を与えた4作品とは? ルーツから浮かぶ根底にある想い
自分以外の他者のリアリティを初めてはっきりと感じた
ーー続いてはサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』にしましょうか。これはビートルズよりも前に出会ったものですか?
古川:そうですね。この中だと『ロミオの青い空』が一番若い頃で、次に『ライ麦畑でつかまえて』、ビートルズ、最後に『成りあがり』ですね。『ロミオの青い空』についてはこのあと話しますが、このアニメを通して本を読むということに開眼したんです。でも、当時は本を読むという行為を表面的にしか捉えていなかったというか。いろいろ読んだんですけど、今はほぼその内容を覚えていないんですよ。たぶん、ただ目で追っていただけで、本当の意味では読んでいなかったんでしょうね。そんな中で、たまたま『ライ麦畑でつかまえて』という本に出会い、一生忘れられないぐらいの読書体験をした。初めて「本を読んで深く感動した」んですよ。
ーー今まで読んでいたものと、何が違ったんでしょうね?
古川:「この内容は俺のことだ」と思ったんでしょうね。「あ、俺とまったく同じことを考えている人がいるんだ」っていうか、おこがましい言い方をすると「俺と同じ奴がいる」というのを思ったんです。俺自身言いたかったけど明確に掴み切れてなかったことを、しっかり言語化している奴がいると。たぶん、その一歩上にいる感じがよかったのかな。そのときはまだ子どもですから、当然そんなことは書けなかったとは思うんですけど、「ああ、これは俺が考えたやつだ」って思わせるというのはすごいなと。
ーー『ライ麦畑でつかまえて』の主人公・ホールデンの考えや行動に共感・共鳴するよりも、どちらかというとサリンジャーという書き手の考えていることに共鳴したと?
古川:ホールデンというより、その後ろにいるサリンジャーだったんでしょうね。例えば、ホールデンは弟が今自分を見てくれているなと思ったときに、髪の毛の色の明るさについて触れるんですけど、「今俺が振り返ったら見てくれている、そんな赤い髪の毛をしていた」みたいなことを言うんですよ。その語り口が、まるで俺と同じことを考えているみたいに感じられて。髪の毛の明るさを語るときに「明度がどれぐらい」とか「リンゴのように真っ赤」とかじゃなくて、「今俺が振り返ったら見てくれている赤い色」っていう表現の仕方、そういう文章の書き方に共鳴したんですかね。細かいところなんですけど「この人はちゃんと物を考えているな」って、子ども心に思えたし、自分と同じことを考えている人がいるという、自分以外の他者のリアリティを初めてはっきりと感じたのかな。自分はひとりじゃないというか。俺と同じぐらい物事を考えている人は当然たくさんいると思うんですけど、そのうちのひとつをはっきりと感じたんですよ。
ーーなるほど。その思考って、さっきのビートルズとの距離感に似ていませんか? 曲よりもその後ろにいる作った人間と共鳴する、そこにシンパシーを感じるという。
古川:ああ、確かに。それもあって、俺はサリンジャーについて書いた本も、下世話なものから難しく分析したものまでいろいろ読みました。興味ない人はそこまで読めないと思うんですけど、俺はこの人のことが好きなので読めてしまうんでしょうね。うん、確かに人間が気になってしまっているんだと思います。
ーーそれだけ共鳴できる人に、身近な大人や友達ではなく本を通して出会うというのも興味深い話ですね。
古川:たぶん、少し孤独だったのかもしれないですね。しかも、そのときの共鳴が文章という表現形式だったのも大きかったのかな。そういう意味では、ビートルズとは比べものにならないぐらいの衝撃でした。単純に、思考の面積というか文字の量、情報量が違うというか。そして、たぶん『ライ麦畑でつかまえて』は100回ぐらい読み返しているはずなので、付き合ってきた時間の長さも違いますね。
ーー『ライ麦畑でつかまえて』は、のちに村上春樹さんが翻訳したもの(2003年出版の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』)もありますが、古川くんが読んだのはそれ以前のものですよね?
古川:そうです。野崎孝さんの翻訳が好きで、野崎さんが使っている言葉が非常に心地よいんですよ。そこが自分に合ったのかな。少しだけ古い言葉が多くて下品な感じがするんですけど、ちょっと汚い言葉遣いが間抜けに響いたりして、そこがまたいいんですよね。