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市川哲史の「すべての音楽はリスナーのもの」第17回

『LUNATIC FEST.』が蘇らせる、90年代V系遺産 市川哲史が当時の秘話を明かす

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 1994年8月9日から30日まで福岡・仙台・札幌・新潟・大阪で開催された《L.S.B.》は、BUCK-TICK、LUNA SEA、SOFT BALLETの3バンドによる日本初の全国スプリット・ライヴ・ツアーである。

 しかも公演地別に、L’Arc~en~Ciel(札幌)、THE YELLOW MONKEY(福岡・大阪)、THE MAD CAPSULE MARKETS(仙台・札幌・新潟・大阪)、DIE IN CRIES(仙台・札幌)と当時注目の若手バンドがゲスト出演した、画期的なパッケージだった。

 当時の力関係としては、前年『darker than darkness-style 93-』、翌年には『Six/Nine』と商業性無視の快作を継続リリースできる、BTのアーティスト力が頭抜けていた。だから元々は、そんなBTとの共演で箔をつけたいと考えたLUNA SEAの運営サイドの発案だったように記憶している。

 実際、LUNA SEAはアルバム『MOTHER』リリース直前でまだまだブレイク前夜だったし、ラルクはメジャーデビューしたばっか。イエモンは三島由紀夫愛満載のコンセプト・アルバム『jaguar hard pain』を出すなど偏向すぎて、まだCDは全く売れず。そしてソフバはインダストリアル・テクノポップ、マッドはデジロック系ミクスチャーの、各々先駆者として活躍していながらも、村外での知名度には乏しかった。

 ロックフェスがレジャー産業化した現在が嘘のように、かつてはさまざまな垣根を越えて終結する機会が少なかった。それでもバンドブームの頃はまだ、地方プロモーターやローカル局主催のイベント、レコード会社によるショーケース・ライヴが開催されはしたものの、90年代は基本的に横の繋がりが著しく欠落したシーンだったように思う。まあ縦関係もエクスタシー軍団以外で見ることは皆無だったが。はは。

 そんな発展性のなさが嫌だった私は、『ロッキング・オンJAPAN』『音楽と人』誌上や酒席で彼らを引き合わせる、因業な仲人として長く暴走することとなる。

 ある晩BT今井寿宅で呑んでたら、Xのビデオソフトを発見。訊くと「HIDE君が面白くて好き♡」と言うので、即対談決定。以降、YOSHIKI+HIDEのBT西武ドーム公演観戦を経て、<魔王>櫻井敦司 VS <お姫様>YOSHIKI対談へと展開していった。

 またLUNA SEA・Jの<純粋BT愛>に応え、BT高松公演に連れて行き1対5対談(!)を強いたし、HIDEと今井からまだデビュー前のTHE MAD CAPSULE MARKETSを大絶賛されると、2人を後見人に任命してマッド・TAKESHI主役の座談会を催した。

 まだ松も取れぬ新年早々行なった、今井とソフバ藤井麻輝にhideを加えた<スーパーSCHAFT結成!>対談なんか、夕方5時には早や呑み会に突入。盛り上がった私とhideのケータイ呼び出し攻撃により、2軒目からJとGLAYのTAKUROが強制合流を余儀なくされ、そのまま今井宅の無限地獄酒に堕ちた。新春早々さすがに面倒くさくなった私とhideは朝4時なんとか脱出したが、逃げ遅れたTAKUROはそのまま眠りの森に迷いこみ、その日10時半集合→新潟当日ライヴにもかかわらず当然、遅刻しでかしたのだった。惨い。

 しまった、これでは話が単なる『酒呑み日記』だ(失笑)。

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