「Vライバー」普及の裏側にあった“5年間の物語” 『イチナナVライバー』事業責任者・柳 里沙 × 17LIVEの伝説的Vライバー・武良崎ゆき対談

「イチナナ」Vライバー事業責任者 × むらゆき対談

 事前の調査でもわかったように、「Vライバー」という呼称がシーンに定着し始めている昨今。では、そんな「Vライバー」の知名度上昇に貢献した方たちは、いったいどんなことを考えて活動をし、現在の状況に辿り着くことができたのだろうか。

 今回は「Vライバー」という名称をライブ配信アプリとしていちはやく提唱し、5年前から同ジャンルの普及に一役買ってきた『17LIVE(イチナナ)』でVライバー事業部責任者の柳 里沙氏と、同じく5年前より活動をスタートさせ、現在は「Vライバー」を代表するかたちでテレビ番組などにも出演する武良崎ゆき氏の2名による対談を実施。プラットフォーマーとプレイヤー、それぞれが語る「Vライバー」普及までの道のりと、その先に見据える未来とは。(編集部)

「Vライバー」隆盛のきっかけは“ときのそら”だった?

――17LIVEが「Vライバー」を設立したのが2018年と、はやくも5年を迎えました。まずは設立背景を教えてください。

『イチナナVライバー』事業責任者・柳 里沙

柳 里沙(以下、柳):17LIVEが「Vライバー」ジャンルを設立したのは2018年の8月なのですが、もともと2017年ごろにホロライブの『ときのそら』さんが17LIVEで配信をしてくださっていたんですよ。なので、はじめてのVライバー配信は2017年には実はすでに始まっていたんですね。

 17LIVE自体も、2017年に始まったばかりの中、大きく盛り上げてくれていました。今後に向けたライバーの多様性について考えていたときに、リアルライバーだけではなく、『ときのそら』さんのようなVライバーも増やしていこうと思ったんです。そうすることで、配信のバリエーションも増え、よりたくさんの方に使っていただけるプラットフォームになると考えて「Vライバー」ジャンルを設立させていただいた次第です。

――むらゆきさんがVライバーとして活動を始められたのは2018年と、Vライバージャンルの設立時期と近いですよね。どういった経緯でVライバーとして活動を始められたんでしょうか?

武良崎ゆき

武良崎ゆき(以下、むらゆき):私は2018年11月にデビューしたんですが、Vライバーとして活動を始めたのは、百歳を迎え妖怪猫又になったことで人型に化けられるようにもなり、当時「Vtuber」として盛り上がっていた『キズナアイ』さんをはじめとする「VTuber」に興味を持ったからなんです。まずはバーチャルの勉強も兼ねて、YouTubeと17LIVEでプラットフォームごとの面白いところを勉強をさせてもらおう、という気持ちでスタートしたのがはじまりですね。

――いま名前が挙がったキズナアイさんのデビューが2016年12月で、そこから5年と少し活動して現在はスリープされていたり、黎明期のVTuberでも、活動を止めてしまった方は多いです。5年間継続して活動を続けることはそれだけ難しいことですが、この5年間の中で、「こんなことがあったからいまの自分がいる」と感じることや、思い出深い出来事というとどんなことがありますか?

むらゆき:そうですね、自分でも5年も続けられると思わなかったです。

 思い出深い出来事ですと、17LIVEは国内外で大きなイベントをいろいろと開かれているんですが、私もありがたいことにそこで1位を取らせてもらったことがあって。そのイベントに参加するための気力や体力を一緒に作ってくれたVライバーの友だちができたことは、一番のハイライトかなと思います。

 17LIVEにはイベントランキングの存在があるので、どうしてもあるときはライバル、あるときはすごく親密な友だち、みたいな関係になるんです。イベントに参加して順位を争いながらも仲良くなっていけるというのは、ほかのプラットフォームにはないおもしろさなのかなと思います。デビューしてから5年間、ずっと一緒に走ってくれるVライバーの友だちがいることは自分の中ではかけがえのないものですね。

――そういったVライバーの友人が増えたと実感したタイミングはありましたか?

むらゆき:17LIVE最大級のイベントに、台湾で行われる『ゴールデンフェザー』というアワードがあって、上位何名かが実際に台湾で対決するのですが、そのときに一緒に参加したVライバーの方とイベントのことやお互いの悩みを話し合ったりするようになりました。それまでもコラボ配信などはしていたんですけど、『ゴールデンフェザー』は1ヶ月半くらいの大きなイベントだったので、それを一緒に走り抜けてくれた、というのがすごく大きなきっかけになりました。

『ゴールデンフェザー』の様子

――そうした存在も、5年間活動を続けられた大きな要因の一つかもしれませんね。その土壌を作った17LIVE側の柳さんが、5年間のハイライトを挙げるとすると?

柳:私は立ち上げから現在に至るまで「Vライバー」のジャンルを担当しているのですが、それこそむらゆきさんが17LIVEでデビューしたとき、すごく強烈なファーストインパクトを受けたんです。

 それまでは「どうやってVライバーを盛り上げていこうか」と悩みながらやっていた中で、むらゆきさんが来てくださったことでVライバーの面白さが当時の17LIVEユーザーにも伝わり始めたというのが当時の記憶として強く残っていて。リアルライバーとのコラボもむらゆきさんにお願いさせていただいたんですが、リアルライバーのめるさんとのコラボレーション配信もすごく印象深いですね。リアルライバーとVライバーの交流は、ほかのプラットフォームにない17LIVEの強みになっていると感じます。

 そのほかですと、先ほどむらゆきさんもお話されていた『ゴールデンフェザー』で実際にVライバーのみなさんが活躍しているのを見たときは私としてもすごく感慨深いものがありましたね。『ゴールデンフェザー』の少し手前の時期にはVライバーの1周年イベントを開催したんですが、そのときも会場にいらっしゃった17LIVEユーザーであったりファンのみなさんの熱量の高さを感じました。9月に幕張メッセで行った日本での一番大きなイベント『超ライブ配信祭』は、むらゆきさんが1位を受賞したイベントだったんですが、そこにVライバーブースも出していて、幕張メッセという大きな会場の中でVライバーたちの頑張りを見せられたのは非常に印象深いなと思っています。語り始めたらたくさん出てきてしまいますね(笑)。

――こうしてハイライトをいくつかお伺いするだけでも、プラットフォームがリアルとバーチャルの接点となっていることや、そこから派生してリアル会場でのイベントでファンとの交流の機会を一貫して作っていることがわかります。むらゆきさんはVライバーとして活動していて、17LIVEのVライバーに多い特性や特徴などでパッと思い浮かぶものはありますか?

むらゆき:17LIVEには本当に多種多様なVライバーがいるんですけど、歌が好きな方が非常に多いイメージがあります。最近はゲーム好きな方やお絵かきが好きな方も増えてきましたが、それでも歌を歌うのが好きな子が非常に多いイメージですね。

――プラットフォーム側としてもその傾向は感じますか?

柳:そうですね。リアルライバーでいうとトークをされる方の次に多く賑わっているのが音楽ジャンルです。それがVライバーにも影響しているのかもしれないです。17LIVEがおこなっているイベントも音楽絡みのものが多いので、プラットフォームのカラーでもあるのかなと感じます。

――いまお話していただいたこと以外で、柳さんが感じる17LIVEの独自性はありますか?

柳:グローバルでみていただけるプラットフォームであることも17LIVEの特徴だと思っています。先日、「LIVER EXPO」というイベントが台湾でおこなわれたんですが、そこで現地の方と日本で活躍するVライバーがお話をできる「Vライバーブース」を作ったんです。それを見に来る方がすごく多くいらっしゃって。日本だけにとどまらないコミュニケーションや展開は特徴のひとつかなと思います。

「LIVER EXPO」の様子

――むらゆきさんも普段の配信などで海外の方とコミュニケーションを取る機会はあるかと思いますが、自分の存在が世界に届いていると感じる瞬間はありますか?

むらゆき:先ほど紹介された台湾での「LIVER EXPO」の際に私をポケットティッシュのデザインに採用していただいたんです。ティッシュには私の配信に飛べるQRコードも印刷されていたんですけど、そこから配信を見に来ました、という方が何名かいました。普段も、配信をしていると日本語以外の言語でコメントしてくださる方がいたり、17LIVEの広告を見たよ、と言って来てくださる初見さんも多いので、ありがたいですね。

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