『Music Factory Tokyo』スペシャルインタビュー
ヒャダインが明かす、人気音楽作家となるまでの日々「動画サイトで自分は間違っていないと確認できた」
音楽を創る全ての人を応援したいという思いから生まれた、音楽作家・クリエイターのための音楽総合プラットフォーム『Music Factory Tokyo』が、ヒャダインのスペシャルインタビューを公開した。
同サイトは、ニュースやインタビュー、コラムなどを配信するほか、クリエイター同士の交流の場を提供したり、セミナーやイベント、ライブの開催など様々なプロジェクトを提案して、未来のクリエイターたちをバックアップする目的で作られたもの。コンテンツの編集には、リアルサウンド編集部のある株式会社blueprintが携わっている。リアルサウンドでは、今回公開されたヒャダインのインタビュー前編を紹介。同記事では、歌手としてもメジャーデビューする一方で、ももいろクローバーや郷ひろみなどの幅広いアーティストを手掛け続けている彼に、作家を目指したきっかけや影響を与えた音楽、多忙な毎日の過ごし方などについて話を訊いた。
――ヒャダインさんが作曲家を目指したきっかけと、プロとして活躍するまでの経緯を教えてください。
ヒャダイン:大学3年生の時に、就職活動をするのを忘れていて。これはもう人生終わったと思って、やけくそでニューヨークにブロードウェイ・ミュージカルを見に行ったんですが、帰る前日に9.11のテロがあり、一週間帰れなくなってしまいました。その後、ブルックリン橋のたもとで、「自分は何をしたいかな」と考えていたときに、自分のやりたいことで身を立てたいと思いました。そして、日本に帰ってきてからは週に一回、一時間の作曲講座に通うようになり、そこの先生に勧められて東京に出ました。上京後は地道にコンペに応募をしていましたが、特に反応がなく、自分の立ち位置がわからなくなってきました。でも、前山田健一であることを隠し、「ヒャダイン」名義でニコニコ動画を始めたら、それが好評で自信をもらいました。そうすると自信に比例するようにコンペも決まるようになってきて、2010年に正体をバラしました。
――ヒャダインと前山田健一が同一人物であるとわかったとき、驚きながらも納得した人は少なくないと思います。本名を明かそうと思った決定的な理由はありますか。
ヒャダイン:2007年の終わりから2010年までの約3年間、「ヒャダイン」名義でニコニコ動画での活動を繰り広げていましたが、前山田健一としての仕事が増えてくるに従い、ヒャダインとしての活動が減ってきました。忙しくなるにつれ、待ってくださっているファンの方々に申し訳ない、という気持ちが募っていったので、切り札を使うような感覚で本名を明かしました。また、発表当日(2010年の5月5日)は、大島麻衣さんのソロデビューシングルと、ももいろクローバーの『行くぜっ!怪盗少女』の発売日でした。自分なりのプロモーションとしてもちょうどよいタイミングだったということもありますね。
――ヒャダインとしての活動が減っていても、前山田健一はちゃんと動いているという意思表示ですね。
ヒャダイン:そうですね。その答え合わせをしていただければしばらくは楽しめるかな、とも考えました。
――ヒャダインさんは1980年生まれということですが、ご自身の音楽に影響を与えたものは何でしょう?
ヒャダイン:高校時代に本当によく聴いていたのはピチカート・ファイヴです。その前は小室哲哉さん、その後はつんく♂さんだったり。プロデューサーが好きで、憧れがありました。音作りの面で影響を受けたのもそのお三方です。また、音楽以外だとゲームの影響が強いです。ファイナル・ファンタジー、ドラゴンクエスト、ロマンシング・サガなどは、物語の作り方や飽きせない構造などにすごく影響を受けています。