JAY’EDの記事一覧

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日本人の父と、ポリネシア系ニュージーランド人の母の間に生まれ、10歳までニュージーランドで過ごしてきたJAY'EDは日英のバイリンガルとして育ち、音楽に関しても洋邦/ジャンル/年代分け隔てなく楽しめる素直さとキャパシティを持ち併せている。“何より一番好きで、自分にもっともしっくりくる→歌いたくなるのがR&Bだという基本軸こそは揺るがないが、どちらかと言えば非シャウター的スタンスで、歌い手としてのJAY'EDの持ち味は総じてスウィートかつエモーショナルな類のものだ。10代の頃から地元・大阪を拠点に活動を始めると共に、彼の歌声と才能は周囲から絶大な支持を得ていく。02年からDOBERMAN INC.やDABOを始めとするヒップホップ・アーティストと共演を数多くこなし、06年には4年間の録音物をコンパイルしたコンピレーション・アルバム『The Gift〜just let me know〜』を発売、インディーズながら2万枚以上を売上げ、関西における存在を確立した。メジャー・デビュー直前であったこの頃、ジャスティン・ティンバーレイク、シアラといった“全米No.1アーティスト”たちの来日公演の前座に抜擢されるなどして既にその名を轟かせていた。そんな中、08年5月に満を持してシングル「Superwoman」でメジャー・デビューを果たす。自分のルーツであるR&Bを土台にしつつも「常に新しいものを取り入れ、進化していきたい」という本人の言葉通り、様々なタイプの歌を届けられる表現者を目指している。09年4月には“JUJU with JAY'ED”名義でリリースした「明日がくるなら」(映画『余命1ヶ月の花嫁』主題歌)で彼の類い稀なる才能は各方面で注目され、得意のファルセットを活かした滑らかなボイシング、ライヴでのジェントリーなパフォーマンスにも増々磨きがかかっている。敬愛するジャスティン・ティンバーレイクが提唱した“Sexy Back”つまり「セクシーな音楽の復権」に最も近い位置にいる日本人ポップ・スター、それが今現在のJAY'EDが狙うべきポジションではないだろうか。

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