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欅坂46 今泉佑唯は新たな希望へと歩み始めた 卒業の真相語った各誌インタビューから感じたこと

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 8月7日の自身のブログで、欅坂46から卒業することを発表した今泉佑唯。ソロ曲「日が昇るまで」で参加した7thシングル『アンビバレント』の活動を最後にグループを離れ、新たな道を歩むことを発表して以降、ブログや写真集の公式Twitterなどで、ファンの寂しい気持ちを払拭するかのごとく、今まで以上に明るく楽しい姿を積極的に見せている。そんな今泉が、初のソロ写真集『誰も知らない私』(10月3日発売)の発売を前に、各雑誌のインタビューで卒業に至った経緯や思いなどを語り始め、真相がいま徐々に垣間見えてきた。

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 まず『別冊カドカワ総力特集欅坂46』や『週刊プレイボーイno.41』などのインタビューでは、昨年の4月から体調不良を理由に約4カ月間活動を休止していた期間に、一度卒業を意識し、スタッフに相談していたことを明かしている。結果、1stアルバム『真っ白なものは汚したくなる』でソロ曲「夏の花は向日葵だけじゃない」が用意され、ファンに「待っていてくれたら嬉しいな」とブログ内で呼びかけていたこともあり、夏の全国ツアーで復帰を果たす。しかし、その後も体調不良で休むことが多く、今泉はグループにとってもファンにとってもよくないことだと思い、卒業を決意したという。この心境を、プロデューサーで作詞家の秋元康に伝えたところ、ソロ曲「日が昇るまで」ができたのだとか。サビである〈前向くことできますか?〉という歌詞は、今泉が実際に秋元に言った言葉だという。

 そして平手不在の『欅坂46 2nd YEAR ANNIVERSARY LIVE』を終えたときに燃え尽きたような感覚となり、「これは卒業なのかな」と実感したことを語る。当時のインタビューでは、平手の休養で目標としていたセンターを務めることになり、それにより平手の重圧を知ったと答えていた。憧れていたセンターを必死にやりきったことで、現実が見えたのかも知れない。この今泉と平手の関係性は、才能の違いに苦しみながらも、そのことを受け入れ、自分の作品を見つめ直すという、まさに映画『響 -HIBIKI-』における祖父江凛夏と鮎喰響のようだと感じた。

 そんな今泉が卒業を発表した時に気になったのが、今後は「タレントとして活動を継続」と宣言したこと。幼少の頃からアイドルを目指し、強くセンターを志望していた今泉なら、自分の好きなようにソロで歌いたいというのが、卒業の一番の理由だと思われた。しかし、今泉は「歌も歌いたいけど、それ以上に皆さんに笑顔を届けたくて」という理由で、歌手ではなく女優でもない“タレント”という肩書きを選んだ。卒業を発表して以降、肩の荷が降りたかのように面白い画像や動画を発信し続けているのは、「笑顔を届けたい」という今後の目標に切り替わった証なのかもしれない。

      

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