『17LIVE』などのライブ配信アプリが流行した理由は? 行動デザイン学の識者が考察
コロナ禍以降の“オンラインが当たり前”になった世の中において急速に普及し、コロナ禍が明けてもなお快進撃を続ける「ライブ配信アプリ」。
これまでのSNSのようにフォロワーが多いもの勝ちではなく、ライバー(ライブ配信者)とリスナー(ライブ配信視聴者)間でいくつもの小さなコミュニティが生まれては活性化している、という特徴を持つライブ配信アプリのエコシステムは考察の対象として興味深いが、専門的な視点で分析する記事はそこまで多くない。そこで今回は、博報堂行動デザイン研究所の前所長であり、現在は嘉悦大学経営経済学部の教授として、マーケティング、およびコミュニケーションデザイン専攻 「行動デザイン」に関する研究を企業連携により行っている國田圭作氏を迎え、コロナ禍以降における人々の行動の変容と、その視点から分析した『17LIVE(イチナナ)』などのライブ配信アプリについて聞いてみた。(編集部)
ライブ配信は「時間軸」の同期によって連帯感を高める作用がある?
ーー前回はコロナ禍で変化した行動デザインの現状を話していただきました。コロナ禍がある種明けたと言える2023年、行動デザインとしてはこの状況をどのように捉えていますか?
國田:行動デザイン自体は考え方のベーシックになるものであって、とくに変化や進化などはありません。ただ、私自身は最近、行動デザインに心理学の考え方も取り入れるようにしていて、そのなかでも「処理流暢性(しょりりゅうちょうせい)」というワードに注目しています。これは1960年代以来の「人間はコンピュータのアナロジーとして脳の中で情報処理をしている」という考え方のうえで、情報処理が楽であるーーつまり「流暢である」ほうが気持ちいい、という話なんです。
ーー面白そうなワードですね。詳しく聞かせてください。
國田:流暢性には色々なものがあって、視覚や聴覚の感覚を処理する流暢性もあれば、リンゴはリンゴであるといった意味的なことを理解する流暢性もある。視覚的なもので例を挙げるなら、前回もお話した「見る回数が増えると好きになる」という単純接触効果がわかりやすいと思います。要するに「脳が見慣れたものは処理が流暢」だからこそ「流暢である」という快感情を「相手のことが好きだから快感情が生まれた」と間違って相手に投影してしまうことなんです。
ーーとはいえ、わかりやすいだけだとダメですよね?
國田:あまり処理が流暢で簡単だと刺激はゼロなのでスルーされてしまいます。一方で難しすぎるものは流暢性を阻害するため、本能的に避けてしまう傾向にある。なので「どこかで見たことがあるけど新しい」というのが一番人間を引き付けやすい。それは行動デザイン学でも説明していたのですが、心理学的にも「処理流暢性」があるものとして定義できると感じています。
ーーよく「ヒットの法則」として挙げられがちな考え方ですが、そのように裏付けができるのですね。
國田:先ほどコロナ禍での変化という話もありましたが、よく「5年や10年、場合によっては20年かかる進化がコロナ禍によってスピードアップした」と言われていますよね。それを行動の視点から捉えると、リモートなどの技術は発展した一方で、共同体に大きな影響が及んだともいえるんです。一旦コロナ禍で切り離されたものが、2023年になって改めて共同体に戻ったことで、より繋がりが強固になった。そのぶん、共同体同士の分断がより進んでしまったように感じます。
ーーたしかに小さな共同体同士の諍いを見ることが増えてきた気がします。
國田:心理学では人間の基本的な行動原理を「エフェクタンス動機づけ」という言葉で説明することがあるのですが、これは「自分の効力(エフェクタンス)を行使できることにすごく満足感を感じ、それができないときはものすごく不安になる」というものです。ルールやいろんな枠組みがないと不安になってしまうというのもそのひとつなのですが、コロナ禍で既存のルールや枠組みが変わってしまったことによって不安が噴き出す形になったことで、自分の効力を行使できる範囲を狭めてその中で快感を得たり、過度に他人をマウントすることで自己の効力を行使したことにする、ということが増えました。ある意味、人間が動物的になってしまったともいえます。
ーーその混乱がオンライン・オフラインのいずれでも起こってしまったのがコロナ禍の社会だと。
國田:そうですね。オンラインの話でいうと、2000年代はネットコミュニティやSNSコミュニティが、それまでの古い社会に対して「自由でハッピーなコミュニティ」だとユートピア的な捉え方をされてきましたよね。ただ、インターネットが特別なものではなくなり、SNSをあらゆる人が使うようになったことで、ネット上のコミュニティの幻想が解けたことにも近いと思います。
ーーSNSが普及しすぎてしまったがゆえに自分の自由がどこに行ってもないような気がして、ある種「規定されたい」という願望が芽生えてきているのかもしれません。本日のテーマのひとつである「ライブ配信アプリ」が小さいコミュニティをたくさん作る構造になっていて、そこに人々が集まるのは、ある意味インターネットが自由になりすぎた揺り戻しのような気がしてきました。
國田:少し大きな話になってしまうのですが、インターネットが画期的だったのは「時間」と「空間」の両面を解き放ったことにあると思うんです。物理的ではないがゆえに時間についても非同期で、空間においても瞬時に国境を越えることができる。「時間軸」と「空間軸」という、生命を縛っている基本的な二つの側面を一気に開放したんです。
ーーおお、なるほど。
國田:一方で、それは不安を感じる要素でもあると思うんです。空間においても時間においても自由になったことで、自分がいつどこにいるのかという感覚がなくなってしまい、不安を感じるようになった。これはSNSが普及したことによってより加速したといえます。そんななかで「ライブ配信アプリ」が評価されているのは「ライブ」である点が重要だと考えています。先ほど区分した「時間軸」と「空間軸」における「時間軸」を同期しているので、同じ時間を共有してるから仲間であるという「内集団(イングループ)」が形成され、そのなかでの熱量が高まっている。概念としてはかつての深夜ラジオに近いような気がします。深い時間に「こんな時間に起きている人がいる」と仲間を見つけて盛り上がっているような感じですね。
ーーたしかに身内ノリ・常連さん的な概念など共通項は多そうですね。経済圏の話についても聞いてみたいのですが、大規模な経済圏のなかで人がどう動くかではなく、小規模な経済圏のなかで参加する全員がいかに効率よく活動するかを無数に行っているのがライブ配信のシーンだと考えているのですが、國田さんの見解を聞かせてください。
國田:別業界の事例と関連させて考えると、アパレルの「D2C(Direct to Customer)」という概念が近いと思っています。中間流通を介さずにデザイナーやクリエイターがすべて自分たちで製造・販売をしているので、生産量を限定しつつ、インスタやSNSベースで告知をしながら予約を取っていく。D2Cアパレルの一番のセールスチャンスは試着会なのですが、それこそ時間軸や空間軸を同期させて販売しているわけです。ECベースで店舗コストをゼロにしているのに、実際は全員がECから入るのではなく、試着会で直接デザイナーさんと話したりしながらファンになっていくという。
ーーD2Cブランドとライブ配信は、実際にシンクロもしています。ブランドがライブ配信でオンライン試着会やライブコマースをやっていたりするわけですから。
國田:そうですね。そこには直接販売を可能にするECプラットフォームの存在も大きいと思いますし、ライブ配信も『17LIVE(イチナナ)』のようなアプリがあるからこそ、普及している側面があると思います。