いま、アメリカとジャズの歴史をどう考える? 柳樂光隆 × 矢野利裕が徹底討論

『Jazz The New Chapter』は、モダンジャズの物語の限界が来たそのあとの風景(柳樂)

ーー「教会」については、数々のミュージシャンがこれまでの『Jazz The New Chapter』でも、今回の『Jazz The New Chapter4』でも言及していますね。

矢野:「教会」についてはアメリカの建国の成り立ちにも関わります。そもそもプロテスタントがやって来て布教するというところから国が始まっているわけで。アメリカにおけるゴスペルやR&Bの成立には、布教をするにあたって、説教だと誰も聴いてくれないから音楽にして広めたという経緯も関わっています。その意味で、アメリカのエンタメには、宗教学者の森本あんりさんが言ったような意味で「反知性主義」の流れがある。デリック・ホッジも「宗教的な側面とはまた別の話だけど、教会で人々の心を動かしたりメッセージを届けるためのフィーリングを身につける」という発言をしています。さらに、教会ではどんなリクエストにも応えなきゃいけないためプレイヤーとして即興性も育まれると。機会の平等が担保された音楽教育と教会が合わさったのがフィラデルフィアという場所で、そこからジル・スコットのような人が出てきているのは、すごく面白い。フィラデルフィアにはある種のアメリカ性が凝縮されている、とすら思いました。

柳樂:唐木元(元コミックナタリー編集長。現在はベーシストとしてバークリー音楽大学に在学中)さんが言ってたんだけど、教会のセッションには、音楽聴きに来てるだけじゃない一般の人も多くいるわけで、その人たちを無条件にアゲなきゃいけない瞬間がくるから、誰でも知ってるテレビドラマの主題歌のサビみたいなものを即興的に挿入しなければならなかったりする。だからこそ、大多数の「アメリカ人ってこういうもの」という価値観が身を持ってわかるというか。彼が言っていたのは「日本人でもしそれをやるとしたら、アメリカ人が子供の頃から見てるTV番組なんて分からないけど、スーパーマリオのフレーズを弾くとウケたりする」と。

矢野:だから彼らには、ライブで観客の期待に応えるような部分もあると。「フィリーソウル」の独特な存在感について時々考えます。例えば、ネルソン・ジョージは『リズム&ブルースの死』のなかで、黒人中心主義的な立場からフィリーソウルを批判しています。「ニューソウルまではよかったけど、フィリーあたりからダメになった。白人主導のディスコブームはさらにダメ」みたいな。でも、一方で大和田さんは「白と言われる音楽と、黒と呼ばれてるものの重なりから今のネオソウルに繋がる音楽が生まれている」という話をしていますよね。ニューヨークの下に位置するフィラデルフィアって、ニューヨークともまた異なる独特の文化的混淆があるんだなと思いました。

柳樂:フィリーソウルって非常に大衆的なソウルミュージックですもんね。ストリングスを入れてきらびやかにして、テレビ番組では分かりやすい黒人性を前面に出して白人に見せていたわけだから。

矢野:そうなんです。そして、その流れに関わっているのが、この本にも登場するジェームス・ポイザーだと。改めて彼はどういう人物なんでしょうか。

柳樂:「ローリン・ヒルのヒット曲を書いた人」や「The Rootsに途中から入ったキーボーディスト」というパブリックイメージだと思います。The Rootsに関しても、クエストラヴとブラック・ソートという2人のイメージが先行していて、あまり言及されることがない人物なのですが、2人がフィラデルフィアで活動してた時に「とりあえずこいつは仲間に入れておいた方がいいだろう」と思ったくらいの大きい存在みたいで。最初から彼にインタビューするつもりはなかったんですけど、フィラデルフィアの音楽シーンについて取材を進めていく中で、クエストラヴの話を振ってもあまり感触が良くないし、「それよりもジェームス・ポイザーだよ」と言われるし、コモンの新作にはジェームス・ポイザーがクレジットされていたりもする。「これは何かおかしい」と気になって、過去の作品を色々聴いたりキャリアを調べてみると、明らかにフィラデルフィアに根付いているものを体現してる人だった、というわけです。

矢野:しかも<フィラデルフィア・インターナショナル・レコード>で働いていて、ギャンブル&ハフとも交流があったと。表には出ないけど裏でキーマンになっている存在でもあるんですか。

柳樂:ジェームズ・ポイザーは父親が牧師で、教会での演奏をずっと続けているそうです。普通は売れたらやめるものらしいんですが、継続することでデリック・ホッジやビラルという新世代にも出会ったりする。音楽プラットフォームとしての「教会」における重要人物のひとりだと思います。

矢野:なるほど。デリック・ホッジにはなんとなくフィリーの香りやネオソウルの響きがあるような気がしていたので、今回のフィラデルフィア特集に登場してきて、納得のいった部分はあります。いちリスナーとしても、オールジャンルでDJをやっていた身としても、いわゆる「音楽の歴史」ではないところで「〇〇っぽい」と感じ取ることは多いのですが、こうやって紐解いて言語化すると実は繋がっていた、というのは面白いですね。

柳樂:矢野くんが『Jazz The New Chapter』を見て「フリーソウルっぽい」といってくれたのを思い出した。「フリーソウル」ってその「DJ的な感覚」をコンパイルしたような、ある種90年代的とも取れるコンピレーションCDだった。『Jazz The New Chapter』はその批評版みたいな位置付けになるのかもしれないですね。でも、批評を軸にすることで、同時代的なものをマッピングするだけではなく、歴史の事項を入れられるようになった。

矢野:新しいマップを作ることで新しい歴史も見えてくるということですよね。柄谷行人が『日本近代文学の起源』で広めた「認識的な布置」という言葉がありますが、『Jazz The New Chapter』もまた、それまでの「認識的な布置」を一新したところがある。その点は、本当に批評然としています。そこで一つ気になることがあります。『Jazz The New Chapter』における「モダンジャズ」の位置付けってどうなるんですか?

ーーあー、それはすごく訊いてみたいです。

矢野:『Jazz The New Chapter』の歴史観のなかでは、モダンジャズだけが周到に抜かれていますよね。マイルス・デイヴィスについては、『miles Remained』で再評価もおこなわれています。僕は基本的にはモダンジャズよりスウィングとかブギとかの方が好きで、『Jazz The New Chapter』で知った人で言えば、例えばジェイソン・モランなんかも好きです。彼もモダンジャズ以前のピアノを強く意識していますよね。

柳樂:まあ、それはもう「モダンジャズが終わった」ってことですよね。『Jazz The New Chapter』は、モダンジャズの物語の限界が来たそのあとの風景といえるかも。ビバップを中心に考えるっていうのがモダンジャズで、そこから現在まで発展していっているのがこれまでの音楽評論におけるジャズ史の認識なんですけど、実はそのビバップの時期っていうのがすごく特殊で、モダンジャズを中心に歴史を考えるのがそもそもおかしいんじゃないかと。

矢野:なんか、本当に『日本近代文学の起源』の議論に聞こてくる(笑)。

柳樂:今はそうやって、アートを中心にあらゆるジャンルで同じような考え方が起こっているタイミングなんだろうね。あともう一つ考えられるのがーーこの前ジュリアン・ラージがインタビューで言っていたことなんですけど、「アメリカンジャズっていうのは海岸沿いだけじゃないんだ」ということ。みんな西海岸、東海岸で考えちゃうじゃないですか。だからニューヨークとLAを起点に考えがちですけど、その真ん中にも文化があることが実は抜けていて。チャーリー・パーカーは中心部・カンザスの出身だったりするんですよ。海岸沿いでだけ物事を考えてるけど、実は真ん中の部分が大きくなっているというのは、なぜドナルド・トランプが大統領戦で勝ったのか、みたいな話と繋がりそうだよね。

矢野:そこは、大和田さんとの対談にも出てきたジャズ及びゴスペルとフォークの話も関わるかもしれませんね。白人労働者が住む中西部あたりをどう考えるか。シンガーソングライター的と言っていいかわからないけど、フォークやカントリーまで含むようなセンスを持つベッカ・スティーヴンズなどのようなミュージシャンにも繋がっていく。細かい影響関係などは僕は分かりませんが、いずれにせよ、ある種の白人性に対して問い直しを迫っている気はしますよね。『Jazz The New Chapter』シリーズの1に収録された「白人音楽のスピリチュアリティと新たなスタンダード」にも通じる問題意識だと思います。

柳樂:2はECMで、3はビッグバンドとインディクラシック。ラテンとかも基本的にはクラシックに近いものだから。多分僕の頭の中にあるのは割とそういう黒と白の綱引きみたいなものなんでしょうね。

矢野:カート・ローゼンウィンケルなんかもその線引きの上で、初めて見えてくるギタリストなのかもしれません。

【後編へ続く】

(取材・文=中村拓海)

■柳樂光隆
79年、島根・出雲生まれ。ジャズとその周りにある音楽について書いている音楽評論家。「Jazz The New Chapter」監修者。CDジャーナル、JAZZJapan、intoxicate、ミュージック・マガジンなどに寄稿。カマシ・ワシントン『The Epic』、マイルス・デイビス&ロバート・グラスパー『Everything's Beautiful』、エスペランサ・スポルディング『Emily's D+Evolution』、テラス・マーティン『Velvet Portraits』ほか、ライナーノーツも多数執筆。

■矢野利裕(やの・としひろ)
1983年、東京都生まれ。批評家、ライター、DJ、イラスト。東京学芸大学大学院修士課程修了。2014年「自分ならざる者を精一杯に生きる――町田康論」で第57回群像新人文学賞評論部門優秀作受賞。近著に『ジャニーズと日本』(講談社現代新書)、共著に宇佐美毅・千田洋幸編『村上春樹と一九九〇年代』(おうふう)など。

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