『Music Factory Tokyo』スペシャルインタビュー
ヒャダインが明かす、人気音楽作家となるまでの日々「動画サイトで自分は間違っていないと確認できた」
――プロデューサーとしては、いま挙げた方々にどんな影響を受けましたか。
ヒャダイン:曲で楽しませるということはピチカート・ファイヴから教わりましたし、曲をたくさん作るということに関してはつんく♂さんや小室さんから学びました。つんく♂さんは発想の柔らかさやサプライズを仕掛けよう、という姿勢がとても面白くて、そこにはすごく憧れます。
――先ほど、作曲家として活動し始めた頃は、なかなかコンペに通らない時期が続いたという話がありました。そんな時、ヒャダインさんはどのようにしてモチベーションを維持しましたか。
ヒャダイン:純粋に、お金がなかったことは大きいと思います。もちろんバイトでも暮らしてはいけますが、「音楽で生計を立てている実感がほしい」という思いは、モチベーションとして大きかったです。ただ、流石にずっと決まらないと腐ってきます。だからこそ、動画サイトで皆さんに評価していただいたことで、自分は間違っていないと確認することができたのは、すごく良かったです。
――当時はアルバイトをしながら制作を行っていたそうですが、制作に充てる時間をどう確保していたのでしょうか。
ヒャダイン:東京に出てきた頃は息巻いていて、学歴を使うのが嫌だったので、普通のバイトをしながら頑張ってやろうと思っていました。朝の9時から夕方の5時までレンタルビデオのバイトをして、家に帰って6時から12時くらいまで制作に充てるという生活ですね。しかし、フルタイムで働くと非常に疲れるので、理想通りにはいかず……仕事の後はグッタリしたり、寝てしまったりしていました。そのため、アルバイトは次第に時間給の良い深夜の仕事や家庭教師などに移行していき、制作は出勤前の朝~昼にかけて行うようになっていきました。
――その頃はどんな機材を使っていましたか?
ヒャダイン:当時は最低限の機材で制作すべく、フリーのソフトシンセが圧倒的に多いWindowsのPCで作業をしていました。個人的にファミコンの音が好きなので、『ファミシンセ』というソフトがお気に入りで、良く使っていたのを覚えています。あと、常に使っているのは「Addictive Drums」というドラム音源ですね。他はケースバイケースです。その制作環境を一度『情熱大陸』(TBS系)で取材していただいたんですが、その後にMacに移行しました。ただ、メインのシーケンスソフトはWindowsでもMacでも『Cubase』を使い続けていますね。ショートカットキーが完全に手に馴染んでいるので。
――いろいろなアーティストの仕事を並行して進める際、気を付けていることなどがあったら教えて下さい。
ヒャダイン:特にこれといったことを意識しているわけではありませんが、同じような音を使い過ぎないようには気を付けています。作曲やレコーディングなど、それぞれの仕事がそれぞれのステージで進行していますが、目の前の仕事に最大限集中するタイプなので、ひとつ前のステージのことを思い出したりはしません。なので、この曲でどういう機材を使ったか、どのようなテンションで作ったか、ということをあまり思い出せないんです。プロジェクトファイルもなくなってしまうくらいで(笑)。あるとき昔の曲が採用になったことがあって、自分の曲を再度自分で耳コピして打ち込み直したこともあるくらいです。
――楽曲提供やプロデュースをするにあたって、そのアーティストをどこまで掘り下げて調べますか。
ヒャダイン:最適な距離感は人それぞれだと思うのですが、僕はその人のことをなるべく調べて、お話する機会があればできるだけコミュニケーションをするタイプです。その人のキャラクターの延長線上で、聴く人がニヤッとしたり驚いたりするものを作ろうと考えています。