『LUNATIC FEST.』が蘇らせる、90年代V系遺産 市川哲史が当時の秘話を明かす

 そしてもう一方の、《エクスタシーサミット》の記憶はいきなり希薄だ。だはは。

 写真集にVHSにLD(!)まで当時発売されてるのに、憶えてるのは1992年版@大阪城ホールでLUNA SEAが白装束姿でウケを狙ったとか、巨大な団旗を誰かが振り回してたとか、出演バンドの有志が合体して《サイレントいやらしーず》というバンドを名乗り、“X”を演奏したとか、どうでもいいことばかりだったりする。

 それよりも私にはたぶん1991年8月15日、YOSHIKIに誘われ無理矢理連れて行かれた《エクスタシーの納会(失笑)》の想い出のほうが、サミットよりはるかに鮮烈なのだ。

 まだ夕方5時にもかかわらず、貸し切られた目黒・鹿鳴館近所のいろはだか養老だかの座敷には、X以下エクスタシー所属全バンドがノーメイクで集結。YOSHIKIの訓示を全員が神妙に聞き終えると、野太い「ぅおっしゃあ!」の地鳴りの中、生ジョッキを砕けんばかりにぶつけ合いチアーズ――誰か替わってください。

 納会の間中、私は全バンドの丁寧な御挨拶を受け続けた。メジャーデビューしたばかりのZI:KILLに逢ったのもこの夜が初めてだ。TOKYO YANKEESやらVIRUSやらLADIES ROOMやらEX-ANSやらとにかくヤンキー臭漂う酒盛りの中、座敷の隅っこにひっそり群れ集う5人組を発見。おそろしく気配を殺し息を潜めてるので、声をかけた。

「……僕たち文系なんで、こういうノリ実は合わないんですよね(←微音量)」

 どの口がそういうこと言うかな、たぶんRYUICHIかSUGIZO。インディーズ・デビュー直後のLUNA SEAであった。

 さてこの納会の行方だが、やがて酔っ払ったYOSHIKIが上半身裸で酒や食い物が並ぶテーブル上に連続ダイブしたあげく、現在で言うところのクラウドサーフを披露。グラスや鉢や皿の破片が散乱する畳の上を、我々は土足で過ごす羽目に。最終的にYOSHIKIが自腹50数万円で弁償したものの、未来永劫出入禁止となった。

 つまり《エクスタシーサミット》と《エクスタシーの納会》は、私の中では似たようなものなのだった。

 そしてゴールデンボンバーや己龍などいまやオタク化してしまったV系が、まだまだヤンキーの天下だった時代の美しい遺産なのかもしれない。

 もはや一大歴史絵巻の《LUNATIC FEST.》、か。

■市川哲史(音楽評論家)
1961年岡山生まれ。大学在学中より現在まで「ロッキング・オン」「ロッキング・オンJAPAN」「音楽と人」「オリコンスタイル」「日経エンタテインメント」などの雑誌を主戦場に文筆活動を展開。最新刊は『誰も教えてくれなかった本当のポップ・ミュージック論』(シンコーミュージック刊)

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