ビリー・アイリッシュは、なぜカート・コバーンを彷彿とさせるのか 両者に共通する社会への視点
ここで、カート・コバーンの登場だ。実は、2010年代の音楽シーンには、ビリーより先に「現代のカート・コバーン」として注目を浴びた若手アーティストが存在した。それこそ、SoundCloudラッパーである故リル・ピープ、そしてビリーの友人XXXテンタシオンである。カートよりも若くして逝去した2人は、ビリーと同じく暗鬱や希死念慮など精神の問題を音楽にしていた。さらに、カートへの敬意もひときわ高かった。2016年、ピープは「Cobain」にて「ビッチたちは俺をコバーンって呼ぶよ」とラップし、テンタシオンは「カートは俺をインスパイアする唯一の人物」と表明している。2010年代中盤、SoundCloudラップでは、パンクやインディーロックを組み込んだ実験的サウンドが人気を博していた。同コミュニティではMy Chemical RomanceやParamoreも人気があるが、内外でリファレンスされやすい存在はとにかくカート・コバーンである。その理由は、今、ビリーが方々から脚光を浴びる一因と似通っているかもしれない。どちらにも時代精神を表すアイコンとしてのわかりやすさがある。そして、完璧なタイミングでシーンに登場した。
デイヴの件の発言の前半部を見てみよう。
「前に見に行ったビリー・アイリッシュはとんでもなかった。一緒に行った娘たちは彼女に魅了されてたよ。自分が娘くらいの年だった頃と同じ革命を目撃したんだ。娘たちは音楽を通して自己を見出していた──ビリーはオーディエンスと完璧につながっている。ウィルターン公演における観衆との一体感は、1991年Nirvanaが起こしたものと同じだ。観客の人々はすべての歌詞を知ってる……まるでそれは自分たちの小さな秘密かのように」
デイヴがビリーとの共通項を「オーディエンスとの共振」としたように、1990年代、Nirvanaは「真に若者の精神を代弁するバンド」として音楽シーンを改革した。その威力は、当時影響力を強めていたヒップホップコミュニティからしても歴然だったようだ。今なおグレイテストラッパーであるジェイ・Zは『Pharrell: The Places and Spaces I’ve Been』において、当時の状況を以下のように振り返っている。
「ヘアバンドがエアプレイを支配していたとき、ロックはルックス重視になってた。実態的なものや、若者の反抗スピリットはおざなりになってたんだ。これこそ、Nirvanaの『Smells Like Teen Spirit』が爆発した理由だ。あれは、まさしくみんなの想いだった」
「奇妙だったよ。ヒップホップがかなり盛り上がってたところで、グランジがその勢いを止めてきた。こっちからすれば、ヘアバンドは簡単に潰せた。でも、カート・コバーンがあのステートメントで登場したときは……こんな感じだ。”俺たち、ちょっと待つ必要がある”」
ヒップホップとグランジがライバル状態だった90年代から、アメリカの音楽シーンは大きく変わった。2010年代後半のポップミュージックがラップサウンドを意味する状態と化した一方、ロックは影を潜めていった。しかしながら、ロック性を志向するSoundCloudラッパーたちが(ある種ポップなラップへのオルタナティブとして)若者の心を掴んでいき、結果、同コミュニティと近い距離にあるポップスター、ビリー・アイリッシュが頂点に立ったのである。Nirvanaおよびカート・コバーンの存在は、約30年の時を経ても「若者の反抗と憂鬱を表すアイコン」として生き続けている。