SNSで孤独感は和らぐのか? コロナ時代の居場所の在り方を識者に聞いた
新型コロナウイルスの影響により、人付き合いが希薄化し、孤独感を抱える人は少なくない。ただ、SNSを始めとしたオンライン上でのコミュニケーションの可能性を探ることができれば、孤独感の解消が期待できる。SNSは居場所になり得るのか、SNSで孤独感は埋められるのかなど、群馬大学教授の柿本敏克氏(社会心理学)に話を聞いた。
SNSは賑やかし?
――SNSを始めとしたオンライン空間は、家庭(第1の場)・職場(第2の場)でもない第3の心安らげる場所“サードプレイス”として機能しますか?
柿本敏克氏(以下、柿本):SNSの使い方にもよりますが、ある程度は機能すると思います。特に以前からの知り合い同士で使う場合であればそうです。しかし、オンライン空間では、「やりとりの相手が確かにそこに存在する」という感覚である“社会的存在感”が小さくなるため、オフラインよりも居心地は良くないかも知れません。
そもそも論になってしまいますが、サードプレイスの概念は、家庭と職場(または学校)のような二項対立が顕著だった時期には意味がありました。しかし、今ではこの対立は変化しており、その意義が薄れつつあります。加えて、人にとっての「居場所」は、特定の物理的な場所とは限りません。物理的なものよりも、「幼なじみ」「趣味のサークル」「遊び友達」といった関係性の方がむしろ「居場所」として重要です。そこまで物理的な居場所・プレイスにこだわる時代ではないように思います。
――SNSは孤独感を埋めることはできますか?
柿本:SNSを利用する人すべてが孤独感を抱えているわけではありませんが、なかには孤独感を抱えている人がSNSを利用する場合もあるでしょう。その場合、SNSは多くの人とつながるように設計されているため、何もないよりはSNSが役立つことはあるかもしれません。とは言え、この場合の孤独感は、単純に「賑やかなほうが良い」「いろいろな人の声を聞いていたい」といったレベルです。
一方、孤独感を精神的なつながりや価値観の一致を求めるというレベルで考えるなら、そういう深い関係をSNSの仕組みに求めるのは難しいでしょう。なにより、よく知らない人からのアプローチもあるわけで、そのため、特殊詐欺のような犯罪に遭うリスクも存在します。
ユーザーにとってSNSは“忙しすぎる”?
――SNSにおける人間関係はどのように変化していくと思いますか?
柿本:SNSは新しいコミュニケーション様式なので、まだ“こなれていない”印象です。ただ、据え置き電話が普及したとき、携帯電話が普及したときなどにも、人間関係の変化については散々指摘されたものの、いずれもそれなりに使いこなせるようになり、そしてどれも消えていきました。SNSも同様の流れを辿るのではないでしょうか。
――どのような点に“使いこなせていない印象”を感じますか?
柿本:ざっくり言うと、一つは“反応するまでの時間の感覚”です。「SNS疲れ」というような言葉がありますが、すぐに反応することが期待されるメッセージ・投稿が大量にあると無理が生じ、嫌気が差してしまうでしょう。これはSNSが、ちょうどいい心地よい使い方になっていないこと意味します。今のところ、ユーザーにとってSNSは忙しすぎるのだと思います。
基本的にSNSは多くの人同士をつなぐようにデザインされており、それゆえに多くの人の間で、多方向のやりとりが短い時間のうちに発生しやすい。手紙・電話・電子メール・直接の対話は1対1、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌などのマスメディアは1対多ですが、SNSは多対多です。あえて言うと、大人数での立食パーティを毎日やっているようなものなので、疲れるのも無理はありません。“使いこなせている”という状態は、結局お互いが「ちょうどいい心地よい使い方」だと感じられるようなルールができあがり、それが共有されるようになった状態を言うのだと思います。しばらくはSNSの心地よい使い方は模索されるでしょう。
――SNSのコミュニケーションにおいて気をつけるべきポイントはありますか?
柿本:“まだこなれていない仕組み”ということを意識すると良いでしょう。「お試しのつもり」「いつでも撤退するつもり」といった距離を置くことをオススメします。