ソウル・フラワー・ユニオン 中川敬、ロックンロールを続ける意義「一人ひとりの物語を歌いたい」

SFU中川敬、ロックンロールを続ける意義

ずっと新生ソウル・フラワー・ユニオンの持ち味を探ってた 

ーー今年になってから新作のための曲を書き始めたと。どういう形で書いていったんですか?

中川:ソロアルバム『豊穣なる闇のバラッド』で、結局新曲8曲ぐらい書いたんかな。それの続きっぽい感じで書き始めて。ただ今回はソウル・フラワー・ユニオンの曲を書くぞっていう「お題」があるから、アコギでガチャガチャやりながらも、キーボードはこうで、ドラムはこういう感じで、ベースはこういう感じにしようとか。メンバーの持ち味みたいなのを思い浮かべながら。俺のソロのバッキングをしてもらうわけではないからね。ずっと新生ソウル・フラワー・ユニオンの持ち味を探ってた。

ーーなるほど。

中川:メールで月に2回ぐらい、2枚のアルバムの音源と、俺の文章を、メンバー全員とレコーディング・エンジニアに送るわけ。2017年の春から始めた、中川敬のルーツ音楽メール連載(笑)。自分音楽史を時系列に、1回目チューリップ、2回目The Beatles前期、3回目The Beatles後期、4回目60年代The Rolling Stones、5回目70年代The Rolling Stones、8回目The Whoみたいな(笑)。今25回ぐらいまで来てんねんけど。

ーーなぜそういうことをやろうと思ったんですか?

中川:10代20代の頃みたいに、メンバーと一緒に好きなバンドのビデオを見て朝までワイワイやるなんていうこともない関係性の中で、50過ぎてまだバンドみたいなことをやってて、でもメンバーチェンジを繰り返してきてるから、通ってきた音楽もメンバー間でバラバラ。曲作りとかアレンジするときの、共通言語が少なくなってきてたからね、この20年間に。スタジオの中でめんどくさいわけ。『London Calling』の何曲目のアレあるやん、みたいなことを言っても、それ聞いたことないです、みたいなのがメンバーにおったらめんどくさいやん(笑)。20代やったらそういうことなかってんね。みんなで一緒に成長しながらあらゆるものを共有して聞いてたから。盛り上がりながらね。『メイン・ストリートのならず者』の「Shine a Light」のビリー・プレストンのオルガンのな~とか言って、何ですかそれ? とかメンバーに言われたら、もうめんどくさーみたいな(笑)。考喜とかジゲンが入ったあたりから、かなりそういうことは続いててね。まあ半分遊びみたいなところもあんねんけど。で、この機会に俺も再び自分のルーツ的なロックを聴くことになる。月に2回ほどそういうメールを送るんですよ。ライナーノーツ付き(笑)。……(The Whoの)『四重人格』とか聴くの20年ぶりぐらいやったな~。

ーーそういうのを改めて聞いてみて、なにか発見はあったんですか?

中川:なんかもう、ホント俺はココの人やなぁと思った。

ーーでもそれはよくあるような、ベテランの原点回帰という名の保守化とは違うわけですね。

中川:レイドバックできないからじゃない?(笑)。

ーー前作のときにね、今回のアルバムの出発点は何ですかっていう話をしたら、やっぱり怒りだっていうことを言ってましたね。

中川:愛と怒り。中川敬の人生の原理です。

ーー愛もそうだし、怒りもそうだし、そういう強い感情みたいなものがちゃんと根底にあるから、単なるレイドバックにはならない。

中川:あとね、俺らぐらいの世代のバンドの場合、メンバーそれぞれがバンド外で音楽をやりまくってて、家(バンド)に帰って来たらみんな和もうとする、みたいなのあるでしょ。一番だら~んとする場所になるという。実家帰って来たあ~みたいな。でも、安易に和まさない(笑)。

ーー要するにバンドを居心地の良い場所にしたくない。

中川:やっぱり、とことん向き合って、ここにしかない唯一無二の音楽をやろうやと。そこは手抜きしない。でも若いときみたいに厳しい感じではないけどね。

ーー若い頃は相当スパルタだったみたいですね。

中川:いやいや(笑)。ニューエストの頃は年がら年中一緒に生活をしてて、口うるさい兄貴みたいな。第一次長嶋政権の地獄の伊東キャンプみたいな(笑)。今はみんな一国の城主ばっかりやからね。尊敬と感謝ですよ。

ーー今回レコーディングはどうでした?

中川:5月後半に5日間で7曲のベーシックトラックを録って、8月の2回目は4日間で3曲。

ーー曲があって、アレンジはもうある程度できあがった段階で、バンドに持ってくるわけですか?

中川:デモテープ作るのめんどくさいから、弾き語りを録るんですよ。その段階でとりあえず構成は考えられていて、構成どおりの弾き語りを録る。で、キーボードのメインフレーズもスキャットやファルセットでちゃんと歌っておく。で、おかしいのが、その弾き語りをスマホで録るだけやのに、2時間ぐらいかかるわけ。何度も何度も途中で間違えて、「嗚呼間違えたあ!」とかひとりで叫びながら(笑)。で、20テイクぐらい繰り返して、2時間後にやっと録れた段階では、だいぶ俺の体にその曲が馴染んでる、という。深部でその曲を理解してるわけ、俺自身が。で、メールを書く。もう体に馴染んでるから、その段階でドラムはこんなかんじのアレンジで、とかすらすら書ける、という。

ーー繰り返してるうちに、だんだんその曲が馴染んできて、自分の中で全体の構想がはっきり見えてくる。

中川:そうそう。奥野あたりにはおおざっぱな解説しかしないねんけど、新しく入ってきた人には、このへんの曲聞いといて、みたいな参考音源も付けたりしてね。こんな感じのベースラインがもしかしたら合うかもしれないから、ちょっとこれを聞いておいて、みたいな。で、1回目のリハのときに、イエイ! と思ったよね。良いメンバーやなって。

ーーそれはどういう意味で?

中川:早い。Jah-Rahの飲み込みが早かった。

ーー全体に、昔に戻ったというだけではなくて、演奏がすごい生き生きとしてビビットで。それはやっぱり各メンバーの反応の良さがあるわけですね。

中川:今までのソウル・フラワー・ユニオン、もっと昔で言うとニューエスト・モデルとかと比較すると、今はメンバーとがっぷり四つでアレンジしてるから、新しいバンドを作ってる感が、実際かなりあるんよね。ジャケットもこんなことになったし。新生ソウル・フラワー・ユニオン。

ーー今回歌詞はどんなことをテーマに?

中川:歌詞は、前作のソロアルバム『豊穣なる闇のバラッド』であったりとか、『にじむ残響、バザールの夢』(2015年)の延長線上にある。バンドやからこんな歌詞を書かなくてはというふうには、あんまり考えなかった。ただバンドっていう「容れ物」があるからね。かなり性急なパンクロック的なビートとかも今回やりたくなって、「シングルハンド・キャッチ」とか書くときに、メロディラインとか言葉数の制約がここまできついと、「物語」って書くの難しいなぁって、ニューエストの頃のようなことをまた思い出したり。自分のソロの曲を書くときと同じような気持ちやねんけど、先にバンドという「容れ物」があって、こういうタイプの曲をやるぞ、こういうリフの曲やるぞ、みたいな構想があると、歌いたい「物語」を書き綴る物理的困難にぶちあたる。この難しさってニューエストの頃の感じを思い出すな~って。でもまあそのチャレンジを楽しむ、というか。

ーー「シングルハンド・キャッチ」もそうですけど、愛と希望っていうかね、怒りだけではない懐の深さみたいものがリリック全体にすごく感じられる、

中川:嬉しい。SNSの時代、どうしても大きな物語に収斂されてしまうからね。小さい物語をちゃんと唄世界で表現したい。それは今回に限らず、この10年ぐらいずっと思ってることで。なんかやっぱり、相変わらず人間好きやな、みたいな。一人ひとりの人間の物語を歌いたい。それでいい曲ができたら嬉しいし、単純に。

ーーそうですね。キャッチーだしパンチラインも一杯あるし、ここ数作では、今回の歌詞が一番好きですね。

中川:嬉しいね!

ーーその一方で、楽曲に関しては過去のロックのいろんな記憶みたいなものが、あちこちに散りばめられてて。

中川:以前は、「これはあの曲みたいやん」みたいに切り捨ててたとこを、切り捨てなくなったという。だってみんな、同じような曲ばっかりやってるやん(笑)。俺が歌って、ソウル・フラワー・ユニオンがやったら、何をやろうが唯一無二、世界レベルでかっこええに決まってるやろ、ぐらいの傲慢さでやっていこうかな、と(笑)。今はそんな感じ。

ーーなるほどね。あとは奥野くんのオルガンがすごく今回は目立つ。そこらへんも初期ニューエストっぽい。

中川:ギターアルバムにしようっていうのが漠然と最初からあってね、『ロロサエ・モナムール』(2005年)から、『カンテ・ディアスポラ』(2008年)、『キャンプ・パンゲア』(2010年)、『アンダーグラウンド・レイルロード』の4作、俺は4部作と捉えてるんやけど、ある種、ひとつのアレンジ作法をやりきった感があって。ブラスが出てきて、俺の大好きなフルートやらフィドルが出てくる。その前が『スクリューボール・コメディ』(2001年)、『ウィンズ・フェアグラウンド』(1999)はアイリッシュ勢がたくさん参加してて、その前の『エレクトロ・アジール・バップ』(1996年)ではチンドン、チャンゴ。

ーーそうですね。

中川:今回は明快に違うことをやろうと思った。ヒックスヴィルの木暮晋也(Gt)くんに入ってもらって、ベーシック録音の段階から3人エレクトリックギターがいる。今までになかった構造にしようと。他のバンドやったら「以前のようにまたバンドだけのかんじで作ろうぜ」ってことやったと思うけど、俺の場合は、「以前」がないから。だからちょっとワクワクしながら、ギターロックや! ってよく言ってたけどね。そうなってくると、「打楽器」のピアノは少なくなるんじゃないか、という。奥野はオルガンとシンセで活躍してもらおう、みたいなね。曲を作ってる1月、2月の段階から漠然とあった。

ーー前のアルバムはゲストがいっぱい入ってたけど。今回ゲストと言えるのは、木暮晋也だけで。

中川:そう。これ実は、1987年のニューエストの1st(アルバム)以来のミュージシャンクレジットの人数の少なさ。

ーー以前はバンドのメンバーだけでできるものを、という発想にはならなかった。

中川:俺は曲作りの段階から、ブラスを入れようとか、この曲は生のストリングスが絶対欲しいな、とか、常にあって。長年、曲作りの段階からそういう考え方が当たり前になってたから。ニューエスト・モデルの頃からの伝統やね。年がら年中、(バンドだけで)ライブばっかりやってるから、同じもんやりたくないっていう感覚かな。ちょっと違うものを聞きたいっていうか。それが当たり前になってた。

ーーそれが今回は、あえて外部の要素みたいなものはシャットアウトして、バンド内で完結するような音を作りたかった?

中川:そうやね、初めからそうしようと思ってた。「路地の鬼火」なんかでも、以前やったらサビの部分にブラスが出てくるよね。

ーー今回のサウンドはニューエストっぽいし、今回の最近ライブでもニューエストの曲をやる機会が増えてきてるし、だんだんそこの境目みたいなものは曖昧になってきてるかんじはありますか?

中川:かなり曖昧になってきてるね。俺の中で、バンド名が違うっていう感覚があんまりないというか。実際、奥野とずっとやってるからね。あとのメンバーがかなり入れ替わっても、言い間違えてしまうときがある。俺らニューエスト、ああ違う、ソウル・フラワー・ユニオン、みたいな瞬間があってね、酒とか入ってると(笑)。そこはあまり重要じゃない。再結成しないことは重要やけどね。

ーーなんで?

中川:みんな(再結成を)するから。せっかく以前解散させてるのに(笑)。再結成して、すごい金になるんやったらまだしも、それほど金にもならない(笑)。

ーーやればそれなりに客入ると思うけどね。

中川:ちょっとはね。一時的なものでしょ、そういうのは。でもまあ、単純に楽しい、ロックンロールをするのは。3年前の『ニューエスト・モデル結成30周年記念ツアー』がかなりインパクトあった。一番多い日は17曲、ニューエストの曲をやったよ。下北沢ガーデン。前売りが簡単に売り切れて……どういうことやねんお前ら! みたいな(笑)。あのとき、俺が選択したのが初期の曲でね。自分なりに何を再発見したかと言うと、10代後半、20代前半の頃って、みんな技量がないでしょ。技量はないけれどプライドだけは高い。技量がないねんけど、自分たちなりにかっこいい曲を作ろうとする。「ソウル・ダイナマイト」とか「フィーリン・ファッキン・アラウンド」とか、技量がなくても演れるかっこいいアレンジにちゃんとなってるっていうことに、初めて気づいた。「ソウル・サバイバーの逆襲」あたりも、ロックオペラ形式やねんけど、技量がなくてもパッとできるようにアレンジされてるんよね。演奏してみるとわかる。その構造は、例えば、The JamとかThe Clashとか、The Sex Pistols的なものとか、みんなそうやと思うよ。下手くそなのにかっこいいことやらんと気が済まへん奴らの、誇りをかけた「発明」に詰まってる。だから、そういうところからロッククラシックは生まれんねんな~っていう構造が3年前に自分史の中から見えてきた。

ーー簡単だっていうのは、ポップカルチャーにおいてはすごく大事なことで。簡単に真似できる、俺でもできそうだって思わせるのが、ポップカルチャーの普及の基本。

中川:とはいえ、そこからクズもいっぱい生まれるわけであって。それプラス、俺らこそが世界で一番かっこええんや! っていう怖いもの知らずの誇り高い精神性。ニューエスト・モデルは、最初期の頃から、面白いぐらい一切手を抜かなかった。

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