小野島大の「この洋楽を聴け!」第8回:ザ・スミス/ゲスト:ヤマジカズヒデ、筒井朋哉
ザ・スミスの後継者はなぜ生まれない? 伝説的UKバンドの「特異な音楽性」に迫る
今回は80年代の英国ロックにあまりに大きな足跡を残したザ・スミスを取り上げます。
ザ・スミスはニューヨーク・ドールズ・ファン・クラブの会長だった文学青年モリッシー(vo)と、当時まだ10代ながらすでにギタリスト/作曲家としてキャリアを積んでいたジョニー・マー(g)を中心に1982年結成。パンク/ニュー・ウエイヴ・ムーヴメントが一段落した英国マンチェスターにて活動を開始し、1983年にデビュー、1987年の解散までに4枚のオリジナル・アルバムと17枚のシングルを発表しました。モリッシーのねじれたユーモア感覚と毒に満ち、労働者階級の若者の心情を切実に投影した歌詞と、マーの表情豊かで美しいギター・サウンドが融合した世界で、特に英国では大きな支持を集めました。
いつもとは趣向を変えて、スミスに影響を受けた日本の音楽家に、存分にスミスを語っていただきました。dipのヤマジカズヒデと、元エレクトリック・グラス・バルーン/現TOBYASの筒井朋哉のおふたりです。ともにスミスのコピー・バンド経験があり、ギタリストとして、主にスミスのサウンド面の魅力をたっぷりと語っていただきました。
――おふたりのザ・スミスとの出会いはどんなものだったんですか。
ヤマジカズヒデ(以下ヤマジ):好きになったのはわりと最近。昔は「なんかネオアコっぽいな」と思ってあんま好きじゃなかった。歌が好きじゃなかったのね。それが15年前に友達同士でコピー・バンドをやろうって盛り上がったことがあって。友達にモリッシーに似てる奴がいたの。顔も声も似ててさ。それでスミスをやることになって、そこで初めて、じっくり聴き始めたって感じかな。ビデオ見たり、ジョニー・マー表紙の「ギター・マガジン」読んだりして。また、ここ数年、うちでは毎日のようにスミスがかかっててさ(笑)。その影響で最近またよく聴くようになった。ジョニーの影響でジャズマスターのヴォリュームだけ交換してみたりしてね。
筒井朋哉(以下筒井):僕は高校3年の時に一番最後のアルバム(『Strangeways,Here We Come』)をリアルタイムで初めて聴いて、そこから遡っていったんです。それまでは普通に80年代半ばのビルボードのチャートものを聴いていて、それからニュー・オーダーとか、ブリティッシュものをゲイの友達に教えてもらうようになって、それでスミスに出会ったんですね。初めて聴いた時は暗くて鬱っぽいなと。でもそういうものって忘れないもので、癖になって違うアルバムも集めるようになった。僕、ギターは高校卒業してから弾き始めたんですけど、ギター買いに行ったら、ジョニーが使ってる――正確にいうと少し違うんですけど――ギブソンのセミアコを安く売ってて。そこから本格的にはまりましたね。
――おふたりにお好きなスミスの曲、スミスらしい曲をいくつか挙げていただきました。まずデビュー・シングルの「Hand In Glove」(83年5月発売)です。これはヤマジさんも、さきほど話に出たコピーバンドのsimithsでコピーされてますね。
ヤマジ:そうです。初めてコピーした曲ですね。
筒井:僕も「下北スミス」でやってます。
――この曲は音楽的にはどんな特徴があるんでしょうか。
ヤマジ:(ギターは)わりとオーソドックスなアルペジオかな。
筒井:当時も今もあまりいないタイプのサウンドを、デビュー時にして既にやっていたんですね。あのアルペジオを前面に出したギター・サウンドは当時としてはすごく新鮮だったんじゃないでしょうか。ザ・フォールとかモノクローム・セットとかオレンジ・ジュースとかエコバニとか、そういう当時人気のあったギター・バンドとは全然違うことをやっていた。あとは、あの声ですね。
ヤマジ:(ミックスの音バランスで)ヴォーカルが大きめで、あまりギターが出てなくない?
筒井 そうですね。ファースト・アルバムの前に、ボツになったファースト・アルバムのヴァージョンがあるんですけど(通称「トロイ・テイト・ヴァージョン)」、あれはもっとギターが前面に出たロックっぽい荒々しい音だった。でもあれをボツにして、今の音にしたんですよね。
筒井:たぶんジョニーは自分は(モリッシーの)伴奏だって意識がある。50年代60年代のポップスの影響はよく言われてますけど、彼にとってスミスの音は、ロックのバンド・サウンドというよりも、あくまでも歌伴としての「オケ」というか。
ヤマジ ほかのギター・バンドとは違うんだね、考え方が。
筒井:スミスの特徴というか魅力のもうひとつは、歌と一緒にギターも唄って主張してる点だと思うんです。コード弾き主体のギタリストが多いなか、マーは新たなギタースタイルを開拓したんじゃないかと思うんですが、「This Charming Man」(83年10月発売のセカンド・シングル)に、それがよく表れてますね。
筒井:コードはA,E,Bm,D,Eって普通なんですけど、そこにアルペジオで歌と一緒にメロディを奏でてしまう。
――ギターで裏メロを弾いてた。
筒井:そうです。そういうスタイルを確立したのがこの曲ではないかと。ほかのニュー・ウエイヴ・バンドでそういうのはほとんどいなかったし、あの時点でジョ二ーはカントリーからソウルからフォークからポップスからロックまで、すべてのジャンルのスタイルが既に引き出しの中にあった。セッション・ギタリストとしては、スミスのデビュー時にすでに円熟してたんです。そこに彼なりのオリジナリティを加えたのがあの奏法だったんじゃないか。当時はあれがジョニーのスタイルだと思ってたんですけど、いざ自分がギターが弾けるようになると、そうじゃなくて…。
――アルペジオ主体のプレイスタイルそのものが彼の個性というよりも、いろんな引き出しの中から曲に適したものを引っ張りだしてくると、ああいうギター・サウンドになると。
筒井:そうです。そういうさまざまな引き出しの中身を使って、フィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドを一本のギターで表現しようとしたんじゃないか。だからロックのギターというよりは、ストリングスのパートの代わりというような気持ちでやってたんじゃないかな。要は普通のポップスがストリングスで裏メロを奏でるところを、ギターでやろうとしたんですね。
――当時ジョニーは20歳そこそこだったわけですが、その歳でそういうことを考えて、完璧なサウンドにできる知識と技術とセンスを持っていた。まさに早熟の天才ですね。
筒井:そう思います。自分が20歳の時のことを考えるとすごいですよね…(笑)。あとスミスの特徴としては、曲がとにかく短い。3分間ポップスってとこにこだわりがあるんですね。後半になると長い曲も多くなってきますが、シングルになる曲はちゃんと2分半や3分半に収めてるし。
――曲が短いから無駄がない。大げさな展開や繰り返しで盛り上げようという意識がなくて、要点だけをシンプルにコンパクトにまとめてる。
筒井:伝えたいところしか入っていない、というようなところがありますね。