80年代バンドブームとは何だったのか? 評論家3氏が語り合う「日本のロックの思春期」

80年代邦楽ロック鼎談(後編)

「ロフトは一番うるさくないハコだったけれど、客が50人を切ると『次はないよ』と言われる」(中込)

――『80年代ジャパニーズロック』はバンドがメインということで取り上げていないのですが、尾崎豊についてはどうですか?

兵庫:妹が大好きで、家にレコードがあったからひととおりは聴いてたけど、僕は正直、ちょっと距離がありました。ナゴムとかローザとか初期爆風スランプとか、デビューの頃のサザンもそうだけど、今思うとちょっとキワモノっぽいバンドのが好きだったので。ただ、好きな人は熱狂的でしたね。

中込:まさに“信者”というレベルのファンがたくさんいたね。

小野島:僕自身は尾崎にはまったく関心がなかったんですけど、彼がデビューした当時、僕はレコードのセールスマンをしていて、某地方のレコード屋の女子店員が大騒ぎしていたのをよく覚えていますね。若い女の子だけれど、仕事で音楽を扱っているから、どんなレコードを聴いても、割と冷静な子たちだった。それが尾崎に対しては例外的に、“すごいすごい! キャー!”って熱狂していたから、それだけの魅力があるんだなと思った。こういうことは、後にも先にもなかったですからね。

兵庫:今日はぜひ聞きたいんですけど、おふたりは、僕が広島で『宝島』を読んで、“うぉー!”となっていたところにいたわけじゃないですか。だから、地方に伝わる熱狂と、現場のギャップがどれくらいあったの知りたいんです。話を聞いていると、僕がアタマで思い描いていたほど、東京はスゴいことになっていたわけじゃないのかもな、と思って。例えば、1000人入っていると思っていた現場も、実は300人くらいだったとか。

中込:そもそもハコがそんなにないわけ。ライブハウスで一番大きいところだと、新宿ロフトで400。それも詰め込んでね。

小野島:ロフトも入らないときは椅子を出してやってたからね。

中込:ただ、そのうちに豊島公会堂とか中野公会堂、日比谷野音を使えるようになって、大騒ぎになって。野音はラフィンノーズの事故があってから改修もされたけど、それまではパッツンパッツンに詰め込んでいたからね。

兵庫:野音なんか、田舎にいると憧れるわけですよ。受験で東京に来た時なんかは、新宿ロフトを見に行ったもん。入る勇気はないから、ただ外装を眺めて、「ここか! よし、帰ろう」って(笑)。ライブハウスって、怖かったから。殴られると思っていたし。

中込:実際に殴られるからね(笑)。ロフトは一番うるさくないハコだったけれど、客が50人を切ると、「次はないよ」と言われる感じだった。

小野島:そうして、集客を第一義としないバンドがだんだん締め出されていって。チケット・ノルマもきつくなっていって、それで消えていった良いバンドもいるんだろうなと思いますね。

――ビジュアル系というのは、どのあたりから独立したジャンルになったと捉えてますか。

兵庫:トランスレコードなんか、ビジュアル系の走りですよね。

小野島:そうそう。当時はまだ特別なものだとは思っていなかった。今で言うビジュアル系という特殊な形に進化していったのは、X JAPANとかBUCK-TICKがきっかけということになるのかな。あとはDEAD ENDとかCOLORとか。いわゆるジャパメタもルーツのひとつですよね。

兵庫:X JAPANのエクスタシーレコードと、COLORのフリーウィルが象徴的だと僕は思うんですけど、そのあたりから、メイクと髪立てから文系の香りが消えていくんですよね。ゴスとかニューウェイブの感じが薄れて、体育会系というか、ヤンキーノリになっていく。それで大きく広がっていったんじゃないかなと。YOSHIKIとダイナマイト・トミーがシーンを変えたというか。

小野島:ジャパン、バウハウスなど英国のニュー・ウエイヴに影響を受けた子たちと、Xに影響を受けた子たちに分かれていくみたいな。ちょうどライターになった当時、BY-SEXUALとか、ZI:KILLとか、JUSTY-NASTYなんかも取材していたんですよ。その時は気づかなかったけど、今になってみると、彼らがビジュアル系と言われるものの走りだったんだな、と思う。

――あらためて、日本のロックにとって80年代とはどんな時代だったでしょうか。

中込:とにかく、何でもありの面白い時代でした。

小野島:そうだね。マーケットがデカくなかったから好きにできた、というのもあるし、みんなそれで食っていこうとか、カネを儲けようと思っていなかったから。だから周りを気にせず好きなことをやっていた。音楽的なレベルは今と比べて高いとは言えないかもしれないけど、そういうある種の純粋さ、清らかさはあったと思う。まさに「日本のロックの思春期、青年期」というか。

兵庫:実際に日本のロックが大きく進化したのは90年代以降だとしても、その下地を作った大きな変革が起きた時代なんでしょうね。やっぱりバンドブーム以前・以降って違うし。あと、今、50代でずっとライブハウスを回ってるバンド、いっぱいいるじゃないですか。インディーズ・ブームやバンドブームの頃からやってる人が多いんですよね。っていうのもあるし、いろんな意味で今につながってると思いますね。

(取材=神谷弘一/構成=橋川良寛)

■リリース情報
『私たちが熱狂した 80年代ジャパニーズロック』
発売:12月14日(月)
価格:¥1,296

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